Apr.25,1989

RIVER WILLOW

第2号

サンドイッチの年/ロボコップ



サンドイッチの年 ・・・ 本と映画で深まる友情

昔から男の世界が大好きだったけれど、「スタンド・バイ・ミー」以後、男の子の世界も好きになってしまった。少年たちが泣いたり、笑ったり、傷ついたりするのを見るのがとても気持ちがいい。なぜだろう。女に対する愛情のために友を裏切ることがない、というのがひとつの答えになるかもしれない。そして私たちより何倍も大きい心の揺れ。少年映画を観る喜びは、感情の諸相を見ることだといってもいいかもしれない。少年たちと一緒に泣いたり、笑ったりしながら、その感情移入している自分を楽しんでいる、もうひとりの自分がいる。その状態が心地よいがゆえに、同じ映画を何度もくりかえし観たくなるのである。「サンドイッチの年」もそういう映画のひとつだった。

そしてここには人と出会うことの喜びも満ちている。身寄りのないユダヤ人の少年の1947年の出来事。その夏、十五歳のヴィクトールはひとりの友を得、やがて彼を失い、そしてひとりの家族を得た。

地下鉄の駅のベンチに腰を下ろしていたヴィクトールは、同じ年頃の少年の後を追った。両親がナチスに連行された後、預けられていた家を飛び出しパリに来たものの、地下鉄の乗り方も分からなかったのだ。声をかけられたフェリックスは人のいい金持ちの坊ちゃんで、途中まで一緒に行こうと言う。境遇は違っても少年どうし、すぐに話がはずむ。

「ドス・パソスの『マンハッタン・トランスファー』、最高なんだ。誰も知らないけれど」
「読んでみたいな」
というヴィクトールの答えに、本を差し出すフェリックス。
「二冊持ってるからいんだ」
自分の愛するものを他人にも理解してもらいたい思春期特有の行動が切ないほどに懐かしい。そして乗換駅で降りそこねたヴィクトールを、フェリックスはタクシーで目的地まで送り、電話番号を教えてやる。彼はヴィクトールの中に、かばってやりたくなるような何かを見たのだろうか。

しかし尋ね人はすでに亡くなっており、途方に暮れて町をさまよううちに見つけた一枚の求人札。ここにもヴィクトールをかばってやろうとする人間がいた。だがそのユダヤ人の古物商マックスはフェリックスほど素直ではない。その人生で相当ひどい目にあってきたであろう老人は、屈折したやり方で優しさを見せる。この老人が二十年後のビートたけし(顔の造りも似ているし、雰囲気がソックリ)といった感じで面白い。

一冊の本によって生まれた友情は一本の映画によって深まる。本も映画も好きな私には(そしてあなたにも)たまらない物語。二度目に会った時、同じ感動を分かちあった少年たちは分かれがたいほどの友情を感じるのだが、このあたりの描写がなかなか素敵だ。まるで初恋のような・・・・。

しかし世間知らずのフェリックスが少年らしい冒険心を起こしたために、ふたりの友情はもろくも壊れてしまう。私はこのエピソードに入るところでドキッとした。フェリックスが死ぬのではないかと思ったからだ。そんなのイヤだと、思いながら観ていて、結局、死ななかったのだけれど、考えてみれば、生きている友達に背かれるほうがもっと辛いかもしれない。両親を失い、ただひとりの友を失ったヴィクトール。しかし今は慰めてくれる家族、マックスがいた。そしてその慰め方が滋味深いのである。


ロボコップ ・・・ 脳天気な未来における悲しみ

キネマ旬報読者のベスト・テン第一位。遅ればせながらビデオで観ることにした。予告編の印象からすると痛快SFバイオレンス・アクション、手に汗握る面白さを期待こそすれ、涙とは無縁と思っていたのだが、不覚にも私は泣いてしまった。

ロボコップが相棒だった女警官ルイスにアイデンティティの手掛かり(Murphy, it's you?)を与えられ、自分の家を訪ねるくだり。今は売りに出されたその家のなかで、すべての記憶を削除されたはずのロボコップは妻と息子の姿をまざまざと思い出す。人間の生み出したテクノロジーとはこのように不完全なものなのだととるか、あるいは人間の想いとはそれほどまでに強いのだととるか、どちらにしても、感情など持たないはずのメカ(Product)が、妻子を失った悲しみを爆発させるところは哀しい。自分が何者であるかという疑問を持ったからには、アイデンティティの確立のために、妻子を求めて旅に出る展開を期待したのであるが、私の予想など当たるはずはない。第一、それではアクション映画にならないよね。「ロボコップの旅立ち」なんてさ。

というわけで壮絶なバイオレンス・シーン。ロボコップを製造した警察の親会社(!)、オムニ社の重役陣の権力闘争の結果、抹殺されそうになったロボコップは、またもルイスの助けを得て(Murphy, it's me!)、黒幕ジョーンズの送り出したならず者たちを迎え撃つ。プログラムされた職務からではなく、自らの怒りによって敵を打ち倒すこのシーンはなかなか爽快だ。オムニ社の重役には手を出せないというプログラムに守られていたジョーンズも、社長の"You, fire!"(お前は首だ)に"Thank you."と応じたロボコップに撃たれ、あえない最期を遂げる。そして"What's your name?"という問いに"Murphy"と答え、ロボコップはニッコリ笑って去って行くのだ。メデタシ、メデタシ。

しかしマーフィーはいったいどこへ帰るのだろうか。また、その妻子を失った悲しみはいやされるのだろうか。そういった疑問に答えてくれる続編を期待したい。なぜって、ロボコップのヘルメットをはずしたマーフィーは、その光り輝くボディとはうらはらに頼りなげで、放っておけない気分にさせるから。同時にイジメてやりたい気も少しだけ起きる。だから苦しめられた後、ハッピーエンドになる続編を!!

