Sep.23,1990

RIVER WILLOW

第11号

ロボコップ2



ロボコップ2 ・・・ 脳天気な未来における自己犠牲の精神

第2号で書いたように期待とともに待っていた「ロボコップ2」。話題作ということで、各週刊誌の映画欄で取り上げられていたが、評価はイマイチ(小森のおばちゃまだけ最高点だった)。で、かなり複雑な気分で上映に望んだのだが、観終わった感想は「悪くない」。なにぶん生まれつきの天の邪鬼なもので、世の中一般につい逆らいたくなってしまう。そういうわけで「私は好き」と弁護してしまおう。

たぶん評価が分かれるのは、ラストのロボコップとロボコップ2号の対決のせいだろう。SFXが駆使されてなかなかの見せ場になっているのだが、そういうのは子供っぽいととる人がいるのは分かる。私はけっこう楽しんだけれど、前作の悪人グループとの過激なバイオレンス・シーンのほうが確かに面白かった。また前作の特徴だった「渇いたユーモア」が見当たらないのも惜しい。けっこう真面目というか、遊びの感覚が前作ほど洗練されていないのである。

舞台となっているのは「企業の論理が浸透しつくした世界」。そこに存在する悪は、合法的であれば何をやってもいいという「金儲け主義」から生まれる。それは今の現実を誇張した世界なのだが、その誇張があながち絵空事に見えないところがこわい。前作は限りなく現実に近くても、どこか嘘の世界という雰囲気が濃厚だったのだが、今回は本当にありうべき世界という気がした。そういうわけで、今の世の中にうんざり気味の私はかなりの共感を覚えつつも、想像力及び創造力の点から見れば、やはり前作のほうが上だと思うのである。

それでも「ロボコップ2」も好きなのは、そこに自己犠牲の精神があるからである。前作では「マーフィ」と名乗ることでアイデンティティを獲得したロボコップが、今回はその「マーフィ」を否定して「ロボコップ」としてのアイデンティティを確立する。つまり、妻子には何の力にもなりえない自己を確認し、その結果、「正義を守るために戦う」という本来の職務を貫徹することで自己を確立しようとするのである。そのためには自分の存在を危機にさらすことも辞さないという、死なないボディを持ったマシーンの、しかしその決意はきわめて人間的、感動的である。機械プラス人間で人間以上になったロボコップが、人間としての意志によりロボコップ2号に戦いを挑む。マシーンがきわめて人間的な奉仕精神に支えられて世界の救世主になる、というこのテーマが、他ならぬ人間が機械化しつつある現在を鋭く衝いて、単なる娯楽作以上の重みを獲得している、と思うのである。

そのロボコップの敵となる麻薬組織のボスが迫力に欠ける(前作の悪役クラレンスのノーテンキぶりがなかなかの見物だったので)と思っていたら、二代目を継ぐ少年ボスがすごい。目の大きな可愛い顔をした子供が何ともあくどいことをする。その衝撃の大きさはしかし、本質的には悪ではない子供への悲しみ、子供をそうした存在に変えた状況への怒りに変わる。しかし、もうひとりの悪役である女博士は救われない。色仕掛けで社長に取り入り、ロボコップ2号を造って思い通りに支配し、権力を握ろうとしたこの女は企業の生け贄にされるらしい。私だってこういう女性は好きではないが、子供には救いがもたらされるのに女性にはなぜ冷たいの、と疑問を覚えたのも事実。まあ、女は権力など求めるものではない、もっと優しい存在であることを望んでいるのだろう、と好意的に解釈しておこう。

それはともかく、いちばん悪いのはデトロイト市の乗っ取りを図ったオムニ社なのだが、その巨悪は駆逐されることなく栄え、悠然と去って行く社長に怒る相棒のルイスに、「人間とはそういうものだ」と達観気味のロボコップ。しかし、勝ってカブトの緒を締めるその姿に、さらなる活躍が期待されるというものだ。また、バイオレンス篇、SM篇(もしかしたら、この残酷描写が嫌われたのかしら? 若干、M気味の私はそのへんはちょっと鈍感なのかも)と続いたこのシリーズ、さらに過激になるのか、それとも意外な展開になるのか、そのあたりも興味シンシンである。


MY FAVORITE MOVIES ☆ 7.23〜8.30

デッドフォール
近ごろは落ち目のスタローンのポリス・アクションなんだけど、すごくおもしろかった。スタローンとカート・ラッセルの刑事コンビが「オレこそナンバーワン!」とやりあう漫才もどきのからみが笑える。ラッセルのツッコミ役はピッタリだし、ボケというほどの芸はないスタローンのデクノボーぶりが意外と可愛かったりして・・・・。前半の息をのむ脱獄シーン、後半のマンガチックで愛敬のある殴りこみシーンとアクションも快調。カート・ラッセルの女装(「サンダーボルト」のジェフ・ブリッジスといい勝負!)となつかしのマイケル・J・ポラードが見られるというオマケもある。ちなみにマイケル・J・フォックスはポラードを尊敬しているのだそうだ。

