RIVER WILLOW
第4号
愛は霧のかなたに/ブラック・レイン
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愛は霧のかなたに ・・・ 代理戦争、本当の敵は? |
シガニー・ウィーバーは好きじゃなかったんだけど(あまりにも強い女という感じがして)、彼女の演じるダイアン・フォッシーには感情移入してしまった。ゴリラが好きだからという理由で、ゴリラを研究する博士のもとにおしかけて調査員となり、アフリカの山中で現地人のガイドとともに暮らすアメリカ人のダイアン。どこがよかったかというと、自分にとってかけがえのない世界を見つけてしまった人間のキラキラとした輝き。自分の身の危険など意に介さず、ゴリラの群れにはいりこみ、一心にその身振りをまねる姿は実に魅力的で、家庭のあるカメラマンがすぐに魅かれてしまうのも納得できる。ある意味で、とても幸せな状態にあるわけだが、それがまわりの社会の圧力によって狂気に変質してゆかざるをえないのが、切なく、悲しく、こわいのである。
自分の愛するものだから、彼女にとってはゴリラに近づくことに恐れはなかった。そして、それほどゴリラを愛しいと思っている人間が密猟者を許せるはずはない。彼女にとってはゴリラはたかが動物ではなく、ゴリラと人間は等価値、いや、愛している分だけ、ゴリラの方が大切だったのだ。
原住民の部族が生きてゆくために、ゴリラを殺すことはやむをえなかったのだろうか? 貧しい国の貧しい人々を救うためにゴリラは犠牲にならなければいけないのだろうか?
しかしもっと重要なことは、金のためにゴリラを殺すことも辞さない人間の存在である。自分が物質的な満足を得るためには何でもする、という人間が悲劇を生み出すのだ。そして例によって、その人間は文明国のすでに物質的に何不自由のない人間なのである。原住民の密猟者もまた、こういった人間の搾取によって人間性を剥奪された犠牲者であるといえるかもしれない。だからダイアン・フォッシーの狂気が彼らに向かう時、やるせない気にもなるのであるが・・・・。本当に、こういうことはもういいかげんにしてもらいたい。単なるお金のためなんかに!
一頭のゴリラを自分と同じかけがえのないものであると思える人間と、金を儲けるためには殺したっていい物質であると思える人間の対立。根本となる世界観が異なるわけだから、理性による理解など生まれるはずがない。その結果、ダイアン・フォッシーは「私のゴリラ」を守るために、孤立無援の狂信者になってゆかざるをえない。そして、狂信者のダイアンがいなかったならば、ひとつの種族がこの地球上から姿を消していたかもしれないという世界。この今の世の中の成り立ち全体が悲しい。人間も動物も、みんな幸せになれたらいいのに。
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ブラック・レイン ・・・ R・スコットのワンダー・オオサカ・ランド
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スゴイ、スゴイ! ホントにスゴイ! と、めいっぱい興奮してしまった。いろいろな要素が渾然一体となったこの映画、ホントに陶然としてしまった。映像がいい、アクションがいい、役者がいい。そして、ニューヨークの灰色デカが精神的に成長するという物語もいい。
アンディ・ガルシアが出ているので、つい思い出してしまう「アンタッチャブル」。あの映画に勝るとも劣らない興奮である。しかし、禁酒法時代を描く「アンタッチャブル」が、どこか明るく突き抜けて「アメリカの青春時代」といった趣があったのに対し、現代のニューヨークと大阪を舞台とするこの映画は終始、暗くよどんだ薄闇のなかで進行し、今、現在の気分、さらには時代の哀しみといったものまで感じさせる。
それにしても、カメラによって変貌する風景に驚嘆した。たとえば「ブレードランナー」ならば、どこにもない世界を創り出すわけだから、好きなように作ることができる。しかし、現実に存在する風景がスクリーンにどこにもない世界のように映るとは・・・・。自分の知っている場所だけに、その衝撃は大きかったのである。そして、「映画はフィクション」という言うまでもない事実を再認識したというわけだ。映画はフィクション、しかし、ひとつの真実である。ひとつの真実を生み出すために、完璧なフィクションが構築されるのだ、と七面倒臭い理屈をこねているのは、今、ワープロに向かっている私であって、梅田スカラ座でスクリーンに向かっていた時の私は、ただ目前のワンダーランドと化した大阪のイメージに翻弄され、映画的快感に身をゆだねていたのである。
そしてラストに近づき、スクリーンのなかで拍手がおこった時、私も拍手をしたい気分になった。ふたつにひとつの選択だけど、そこには無限のへだたりがある。灰色デカの一瞬の選択に感動したのである。ひとつのハードルを越えた心に感動したのである。
