Apr.29,1990

RIVER WILLOW

第8号

子供たちの城・オールウェイズ



子供たちの城 ・・・ 子供の時間が終わるとき

「ペレ」の監督、ビレ・アウグストの1983年の作品である。冒頭、森の中の隠れ家が出てきて「スタンド・バイ・ミー」を思い出したんだれど、そういえば、三人の少年の傷つけあう姿を描いたこの映画は、少年たちが互いの痛みを慰めあった「スタンド・バイ・ミー」の裏返しといった感じだ。また、愛情に恵まれないためにどんどん暗い方向にねじまがっていく少年の姿は、「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」のイングマル少年の裏返しといえるかもしれない。

1961年、コペンハーゲンの郊外の町。主人公のビヨンはごく普通の家庭の少年。友達のスティンの家は金持ちだが両親が不仲で、やがて父は愛人と暮らすために家を出る。「力持ちだから」というのでその仲間に加えられるムーレは貧しいけれど温かい家庭に恵まれている。この三人が夜ごと集まっていたずらをくりかえすのだが、それがだんだんエスカレートしてゆく。証明写真でお尻を写すぐらいなら「可愛い悪ふざけ」ですむけれど、知人の留守宅に忍びこんでお金を盗んだりするところでは驚いてしまう。この三人にとってはちょっとワクワクする「悪い遊び」なのかなと思いつつ・・・・。しかし、自転車に乗っている商店主を転倒させて売上金を奪うところまでゆくとれっきとした犯罪である。そうしていたずらが犯罪に変わってゆくのと同時に、スティンのゆがんだ性格も明らかにされてゆき、ビターだけれどスウィートでもある「思春期」を楽しんでいた私は、ラスト、あまりの悲痛さに心をゆさぶられることになった。

互いに傷つけあう少年たち。その最初の原因はスティンの家庭にある。物質的には恵まれていても愛情に飢えているスティン。本当は弱虫の少年は自分を守るために攻撃的になり、友達さえ自分の力を確認するための道具にしてしまう。三人のなかでいちばん無邪気なムーレはそんなスティンから遠ざかるのだが、スティンは自分に背いたムーレに残酷な仕返しをする。ムーレほどには無垢ではないビヨンにとっては、犯罪すれすれのいたずらを共有することも友情の確認であったのだが、それが良心の許容できる範囲を越えたとき友情は嫌悪に変わる。そして、突然生まれた暴力的な衝動がふたりの友情を断ち切るのだ。

人間はいろいろだから、明るい方向に向かう人間もいれば、暗い方向に向かう人間もいる。自分のおかれた環境に負けずに頑張る子供はもちろん愛しいけれど、負けてゆがんでしまった子供だって責めることはできない。よりによってもっとも暗い方向に向かってしまったスティンが悲しい。スティンの仕返しで深く傷ついてしまったムーレが悲しい。その仕返しを傍観することでムーレとの友情を失い、さらに、もっとも悲痛なやり方でスティンとの友情を終わらせるしかなかったビヨンが悲しい。なにもかもがいちばん悲しい形をとることになってしまった思春期に「生きることの哀しみ」を見る。しかし、そこには救いがないわけではない。ひとりぼっちの家で、父の愛人にイタズラ電話をかけつづけるスティンの姿には暗澹となるが、同時にこの少年はペットの食肉魚に呼びかけるときには別人のようなやさしい表情を浮かべている。ほんの少しでも愛情を注いでもらったら、きっとこの子だって変わるのだ、とその表情が語っている。どうか、そういう人が現れますように。ねじまがってしまったのは、スティンだけのせいではないのだから・・・・。


オールウェイズ ・・・ 「永遠の旅立ち」を前にして

予告編を二度見たら筋が読めてしまったんだけれど、スピルバーグは大好きな監督だから期待をもって観に行った。"A guy named Joe"という1940年代の映画のリメイクだそうで、クラシックでロマンティックなラブ・ストーリー。私はどちらかというと「大人の恋愛映画」は苦手なんだけど、スピルバーグ流恋愛映画となると話は別。山が燃える、飛行機が飛ぶ、おまけに主人公は幽霊というわけで、「大人の恋愛」に反応する感情回路の欠けている私でもというか、そういう私だからこそというべきか、共振作用を起こして涙々になってしまった。で、二、三日あとまで、テーマ曲の「煙が目にしみる」を口ずさみながら瞳をウルウルさせていたのでありました。

主人公のピートは森林火事の消火にあたる飛行士なのだが、恋人のドリンダのたっての願いで地上勤務に変わることにしたやさき、親友を救うために自らの命を犠牲にしてしまう。自信のなせるわざか、日頃からむこうみずなところがあって、ああ、やっぱり、といった展開なのだが、他人の命を救うためというところが男らしくて泣ける。で、死んだはずのピート、次のシーンでは消火された森の中を歩いていて一瞬首をひねるのだが、そこはもうこの世ではなく、この世とあの世の境なのか、天使が現れてひとつの任務を与える。そして、ピートはある男の守護霊になるために地上へ戻ってくるのだ。そこは自分が行くはずだった消防士養成学校で、自分の救った親友が校長になっている。で、死んでしまったというのにいたずらをしてみたり、けっこう楽しげなピートが可愛い。でも、それもドリンダが現れるまで。愛する女を前にして死者の心は乱れるのだ。

