Feb.4,1990

RIVER WILLOW

第6号

1989 ベスト・テン



1989 ベスト・テン

作品ベスト・テン
1 ブラック・レイン
2 君がいた夏
3 ルーカスの初恋メモリー
4 サンドイッチの年
5 魔女の宅急便
6 バグダッド・カフェ
7 八月の鯨
9 マイライフ・アズ・ア・ドッグ
10 キッチン

女優賞 ジョディ・フォスター(君がいた夏)

痛快ベスト・スリー
1 ダイ・ハード
2 インディ・ジョーンズ/最後の聖戦
3 メジャーリーグ


音楽ベスト・スリー
1 ホームボーイ
2 魔女の宅急便
3 八月の鯨

男優賞 松田優作(ブラック・レイン)

1989年は小さいけれど温かい世界にたくさん出会えて幸せだったし、痛快このうえなしのアクション映画もあってうれしかったけれど、これぞベスト・ワンという作品がないなあと思っていたら、観る前から興奮(監督がリドリー・スコットだし、優作さんが出てるし、大阪が舞台だし・・・・)していた「ブラック・レイン」が大当たりで大興奮、文句なしのベスト・ワンとなった。その後、優作さんの急逝によって我が生涯の心情的ベスト・ワンにもなってしまったのは悲しいことだったけれど・・・・。とにかく、いちばん心を奪われた作品が「ブラック・レイン」だ。

「君がいた夏」にはおおげさに言えば、人生のひとつの真実に気づいたという思いがした。人はいろいろなもの(愛する人、情熱や希望、そして単に物とかも)を失いながら生きて行く。いいかえるならば、生きて行くというのは何かを失って行く過程なのだ、という泣きたくなるような事実。しかし、死者の残した想いを受け止めることはできるし、輝くような思い出が消えることはない、というのもまた事実である。 生きている者が想い続けるかぎり、死者もまた生き続けるのだ。人間の生というのはその繰り返しなのかもしれない。

「ルーカスの初恋メモリー」で主人公が失うものは初恋である。自分にも覚えのあるときめきや切ない想いが、とてもみずみずしく描かれていることはそれだけで感激だったけれど、そのうえ、ルーカス君は頑張りに頑張って、「頑張る男」が大好きな私の胸を熱くしてくれた。

「サンドイッチの年」のヴィクトールもまた「頑張る少年」だったけれど、まわりの社会の圧力によって、頑張らざるをえない境遇にあるというのが悲しい。しかしだからこそ、そんな彼に差し出されるやさしさがひとしお身にしみて、人間はひとりじゃないんだって、涙を流しながらも温かい気持ちになれたんだと思う。

「魔女の宅急便」の田舎から都会に出てきた魔女のキキは、おしゃれな女の子がうらやましかったりする普通の女の子。むしろ、空を飛べることを除けば普通の女の子以上に昔風で、やさしさに敏感に反応する。この子にとっては、人の気持ちが伝わらないのは、落ちこんで病気になるぐらい悲しいこと。でも、私たちだって本当はきっとそうなんだよね。

「バグダッド・カフェ」と「八月の鯨」は、ふたりの人間のあいだのわだかまりが消える瞬間が好きだった。「バグダッド・カフェ」では、何もかもが気に入らなくて、いつもツンケンしているブレンダ(こういう人っているよねえ、とおかしかった)が、「私には子供がいないの」というジャスミンの言葉にふと心をやわらげる。「八月の鯨」では、ひとの手を借りなければ生きて行けない自分に苛立ち、いこじになっていた姉(こういう人もいるけれど、こちらは切ない)が、妹の真意を知って心をやわらげる。かたくなな心が溶ける瞬間を見ることができるのも、映画のよろこびのひとつだなあ。

「ホームボーイ」については、私はなぜか回転木馬が好きでたまらないので評価が甘くなったかもしれない。でも、手放しのセンチメンタルが気持ちいいことだってあるんだ。そこに熱い想いがこもっていれば・・・・。

「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」は、ひねくれてしまってもいい状況にあっても、なお明るい方に心の向かう少年がいとおしかった。そして、少年を取り巻く人間たちの描写も傑作で、人間っておもしろいねえ、人間っていいねえ、って感じ。

「キッチン」は吉本ばななの原作が好きなので、イメージにあわないところもある(男の子はもっと髪の短いさわやかな子でないと・・・・)けれど、映画は映画なりに、あたたかくて、やさしくて好きだった。男のお母さん(橋爪功)がホントに出てくるんだから、すごいな。

4位まではかなり思い入れが強く動かないが、5位以下は順不同で痛快ベスト・スリーもこのなかにふくまれる。好きな作品が多くて十本では収まりきれなかったので、こういう形をとることにした(自分の雑誌だもん、好きにやっちゃう)。個人的には「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」のノンビリ・ムードと精神主義(宝よりも光)がやたら好きだったけれど、1989年の気分としては「ダイ・ハード」がやはり上。映画はどこまで面白くなれるのだろうか、といった感慨を覚えたりもした。そして「メジャーリーグ」の愛すべき男たち。そういえば、この三本に出てくる男たちはみんな「頑張る男」たちで、ホントにとっても可愛かった。もちろん、若き日のインディ、リバー・フェニックスもふくめて・・・・。


