Dec.30,1989

RIVER WILLOW

第5号

追悼・松田優作



スゴイうえにスゴイヤツ

失ってからその大きさに気づくということがあるものだが、私にとっての松田優作がまさにそれである。デビュー当時からのファンといっても、常に彼を見守りつづけていたわけではなく、映画自体を観なくなった時期もあれば、他の俳優に熱をあげることもあった私は、この十六年間、彼には何度も驚かされることになった。そして、最大の驚きと喜びを与えた直後に、本当に突然、逝ってしまったのである。

最初は信じられなかった。新聞の記事を見たあとでも何かのまちがいではないかと思った。そして、くつがえすことのできない事実だとわかったあとは、ただもう涙々。優作さんの出ているものなら、何を見ても泣いた。何も考えられず、何をする気にもなれず、頭が空白になると彼の姿が浮かびまた涙、という日々を過ごした。しかし、時がたつにつれて、悲しみが減るというわけではないけれど、悲しみに慣れるというのか、だんだん普段の自分に戻ってゆく。彼を忘れてゆくようで、それがまた悲しかった。でも、絶対に忘れられない。その死の無念さはますます重みをまして、本当にかけがえのない人を失ったんだと、今でも涙が出るぐらい切実に感じている。

ちょうど十年前のことになるが、「遊戯シリーズ」の二本立てを観に行った時、私の後ろに座っていた高校生のグループのひとりが、「最も危険な遊戯」のクライマックスに「コイツ、ホンマによう走りよる」とつぶやくのを耳にした。本当にこの映画の中の鳴海昌平は、走りに走ってファンの心を熱くしたが、思えば、俳優・松田優作はそれ以前もそれ以後も走りつづけていたのではないか。どこか無意識のなかで、彼は、自分が夭折することを知っていたのかもしれない。俺には時間がないんだと、心のすみで感じていたのかもしれない。その生き方をふりかえると、そんなことを思ったりもする。

近年は仏教に帰依していたときくが、それも病からの救いを求めてではなく、俳優としてもっと高い所へ行くためだったという。よく暴力沙汰を起こしていた、問題児のイメージが強かった私などには本当に驚きで、その精神的成長を知ってまた涙、というありさま。そういえば、「探偵物語」で優作熱が復活したあとコンサート(1985年5月25日、フェスティバル・ホール)に行ったことがあるが、曲の終わりごとに合掌していた姿を思い出す。その時は何も知らなかったから、ただのポーズかなと思ったんだけれど・・・・。

とにかくその個性だけでも、私にとっては充分すぎるほどの魅力であったが、その後の努力と成長、そして病をおしての「ブラック・レイン」での快演と、最後の最後までほんとうに「男」だったな、「スゴイ(個性、才能)うえにスゴイ(精神力、精進)ヤツ」だったなと、ため息をついているのである。


ある日、どこかで・フィルモグラフィー

狼の紋章(73・東宝) 未見

ともだち(74・日活児童映画) 未見

竜馬暗殺(74・ATG) 「太陽にほえろ」は見たことがなくて、今はなき北野シネマで観たこの映画で優作さんに出会って好きになった(んだと思う)。この年の私の日本映画ベストテンの一位。長い刀を腰に差し、一言も口をきかない「人斬り優作」は、モノクロ画面のなかでやたらカッコよかったのであった。実は、それ以外のことはあまり覚えていないのだ。

あばよダチ公(74・日活) 優作さんが初めて主演した作品。私の日本映画ベストテンの第二位(つまり、1974年は優作さんの出演作が一位、二位を占めたわけ)。常識もものの道理もわきまえないチンピラたちが右往左往。そういう存在を許容しない世間様に痛い目にあわされる。ところが、どっこい・・・・。優作さんは当然チンピラたちのリーダーなんだけど、人望があるわけじゃなくて、体格と腕力にものをいわせたという感じ。翌年の1月2日に、今はなくなってしまった石橋劇場という邦画三本立ての汚い映画館で再見。「神さま、仏さまにお参りする趣味はないので、優作さまに初詣」と友人への手紙に書いたことを覚えている。