生者(ドリンダ)の想いと死者(ピート)の想いは同一画面に並置されていても交わることはなく、しかし一瞬、交わったあと、死者は永遠に旅立ってゆく。生者の追憶はもちろん切ないが、しかし、死者の未練や嫉妬を含む想いはさらに切ない。言い忘れたこと、言ったけれど届かなかった言葉をもう一度ささやく死者の姿は胸をゆさぶるが、しかし、生者のほうにも言い忘れたことはあるし、さらに、こうすればよかった、という無念さもある。そうした縄のようによじれあった切なさの二重奏に涙を流したあと、人間は結局、いっさいの負の感情を捨象して一段高い存在になれるのだ、という人間観に胸を打たれる。ピートの最後のセリフ、簡単な英語だったので耳に入ってきたのだが、その瞬間、涙があふれてしまった。自分の愛した女だけでなく、だれもかれもみな愛しいという、博愛主義にも似た心境。人間がそうした神に近い存在になれるというのはなんとも心休まる考えではないか。そして、それは私自身の願望でもあると、切ないけれどあたたかいハッピー・エンディングを見ながら気がついたのである。

ひとつつけくわえると、映画全体を貫く懐かしい雰囲気がとてもいい。リメイクのせいもあるのかもしれないが、スピルバーグは意図的に古くさい感じを残しているように思う。「荒くれ男どものあこがれの女」(ダンスのシーンが可愛い)や「人のいい太っちょの大男」といった昔の映画でおなじみのキャラクター。あるいは、デートの途中にピートのことを思い出したドリンダに「今日は帰って」といわれて、よけいなことはいわずに素直に帰って行く新しい恋人(ちょっと昔風でしょ)。彼らの生み出す懐かしさ、のどかさが、私にはなんとも心地よかったのである。


MY FAVORITE MOVIES ☆ 2.16〜4.12

いまを生きる
「自分の生き方は自分で選べ」と教える先生とそれを受け止めた生徒たちの青春。詩を読み音楽を聴く静かな私生活と型破りの授業。この先生は自分の限界を知ってしまった人間で、だからこそ生徒たちの可能性を引き出すことに情熱を傾けるのだ。私はそこに共感。で、大きな身体とあたたかい笑顔のR・ウィリアムスの先生にマイッてしまった。

ファミリー・ビジネス
期待に反して少し肩すかしだったけれど、親子三代を描くことによって、アメリカの成り立ちが透けてくるところがいい。古き良き時代に生きた祖父のS・コネリーが断然カッコいいんだけど、そんな生き方はもう許されない。でも、現実主義だけじゃさびしいよね。

カンザス
無賃乗車の貨車で知り合ったM・ディロンとA・マッカーシーの青春物語。銀行強盗をしたり、溺れかけている少女を救ったり、とけっこう波乱の多いストーリー。ディロン君は救いようのない悪ガキを好演し、マッカーシー君はいつものように清潔。そして、広々とした麦畑がいい。

フィールド・オブ・ドリームス
なにもかも捨てて夢に生きてしまう主人公と、それに反対するどころか、一緒に喜んでしまう妻と娘に拍手! で、原作を読みたくなったのだが、J・D・サリンジャーが実名で出てきたり、果たせなかった夢を追い続けることで現実にする老人が出てきたり、主人公の性格や考えが自分に似ていたりで、涙々。映画よりも好きだった。

ジャックナイフ
ベトナム帰還兵を扱ったこの映画の最大の見所は三人の主演者である。現実を拒否しているエド・ハリスは単に悲しいだけでなく、いじけてしまった子供のような可愛さがあるし、彼を立ち直らせようとするデ・ニーロは遅咲きの恋にときめくところが最高。そして兄と恋人のあいだで揺れ動くキャシー・ベイカーの繊細な女性像が素晴らしい。

ドライビング MISS デイジー
アトランタ市の25年間、ユダヤ人の老婦人と黒人運転手の間の折々のエピソードを描いて、その裏にあるドラマを観客に想像させる脚本がいい。「ニューヨーク東8番街の奇跡」の少女のようなボケばあちゃんがとても可愛かったジェシカ・タンディ、役柄はちがってもやはり素敵だ。意地悪のかげに可愛さが見え隠れしている。

ベイビートーク
赤ちゃんがブルース・ウィリスの声でしゃべる! それだけでも楽しいんだけど、テンポよし、キャストよし(赤ちゃんだけでなくオトナも可愛い、とくにトラボルタ)、音楽よし(なつかしのヒット曲)で気に入ってしまった。あとでじっくり考えると、この母親は少しいいかげん。でも、まあコメディだし、カタイこといわずに楽しもう。

恋恋風塵
台湾の侯孝賢の作品。前作の「童年往事」には、風の感触や雨の匂いが伝わってくるような映像に魅力を覚えたものの、あまりにもゆるやかなペースにとまどったのだけれど、今回はそのペースにもなじんだのか(なじむと気持ちいい)、感激した。自然の情景に仮託して綴られる、手を握ることさえなかった初恋の思い出が懐かしさと哀しさをかきたてる。


あとがき 松田優作さんの追悼放送で「蘇る金狼」を見たときに「岸田森さんも小池朝雄さんももういないのか」なんて感慨にふけったものだけど、今度は成田三樹夫さんまで・・・・。個性派がどんどん消えて行くのも時代の反映なのだろうか。さびしい限り。心からご冥福をお祈りします。



HOME INDEX