第2号で書いたように期待とともに待っていた「ロボコップ2」。話題作ということで、各週刊誌の映画欄で取り上げられていたが、評価はイマイチ(小森のおばちゃまだけ最高点だった)。で、かなり複雑な気分で上映に望んだのだが、観終わった感想は「悪くない」。なにぶん生まれつきの天の邪鬼なもので、世の中一般につい逆らいたくなってしまう。そういうわけで「私は好き」と弁護してしまおう。
たぶん評価が分かれるのは、ラストのロボコップとロボコップ2号の対決のせいだろう。SFXが駆使されてなかなかの見せ場になっているのだが、そういうのは子供っぽいととる人がいるのは分かる。私はけっこう楽しんだけれど、前作の悪人グループとの過激なバイオレンス・シーンのほうが確かに面白かった。また前作の特徴だった「渇いたユーモア」が見当たらないのも惜しい。けっこう真面目というか、遊びの感覚が前作ほど洗練されていないのである。
舞台となっているのは「企業の論理が浸透しつくした世界」。そこに存在する悪は、合法的であれば何をやってもいいという「金儲け主義」から生まれる。それは今の現実を誇張した世界なのだが、その誇張があながち絵空事に見えないところがこわい。前作は限りなく現実に近くても、どこか嘘の世界という雰囲気が濃厚だったのだが、今回は本当にありうべき世界という気がした。そういうわけで、今の世の中にうんざり気味の私はかなりの共感を覚えつつも、想像力及び創造力の点から見れば、やはり前作のほうが上だと思うのである。
それでも「ロボコップ2」も好きなのは、そこに自己犠牲の精神があるからである。前作では「マーフィ」と名乗ることでアイデンティティを獲得したロボコップが、今回はその「マーフィ」を否定して「ロボコップ」としてのアイデンティティを確立する。つまり、妻子には何の力にもなりえない自己を確認し、その結果、「正義を守るために戦う」という本来の職務を貫徹することで自己を確立しようとするのである。そのためには自分の存在を危機にさらすことも辞さないという、死なないボディを持ったマシーンの、しかしその決意はきわめて人間的、感動的である。機械プラス人間で人間以上になったロボコップが、人間としての意志によりロボコップ2号に戦いを挑む。マシーンがきわめて人間的な奉仕精神に支えられて世界の救世主になる、というこのテーマが、他ならぬ人間が機械化しつつある現在を鋭く衝いて、単なる娯楽作以上の重みを獲得している、と思うのである。
そのロボコップの敵となる麻薬組織のボスが迫力に欠ける(前作の悪役クラレンスのノーテンキぶりがなかなかの見物だったので)と思っていたら、二代目を継ぐ少年ボスがすごい。目の大きな可愛い顔をした子供が何ともあくどいことをする。その衝撃の大きさはしかし、本質的には悪ではない子供への悲しみ、子供をそうした存在に変えた状況への怒りに変わる。しかし、もうひとりの悪役である女博士は救われない。色仕掛けで社長に取り入り、ロボコップ2号を造って思い通りに支配し、権力を握ろうとしたこの女は企業の生け贄にされるらしい。私だってこういう女性は好きではないが、子供には救いがもたらされるのに女性にはなぜ冷たいの、と疑問を覚えたのも事実。まあ、女は権力など求めるものではない、もっと優しい存在であることを望んでいるのだろう、と好意的に解釈しておこう。
それはともかく、いちばん悪いのはデトロイト市の乗っ取りを図ったオムニ社なのだが、その巨悪は駆逐されることなく栄え、悠然と去って行く社長に怒る相棒のルイスに、「人間とはそういうものだ」と達観気味のロボコップ。しかし、勝ってカブトの緒を締めるその姿に、さらなる活躍が期待されるというものだ。また、バイオレンス篇、SM篇(もしかしたら、この残酷描写が嫌われたのかしら? 若干、M気味の私はそのへんはちょっと鈍感なのかも)と続いたこのシリーズ、さらに過激になるのか、それとも意外な展開になるのか、そのあたりも興味シンシンである。
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