それにしても、登場するキャラクターといい、しばしば挿入されるTVのニュース・ショーやCMの内容といい、映画全体を貫くムードがかなり脳天気で、皮肉が利いていた。しかしホントに脳天気な未来に行き着きそうな予感のする今日この頃。部分的に能天気っていうのは、結構、好きな方だけど、世の中全体がそうなっちゃうとねぇ・・・・。


映画館で昼食を

今、田中小実昌さんの「ぼくのシネマ・グラフィティ」を読んでるんだけど、小実昌さんは毎日のようにお弁当を買っては名画座に通ってるみたいで(そうでない時はバスか電車に乗ってフラフラしている)うらやましいかぎり。私も朝から二本立てを観に行く時は必ず食べる物を買って行くけれど、せいぜい、おにぎりかサンドイッチ。お弁当だなんて、小実昌さんはオジサンだから恥ずかしいという感情を持ち合わせていないのかな、と思ったんだけれど、「三鷹駅南口のパン屋でハンバーガーを買う、180円。ほんとは、北海弁当(鮭弁当)なんてのを買いたかったが、きょうは土曜日で、三鷹オスカーは、きっと混む。(大阪の名画座は平日でも混んでいるけれど)混んでる映画館で弁当を食べるのは、ちょっと気がひける」とあったので、小実昌さんもTPOをわきまえているのだと一安心。でも最近、いるんですよね、恥ずかし気のない人が・・・・。というわけで、今日は、私の目撃した勇気ある人々の生態を報告することにします。

1.日時不明、毎日文化ホール、「ハメット」&「白いドレスの女」
十代後半の男の子が手作りのお弁当を食べていた。学校に持って行くようなアルマイトのお弁当箱。私服だったけれど、学校をサボって映画を観にきた高校生かもしれない。これぐらいだったら可愛いけれど・・・・。

2.1月28日昼、毎日文化ホール、「グレート・ブルー」&「緑の光線」
二十代前半の男性が蓬莱の中華弁当を食べていた。通路をはさんだ真横の席で、私はとても気になった。おいしそうだったので・・・・。余談ながら、この人はやたら荷物の多い人で、通路の半分を自分の荷物で占有していた。

3.3月6日夜、大毎地下劇場、「カイロの紫のバラ」&「月の輝く夜に」
パック入りのお惣菜をいくつか、まるでピクニックのようにひろげているカップルがいた。三つの席の真ん中にひろげて、両側から楽しそうに食べていた。豚マンと春雨の酢の物(これも蓬莱だな)を確認。年格好からするとOLとサラリーマンという感じだったが、ふたりなら何も怖くはない! のかな?。そのうち都会の恋人たちの間で、映画館でピクニック! というのがハヤるかもしれませんね。そんなことはないか・・・・。


MY FAVORITE MOVIES ☆ 1.7〜4.25

異人たちとの夏
片岡鶴太郎と秋吉久美子の懐かしい夫婦像と、やはり懐かしい家族の情景が心にしみる。名取裕子は甘えてると思うけど。

八月の鯨
老姉妹の葛藤と和解、そして生へのほのかな意志にしみじみと涙した。ふたりの老女優が可愛い。その動きから目が離せなかった。

ダイ・ハード
手に汗握るではなく、体が硬直する面白さ。

レインマン
表面は滑稽に見えるけれど、その奥にどれだけ大きな世界があるのだろうか、と思わせるダスティン・ホフマンの演技に脱帽。

薔薇の名前
暗そうと思って敬遠していたのだけれど、むしろその暗さが魅力の映画だった。ぼんやりと照らし出される迷路にゾクゾクした。

ベイビー・イッツ・ユー
ロザンナ・アークエットのヒロインは私と同世代。バックに流れる60年代のオールディーズ(渋め)が懐かしかった。

O.D.A.
不安感をかきたてる上出来のサスペンス・ミステリー。

死に行く者への祈り
ミッキー・ロークが色っぽい。人生に絶望してるわりに格好つけたりするのがおかしいんだけど、それがよかったりして。


あとがき なんとか2号も完成。創刊号のベスト・テン特集は短評を並べただけで、それも日記からの抜き書きなので、すぐにできたのですが、まとまった文章を書くのはやはりたいへん。ひさしぶりにウンウンとウナりましたが、それが一種の快感でもあるんですね。これはクセになりそう。それでは、また!!



HOME INDEX