悲情城市
誰かが「侯孝賢の映画はいつまでも見ていたい気持ちにさせる」と書いていたが、私も同感。この作品で、とうとう侯孝賢は大好きな監督になってしまった。大きくうねる時の流れ、その流れに翻弄される人間の想い、それらがこちらの心の中にどんどん蓄積してゆき、劇終のマークが出たあと涙があふれる。登場人物が多く、また意図的に説明的な描写は避けているので分かりにくいところはあるのだが、これは物語を見るべき映画ではなく、人の想いを感じるべき映画だと思う。さらに、聾唖の青年や死んで行く政治犯といった人々のたたずまいの美しさが心に残る。

シド・アンド・ナンシー
パンクロックのセックス・ピストルズのベーシスト、シド・ヴィシャスが恋人であるグルーピーのナンシー・スパンゲンを誤って刺殺したという実話の映画化。ふたりそろって麻薬中毒で初めのうちは共感も感情移入もなしに見ていたのだが、ピストルズの解散後、ソロになったシドが「マイ・ウェイ」を歌うところで不意に涙。ほめられたこともない、恩恵を受けたこともないこの人生を、俺は俺のやり方で生きてきた・・・・。心の奥底に眠るアナーキズムを刺激されたとでもいえばいいのか、生きることを放棄しているようなふたりの姿が魅惑的に見えてきたりもした。さらに、繰り返し強調されるふたりの幼児性が、全篇に漂う非現実性とあいまって「不思議の国に迷い込んだ無力な子供たち」という印象を生み出しているのだが、そこになぜか強く惹かれてしまった。

東京上空いらっしゃいませ
売り出し中のキャンペーンガールがクライアントに迫られて、車から飛び出したとたんはねられてあの世行き。「まだ死にたくない」とダダをこねて地上へ戻ってきたのはいいけれど、「自分以外の人間になりや」と、なぜか大阪弁の天国の番人をだまして、また自分になったばっかりに・・・・というコメディ・タッチのラブ・ファンタジー。限りある日々の中で「今がいちばん幸せ」といいきる少女のトキメキとキラメキが切なかった。「もう、ええやろ」という問いに「うん」と答えて、生の実感とひとつの愛の思い出を抱いて天国に昇って行く、ヒロインの牧瀬里穂ちゃんがとても素敵で、久々に日本の少女にときめいた。

ラ・ファミリア
主人公の洗礼の日から八十歳の誕生日までの歳月をカメラは家の中から一歩も出ることなく、その家の中で起こった出来事や会話だけで追ってゆく。それによってふたつの大戦を含む社会の変動も浮き彫りにされるという趣向なのだが、歴史オンチの私にはそのへんはピンと来なかった。しかし、家族のなかに存在するさまざまな血の織り成すちょっと哀しい人間喜劇が、イタリア人の激しい感情表現が薬味にもなって、とてもおもしろい。そして、その連綿と続く人間の営みを見たあとでは、主人公の感じる幸福感が自然にこちらの胸にも響くのである。個性あふれる登場人物はそれぞれにいとおしかったが、ケンカばかりしているくせにいつも一緒にいる「行かず後家の三姉妹」が私のいちばんのお気に入り。

グレムリン2
遺伝子研究所の実験に使用される薬液を飲んでグレムリンの新種誕生、高層ビルを占拠してやりたい放題。で、私は笑いっぱなし。ラスト、ロビーに集合したグレムリン・オール・スター・キャストによるミュージカル・シーンがおかしくて可愛くて、退治されちゃったのが残念なぐらい。脳細胞関係の薬液を飲んで言語能力を獲得した天才グレムリンが「ニューヨーク、ニューヨーク」を歌ってくれたりするのだ。でも、誰を対象にこの映画は作られているのだろう。子供には分かりにくいだろうし、マジメなオトナは「バカにするな」と怒り出しそう。ひとつはっきりしているのは、いちばん楽しんだのはこの映画を作った人たちだということ。まあ、そういうのもたまにはいいか。愛すべき珍品映画である。

旅する女、シャーリー・バレンタイン
日常生活に退屈した主婦が旅先でアバンチュール、という例のパターンかと思っていたら大ちがい。シャーリーはつぶやく。「夢や希望や愛情にあふれていた私はどこへ行ってしまったの」。ある程度の年齢に達したら、これは誰もが思うことよね。でも、いつか忘れてしまうんだけど、シャーリーはこだわり続ける。そんなシャーリーがまた自分自身に恋をし、人生を愛することができるようになるまでのさまざまなエピソードに共感したし、迎えに来た夫を見て「この人にも休暇が必要だわ」という優しさに泣いた。自分に余裕がなければ人に優しくなれないのも事実よね。主婦らしきおばさまで満員だったけど、みんなあたたかい気持ちになって帰って行ったとしたら、うれしいな。


あとがき 7月7日の深夜に放映された「ラスト・アメリカン・ヒーロー」を十何年ぶりに再見。密造酒を造っていた父が警察に逮捕され、その弁護費用やワイロ(刑務所の待遇も金次第)を捻出するためにストックカーレース(「デイズ・オブ・サンダー」にも出てきた)に出ることにした青年が、大レースに優勝するという実話の映画化。田舎の山中で警察の目をかすめて密造酒を運んでいるうちに運転の腕をあげた、という主人公に扮しているのはジェフ・ブリッジス。田舎育ちの純朴さと家族思いのおセンチさと向うっ気の強さの混じりぐあいが何ともいえない。「文句はいわない、やることはやる、俺は俺さ!」これぞ男だ! と、またまた大感激。



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