ひとごろし(76・大映) 未見

暴力教室(76・東映) 数年前にTVで見たことがあったが、11月10日の追悼放送で再見した。優作さんは何と高校教師。といっても、大学時代にボクシングの対戦相手を死なせてしまった経歴があり、その腕を買われて校長と理事会に雇われたもの。つまり、学園内にはびこる暴走族の一掃がその任務なのである。しかし、そんなことを考える教育者が立派な人間であるわけがなく、クライマックスは優作と暴走族が一丸となって権力者を相手に大乱闘。その暴走族のリーダーが映画初出演の舘ひろし。たぶん地なんだろうけど、そのスネた目がなかなかの雰囲気。そしてラストがキマっているのだ。警察のお迎えに優作は携帯容器の酒をグイと一口、舘はリーゼントに櫛を入れる。

人間の証明(77・角川) 功罪あいなかばした角川映画、この頃は反感を持っていたので、映画館では観ていない。昔TVで見て、12月28日のTV放映で見直したけれど、悪くないよね。物語がヒューマニスティックだし、ニューヨーク・ロケもいい。そして、一世を風靡した主題歌の「ママー、ドゥ・ユー・リメンバー?」がやはり泣ける。

探偵物語(TV) 遊びの要素が多い画期的なTVドラマだったと思う。突然女言葉になっちゃうような探偵も、優作さんだとカッコいい。優作さんは「カッコよさ」の概念を更新しつづけた俳優だといえるかもしれない。どんな役でもカッコよくなってしまうからね。ヘンな家庭教師だって、生活に疲れた中年探偵だって・・・・。確か途中からだったと思うんだけど、優作さん自身が次回予告をするようになって、いかにもノッテる感じのナレーションが大好きだった。あの次回予告つきで再々放送を望む。

最も危険な遊戯、殺人遊戯(78・東映セントラルフィルム) 映画ファンの喝采を博したB級アクションの快作シリーズ。私は評判を聞いて翌年の1979年4月23日に観た。当時は京都に下宿していたんだけど、イヤがるボーイフレンドを大阪堂島の毎日ホールまでひきずっていった。で、帰りは「おもしろかった」の大合唱。主人公の鳴海昌平は、金も女もいらない(報酬の額は能力の代価だから重要であるが)、仕事がヤバイほど燃える(危険な罠=素敵なゲーム)という殺し屋。でも、普段は世間をおちょくっているようなダメ男。そのストイックな殺し屋はまさに私の好みなんだけど、優作さんのダメ男ぶりがまた傑作で頬がゆるんでしまう。

蘇る金狼(79・角川) 同じボーイフレンドと、これは京都(9月5日・美松劇場かな?)で観た。で、帰りは空港での優作さん(足がガクッとなるところ)をまねしたりした。あまり印象に残っていなかったんだけど、11月10日の追悼放送で再見したら、おもしろいのでビックリした。はねまわる優作さんとクセ者ぞろいの脇役陣が楽しい。

乱れからくり(79・東宝) 未見

俺達に墓はない(79・東映セントラルフィルム) 88年の1月2日に、毎日放送が「松田優作ナイト」と銘打って、オールナイトで「殺人遊戯」「処刑遊戯」とこの作品を放映した時に見た。優作さんと岩城滉一と志賀勝が大金の入ったカバンの争奪戦。それを横取りするのが紅一点の竹田かほり。かほりちゃんはTVの「探偵物語」のレギュラーだったし、「殺人遊戯」でも共演してるし、うらやましい。全体の感じはC調なんだけど、心ならずも優作さんが男ふたりを殺すはめになる苦さもあるので、かほりちゃんを置き去りにしそうでしないラスト・シーンがいきる。

処刑遊戯(79・東映セントラルフィルム) 「遊戯シリーズ」の第三作で、これも毎日ホール(こういう映画たちこそ、正規の料金を払って封切館で観るべきだった、と今は思うんだけど)。前二作とちがって、この鳴海昌平はあくまでクール。これはこれで悪くないけど、私の好みとしてはもっとバカをやってほしい。で、このシリーズでは、ダメ男の部分が一番多い「殺人遊戯」が一番好き。