ある日、どこかで 2

去年の12月24日に見た「ヨコハマBJブルース」がやたら気に入ってしまって、もう一度、それを見ながら年を越すことにした。辺見マリがもっといい女だったらなあ、なんて思ってるうちに、終マークが出たのは1月1日の0時3分。大晦日だもの、寝るにはまだ早い、というわけで、「あばよダチ公」のビデオも見ることにした。

十五年ぶりの再会。当然のことながら、優作さんは若い。若いだけにほんの少しだけ気負っている。その気負いの証明のようなオーバー気味の表情、ドスのきいた声が、今だからこそやけに愛しい。

冒頭、「すっかり変わっちまったぜ」というセリフを吐くのが「浦安」駅前。まだディズニーランドなんて影も形もなかったこの町で、優作の父ちゃんは、魚場の補償金という持ちなれない大金を、一銭残らずバクチですったあげくに蒸発。一度は手にした大金がアッというまに消えてしまうのを見たんだから、まじめに働く気になんかなれねえよと、優作は強盗・殺人未遂で三年の懲役。「網走番外地」のようなヒドイ目には合わなかったにしても、それなりにツライ日々を過ごして出てきたところである。

しかし家に帰ったところで、家族がやさしく迎えてくれるわけじゃない。こういう時はやっぱりダチだよなと、昔の仲間に会いに行く。初めから終わりまで「やりてえな、あれ、やりてえな」と言い続ける佐藤蛾次郎(言うだけじゃなくて、あとでやる。ロマン・ポルノ全盛時代の日活作品だけに一般映画といってもかなり猥雑なのだ。そして、あの頃はそれが「力」だった!)。漁師からトラック運転手に転身したものの、仕事がキツクて身体がガタガタの河原崎健三。そして「最近、率が悪くてねえ」とこぼすパチ・プロの大門正明である。

この四人組があっちこっちで騒ぎを起こしながら、最後にめざすのが山の中のダム建設現場。そこで最後まで頑張っている山本麟一の娘、加藤小夜子と優作が結婚して、補償金をガッポリいただこうという腹だ。しかし、世間はそんなに甘いもんじゃない。公団側に雇われたヤクザに脅され、スゴスゴと故郷をめざす四人組をカラスまでがあざ笑う。

俺たちゃ、これでいいのか? チンピラにはチンピラの意地がある! 情けないながらも、捨て身の奇襲作戦が功を奏し、ヤクザを人質にとったのもつかのま、警察に包囲されて「武器を捨てて出てきなさい」。ヤクザには勝てても、国家権力が相手では勝ち目はない。「武器を捨てずに出てゆくから、逃走用の車を用意しなさい」と冗談のひとつも叫ぶぐらいが関の山。催涙弾が打ちこまれる。建物を破壊するために鉄の球が飛びこんでくる。もはや、これまで! しかし、そこで優作が「おい、ヤギだ」の一声を発するのだ。そして、四人は猛然と一万円札を食いはじめる。食って、食って、食いまくって、腹一杯になったところで、鉄の球にぶらさがり脱出。川を泳いで、自由の天地に辿り着く。

昔は高揚したんだよね。人を食った万札早食いシーンで拍手、川を越えたところで「やった!」、そして、「金はしこたまあるし、これからのことは明日考えよう」とノーテンキに去って行く四人組を微笑みで見送ったって感じ。そういう時代だったんだなあ。今見ると、「ここは日本だぜ、川ひとつ越えたぐらいでそんなに安心してしまっていいのか」なんて心配してしまうし、「そもそも、これは四人の夢だったんじゃないの」と悲観的にもなってしまう。

でも、もしかしたら、あの時もやっぱり夢だったのかもしれない。強引に夢を現実にできるほど、こっちも若かったのかもしれないと、その熱気を思い出したりもして、それだからこそ、なおさら愛しいチンピラたちなのであった。

最後に一言。優作さんは「絵になる男」だ。寅さんのような格好(初めて見た時は何これ? と思った)で突堤の上を歩き、石を投げる、それだけのシーンがやたらキマッているのである。マイッたな。


あとがき 去年の夏に少し翻訳のお手伝いをした「アメリカの分裂」("The Great Divide" by Studs Turkel)が晶文社から出版されました。アメリカのさまざまな人々の声を収めたインタビュー集なのですが、私が担当したのは、「富」に関するきわめて今日的なパートで、「再会の時」のケビン・クラインや「ワーキング・ガール」のメラニー・グリフィスを思い出させる人もいました。興味のある方は覗いてみてください。



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