1988年を "YEAR OF THE PHOENIX" と呼ぶことにした。なぜなら、私にとって1988年はリバー・フェニックスの年だったからだ。「スタンド・バイ・ミー」(メガネのコリー・フェルドマンが好きだった)までの髪の短いリバーは努力型の優等生といった感じであまり好きではなかったのだけれど、髪の毛ふさふさのジミーで夢中になってしまった。髪型ひとつでコロリと参る私もあさはかではあるが、それほどリバーは輝いていたのだ。
というわけで一位は「旅立ちの時」。"RUNNING ON EMPTY" という原題に、どういう意味や? と首をひねりながら観に行ったのだが、観て納得。時代の不幸に真正面から取り組んだ姿勢もいいのだが、私はそれ以上に17歳の高校生の揺れ動く心に強くひかれた。自己が何者であるか、確固とした土台のない人間が、自分を全的に受け入れてくれる人間にのめりこんでいくのは当然で、リバーの恋は涙なしには観られなかった。私にとって、「旅立ちの時」は青春(恋愛)映画だったのだ。
それとは反対に、「ジミー」は恋愛映画と見せかけて、実は「父と息子の和解」がテーマ。オヤジのようにはなりたくないと思っていたジミーが、そのオヤジをまるこど受け入れる心境にいたる36時間の物語。ラスト、それぞれの想いに微笑む父と息子が心に残る。オヤジをやるのはポール・コスロ。15年ぐらい前に、薄い髪を異様に長く伸ばした、妙なチンピラばかりやっていた人である。それがリバーのお父さんなのだから、私も歳がいくはずだ。つっぱりリバーもなかなかの見物。あのギラギラぶりが私には愛おしかった。それにしても一晩つきあっただけの女の子にお金をだまし取られたり、色っぽいおばさまに誘惑されるとすぐその気になったり、男の子って困ったもんですね!?
「インナー・スペース」のテーマは「恋した男は強くなる」で、神経症のスーパーマン(スーパーマーケットの店員)の恋愛以前のダメ男ぶりと、恋愛以後のハチャメチャぶりがなんとも楽しい! と同時に泣かせるのだ。愛する女性の結婚式で見せる笑顔といい、男はこうでなくっちゃ、と思った次第。蛇足ながら、自転車で逃げ回って、結局、殺されてしまう博士も可愛かった。
「グレート・ブルー」は一言でいえない不思議な映画。しかし無垢であるがゆえに現実に適応できない人間が心やすらぐ故郷、大きな青い海に帰って行く物語ととれないこともないと、今、思った。冒頭、時代や場所がコロコロと変わるので、なんだ、なんだ!? と思っていると、ロザンナ・アークェット(好きなんです)が登場。そのコメディエンヌぶりを楽しんでいるうちに話は思わぬ展開を見せ、ラストは神話的な色合いまで帯びて・・・・。
「ビッグ」は観終わった後、幸せな気分になれる映画。好きなシーンがいっぱいあった。友達に自分だとわからせようとして、振りをつけながら歌を歌い、友達も一緒に歌い出して、やっぱり、お前! と、納得するところ。キャリア・ウーマンの彼女が初めてアパートに来た時に、一緒にトランポリンをするところ。こう書いてみて、誰かと一緒に何かをするシーンばかりだと気がついた。幸福感のみなもとはここにあったのか! もうひとつ好きなシーンがある。彼女に「私のこと、どう思ってるの」と聞かれて、テレて「そんなこと、聞くなよ」と雑誌をぶつけるところなのだが、私はここでちょっとヒャッとした。何か冷たいことを言うんじゃないかと・・・・。でも、そんな私がひねくれていたのだ。もっと素直になろうね。
「太陽の帝国」は戦争というワンダーランドに迷い込んだ少年の物語。収容所の中で悪知恵を身につけて、たくましく生きる少年は嬉々としていて。けっこう楽しそうに見える。しかし、少年は二度、"I surrender." と言う。それがワンダーランドの入口と出口になるのだが、食糧がつきてなすすべもなく、敵国、日本軍に対して発せられる一度目はともかく、食糧があるにもかかわらず、しかも同盟国、アメリカ軍に対して発せられる二度目の "I surrender." が少年の力を越えた戦争というものを表していると思うのだ。
「ミッドナイト・ラン」はどこかで見たシーンとニクめない男たちに満ちた愛すべき映画。私が思い出した映画をあげると、タクシー・ドライバー、007シリーズ、明日に向って撃て!、続・激突! カージャック、ガントレット、スケアクロウだが、離婚した奥さんを訪ねるシーンもどこかで観た気がする。誰か、教えてください。また主人公のふたり、マフィア、FBI、賞金稼ぎの四者がいりみだれながらアメリカを横断し、そして最後に一点に収束する物語も爽快で、これぞ映画! という快感。
「ウォール街」は話に新味はないけれど、オリバー・ストーンの力技に感服した。ぐいぐい押してゆく演出と、動き回るカメラ。大毎地下の四列目で再見した時は、目が回りそうだった。マイケル・ダグラスやチャーリー・シーンのアクの強さもその一因かも。どちらもアゴが嫌い。
「ラスト・エンペラー」は、王たる者として生まれ、王たる者としてありながら、実質的には常に王ではなかった人間の誇りと、孤独と、苛立ちに胸を打たれた。特に家庭教師との出会いや別れ、妻との初夜のシーンなどに見られる人恋しさの感情に胸をつかれた。というわけで、その更生を描く後半にはあまり興味が持てなかった。普通のおじいさんになったジョン・ローンも見たくなかった。
「冬の猿」はアンリ・ヴェルヌイユの1962年の作品なのだが、日本初公開なので選んだ。冬のノルマンディーで出会った老人と青年、上海での思い出に生きるジャン・ギャパンと、スペインの女を忘れられないJ・P・ベルモンドの一夜の祭り。痛飲、泥酔い、打ち上げられる冬の花火。そしてふたりは過去を振り払って、それぞれの生活に戻って行く。人生の苦さを奥歯で噛みしめるような、深い余韻の残る物語だった。若き日のJ・P・ベルモンドが可愛い。やせてて、目が大きくて、品が良くて・・・・。
こうして10本を眺めてみると、やはりアメリカ映画が優勢。青春映画、SFX、コメディ、戦争映画、それにアクション映画もちゃんとあって、バラエティ豊か。1987年に比べると少し物足りなさが残るが、1988年も良い年だった。特にスピルバーグ映画の魅力を再認識した年でもあった(コリー・フェルドマン君めあてに、TVで観た「グーニーズ」も含めて)。スピルバーグの映画というのは。大の大人だったら気恥ずかしくなるようなことをモロに出すんだけれど、それでも感動させるところがある、と思った。
ところで最近、読んだボブ・ウッドワードの「ベルーシ最期の事件」(集英社文庫)が興味深かった。ドラッグに溺れる人間というのは、薬嫌いの私には理解不能なのだが、映画製作の過程がよく分かるのが良い。スピルバーグやデ・ニーロ、ジャック・ニコルソンの名前も出てくるし、一読の価値があると思う。
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