レイプハンター(80・にっかつ) 未見

薔薇の標的(80・東映セントラルフィルム) 未見

野獣死すべし(80・角川) 毎日ホールで観たような記憶がかすかにあるんだけど、全然印象に残っていなかったので、12月30日にビデオで確認した。意欲作だと思うけど、なにしろ主人公が「ビョーキの人」だから爽快感がない。好きじゃない映画なので、すっかり忘れたのだと思う。ただし、減量して頬のこけている優作さんは少年ぽくて好き。

ヨコハマBJブルース(81・東映セントラルフィルム) 87年1月に関西TVの放映(室内アンテナで画像が悪かった)を見たことがあるが、12月24日にビデオで見直した(で、とうとうレンタル・ビデオの会員になってしまった)。夜は酒場でブルースを歌う、しがない探偵が主人公の和製ハードボイルド。深い喪失感の漂う「男の世界」。ややこしい男女関係はもういらないといった感じで、年下の男の子と犬のようにじゃれあうシーンが泣かせる。そしてラストのひとりぼっちのお葬式。このふたつのシーンには、人間・松田優作の核に存在するやさしさがかいまみえる、という気が私にはした。優作さんは思い切りナルシスティックになるかと思えば、ウンチが出なくてリキむシーンもあったりして、ホントに不思議な人。私が思うに、自分のことがよくわかってた人なんじゃないかな。で、その自分に自信もあるという・・・・。だから、どんなブザマなこともやっちゃえるのだ。「オレはオレだ、文句ある!?」って感じよね。優作さんの歌もたっぷり聞けるし、酔える。これはホントに大好きな映画。

陽炎座(81・シネマプラセット) このあたりの清順さんの映画はよくわからない。観ながら、私って頭悪いのかな、と思ったような気がする。でも、退屈というわけじゃない。非常に美しい映画だった。そして、優作さんにとっては演技派への第一歩となった作品。

家族ゲーム(83・ATG) 今はなくなってしまった阪急プラザ劇場で観たんだけれど、すごく気に入った「転校生」と二本立てで見たせいで、それほど好きな作品ではない。で、TV放映のビデオもあるけれど、全体を通して見ようという気にあまりならない。でも時々、優作さんを見て楽しんでいる。何度見ても、おかしいのよね。

探偵物語(83・角川) 実は昔は薬師丸ひろ子ちゃんが嫌いだったので、この映画もなかなか見る気にならなかった。しかし、84年の8月、毎日ホールの角川映画まつりで観て大感激(ひろ子ちゃんも私のアイドルになってしまった)。で、その翌年の角川映画まつりでまた観た。それ以外にもTVで三回。でも、ラストの十五分は何度見ても泣いてしまう。とくに11月29日の放映で見たときには、優作さんに感情移入してしまって、「空港に行かずにはいられなかった、キスせずにはいられなかった、抱きしめずにはいられなかった、でも、最後は距離をとらざるをえなかった中年男の純情」に涙。

それから(85・東映) この映画はちゃんと封切りで観た(11月・梅田東映パラス)。お話が気持ち悪くてあまり好きじゃないんだけど、森田芳光流の明治の雰囲気と優作さんの男ぶりには完全に参りました。

ア・ホーマンス(86・東映) 優作さんの監督作品。封切りで観た時(10月16日・梅田ピカデリー2)には「ひとりよがりだなあ」と思ったんだけど、11月12日の追悼放送で再見したら、「すべての感情を喪失した男、しかし、それでも残ったやさしさ」が心に響いて泣けた。「つごうよく態度を変えるな」と怒られるかもしれないけど、感動したのは事実なんだからしようがないよね。ひとりよがりの向こう側を見通すことができなかった、自分の愛情の程度を悔やんでおります。スモークの漂う真っ赤な画面に、バイクに乗ったストレンジャーが姿を現すオープニング、そして走り去ってゆくラストが「伝説の誕生」といった感じでカッコいい。

嵐が丘(88・西友) 監督・吉田喜重、共演・田中裕子、愛に狂う物語、で敬遠。12月24日にビデオで見たけれど、やっぱりおもしろくなかった。こんな映画は嫌いだ。

華の乱(88・東映) 配役は豪華だけれど、焦点の定まらない大作。見る気がしなくて、今年の1月14日に毎日ホールでやっと観たんだけど、優作さんの有島武郎はよい(他の俳優さんも悪くないが、統一感がないのだ)。私は浅学にして何も知らなかったんだけれど、有島武郎は大地主で、個人的に農地解放をしてしまうような人だったんですね。その「優しいけれど、強くはない知識人」が時代に負けてしまう悲劇は胸にせまる。