俳優のなかでは、やはり松田優作さんが抜群。権力欲だけでは割り切れない、あの破滅性を感じさせるヘンタイヤクザはすごかった。それを楽しげに怪演しているのが、年来のファンである私としてはうれしかったのである。正反対の男を結びつける触媒となるアンディ・ガルシアの無垢な明るさは愛しかった。近年はただ耐えるだけでつまらなかった健さんもいい。なにしろ、レイ・チャールズの歌までカラオケしてくれるんだから。そして、いつもはただうっとおしいだけのマイケル・ダグラスまでが男の哀愁してしまって、私、ふと心が動いてしまった。ヤクザのアジトで怒りを爆発させるところ、うどんを食べながらの健さんとのシミジミ・シーンは思わず涙! で、やっぱり「男の世界」ってたまらない、こんな映画が観たかったんだ、と気がついたのである。
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青い影 |
人はさまざまなものを失いながら生きて行く。記憶さえもその例外ではない。少し暗い書き出しだけど、映画に出てくる古いヒット曲のお話です。50年代の曲だと、聞いたことはあるけれどタイトルは知らないというのが多いけれど、60年代あたりになると「この曲、知ってる」で、思わずうれしくなってしまう。ところが、どのグループが歌っていたかになると、高校時代はポップス少女だった私も、思い出せずにイライラすることがしばしば。最近、ショックだったのは「1969」の冒頭に流れる「When I was young」。最後のクレジットを見るまでアニマルズの名が思い出せなかった。ビートルズの次に好きだったグループなのに・・・・。それから今でも気になっているのが、「メジャーリーグ」でチャーリー・シーンの応援歌になっていた「Wild Thing」。歌詞の一節を覚えていたにもかかわらず、グループ名が思い出せないのである。「ニューヨーク・ストーリーズ」や「ベイビー・イッツ・ユー」に出てきた「青い影」はプロコム・ハルムの曲。記憶していたのがうれしかったので、タイトルにしてしまった。
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MY FAVORITE MOVIES ☆ 9.2〜10.28 |
背信の日々
ユダヤ人のDJを殺し、黒人を獲物に狩を楽しむ白人優越主義者の小農場主たち。「下劣な差別主義者」と非難することは簡単だけれど、個人的に見れば人のよい善良な老農場主たちが「息子はベトナムで死んだのに、わしの土地はユダヤ人の金持ちに奪われた」と嘆く時、複雑な気持ちになる。憎むべきはユダヤ人とか黒人とかの個人ではなく、そういうシステムを生み出している社会だと思うのだが、その憎しみが自分の手の届くものに向けられてゆく過程がこわい。ではどうすればよいのか、と言ってみても答えは出ない。私たちの手に負えないレベルで間違ったボタンが押されているような気がするが、そういう世界で生きて行かなければいけない以上、人と人との信頼とか理解とか強くしてゆく意外に道はないのだろう。その信頼がラストに提示されるのが救いである。
誰かに見られてる
ふたりの女の間で揺れ動く男の純情が切ない。タフな外見とはうらはらに、妻に問いつめられると泣き出したり、自分の感情をいつわれない、嘘のつけない男を演じるトム・ベレンジャーがいい。
死への逃避行
次々と殺人を犯す美女とその女を追う探偵。離婚した妻との間にできた、顔も知らない娘に先立たれた探偵は、しだいにその女を娘のように思いはじめる。そして、女が汚れて行くのに耐えられなくなった探偵は・・・・。その探偵の一人称で進行する物語はどこか妄想じみて、どこまでが現実なのか判然とせず、美しい悪夢を観たという印象である。
バグダッド・カフェ
一見ただの太ったおばさん、だけど天使のような女ジャスミンがふたつのマジック(手品と、人の心を溶かすという魔法)で家族を再生させ、自らもその一員になるというお伽話。その家族のような親しさが気に入らないと出て行く女もいる。もめ事が起こりそうになると目を輝かせるイジワル女。私にはそういう一面もあるかもしれない。しかしともかく、ラストの「毎日がショータイム」はこの世の天国みたいで涙があふれた。風の吹く砂漠のカフェで、臨時の家族が肩よせあって。
キッチン
ひとりぼっちの女の子に無条件に差し出されるやさしい世界。それはどこか普通でない人々の生み出すあたたかい世界。その世界にはセックスなんて存在しないみたいで、セックスが重要性をもたない爽やかさが、今のはしたない世の中でとても気持ちがいい。女の子の作る料理を心からほめるふたりのオカマさん(橋爪功と中島陽典)がやさしくてかわいい。風町行きの市電が走っている街、見ている間どこだろうと思っていたら、函館だった。風の吹く北の街で、臨時の家族が肩よせあって。
あとがき 一作目より面白いと評判の「リーサル・ウェポン2」を観て驚いた。何と麻薬のシンジケートのボスが南アフリカ共和国の領事なのだ。こんな設定にしてもいいの!? と、複雑な気持ちで見ていたのだが、権力をかさにきるというのは私の一番嫌いなことで、最後はつい「やっちまえ!」と力がはいってしまい、人間なんてホントに単純な生き物だと実感いたしました。まあ、それをのぞけば面白い映画なのよね。すごい見せ場の連続で。そしてアクション以上に面白いのが、やたらおしゃべりのゲッツという男の存在。で、結論はやはり人間が一番面白い(景山民夫に似てる悪者ナンバー2もおもしろこわかった)。でも、一作目のほうがずーっと好き。 |