ブラック・レイン(89・パラマウント) 12月6日に北野劇場で再見。スクリーンに「YUSAKU MATSUDA」の文字を見た時には涙が出たけれど、優作さんが出てくると泣いてはいられない。「少しでも見逃すと損をする」という、やはりスゴイ演技。前回は総体としての「コワさ」に圧倒されたけれど、今回はとくに優作さんに注目していたので、佐藤浩史という「コワいヤツ」を構成している、部分的な要素が少しは見えたという感じ(見ている時は夢中だったけど、あとでそう思った)。優作さんは思いのままに動いているようで、やはり楽しげです。そして、当然のことながら、佐藤浩史もほれぼれするほどカッコいい。


再録

[知りあった頃]だから私は(きっと怒るだろうけど)「吠えない犬」って感じがしたんだけど、血統がよくて、でも、あまり食べなくて痩せている犬。何か、精神的に座禅組んでいるような犬なの。ホラ、大きいから耳なんかひっくり返されたり、つい、いじられたりしゃうんだけど、「怒らない」という感じだった。だから、皆あまり図に乗っていると、いつか吠えられるぞと思っていたら、ある日突然、彼は松田優作になったんです。

(中略)

社長の誕生日はスッポかしても、仲間の照明さんやカメラマンの誕生日は忘れなかった。そういう男の人ですよね。役者として自分にも他人にも厳しかった。そのかわり傷だらけで、いつもいい姿勢で立ってたんじゃないですか。(桃井かおり、週刊朝日12月1日号)

彼は映画に対してまじめ過ぎるくらいまじめだから、少しでもいい加減な要素があると、カーッとなるわけ。作品[人間の証明]全体についてもいろいろあったからね。こっちは助監督で、とにかく監督を助けてフィルムを作る立場でしょう。ある部分で妥協してやったらいいんじゃないですかって言ったんだけど、優作氏はダメなんだよね。妥協を許さないんですよ。「こんなやり方じゃさあ、いい映画なんてできないよ」ってカーッとなっちゃう。それで揉めたりしてね。(葛井克亮、CREA2号)

四十年医者をやってますが、彼のような患者は初めて。まさに男の中の男でした。(主治医・山藤政夫、週刊読売11月26日号)

けれど世間っていうのはおかしいよな。松田優作の死に関しても天皇崩御みたいなフォーマットで「やさしい人柄」とか、「ガンで死んじゃって可哀そう」っていう風にするんだなぁ。そういうこと一番似合わない人だったでしょう。「芸能界」や映画産業に一定の距離をとりながら、戦ってた人に僕には見えるな。(えのきどいちろう、週刊文春11月30日号)

丸ごと役者の人だったからね。やっぱり血液まで自分で変えられる役者さんているんですよね。優作さん、もしかしたら演じている時は血液まで変わっていたかも知れないね。レプリカントみたいな手、ゴム手袋みたいで血管が見えないの。それこそ、神の大いなる意思によって、俳優になるように選ばれてしまった人なんじゃない。(筒井ともみ、CREA2号)


あとがき 今、現在の松田優作への想いを文章にして残しておきたかったのですが、この時期にミニコミ誌を発行していたことも何かの縁かもしれないと思い、追悼特集号を出すことにしました。

ある人間の死に対する悲しみというのは個人的なものだと思いますし、他人に悲しみを押しつけているようで気がひけるのですが、この想いをわかってほしい、という気持ちがあるのは否めません。それほど衝撃が大きかったというか、「どうして、あんなに頑張っていた優作さんが・・・・?」という思いは今も消えません。(12月16日・記)

12月16日に一度編集を完了したのですが、それからビデオを見直したりしているうちに、書きたいことが出てきて、かなり書き足しました。映画の中の優作さんはいつもキラキラと輝いていて、その生き方の成果をちゃんとフィルムの上に残していると思います。それを見ているうちにやっと元気が出てきたみたい。今は、いろいろたくさんの思い出をありがとう、という心境です。でも、まだ嘘みたいな気もします。(12月30日・記)



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