Review from Abroad 2



「キル・ビル Vol.2」において、ユマ・サーマンは十字架に磔にされるわけではない。しかし、脚本も書いた監督のクエンティン・タランティーノは、彼女の演じる傷だらけの主人公ブライドに、メル・ギブソンも真っ青の血まみれの決闘を行なわせる。しかし、かまうものか。君はアクションにわくわくし、味なダイアローグを満喫し、そしてお釈迦になるほど大笑いするだろう。タランティーノは Vol.1 で開始した復讐譚――ブライドは、ビル(デビッド・キャラダイン)と、かって自分が女王蜂として君臨した毒ヘビ暗殺団の他の四人の殺し屋に、ウェディングドレスを着た死体として放置されたあと、その報復を求める――を継続する以上のことをやってのけたのである。「王の帰還」が「ロード・オブ・ザ・リング」三部作をしめくくったように、Vol.2 は Vol.1 の出来事をひとつにまとめあげる。君は観て思う。「やっと分かったぞ」。タランティーノは映画史上最高にホットなミックステープを作ったのだ。自由自在なDJのように、彼を形作ったジャンル、つまりクンフーやチャンバラ映画からアニメやマカロニウエスタンにいたる、いかがわしいB級映画からサンプルを集め、それをイマジネーションというフィルターに通し、全くタランティーノ以外の何物でもないものを創造するのである。結果は、純粋な映画という酸素を吸い込むよう(に爽快)だ。

前編はまさに異彩を放つ行動から成り立っていたが、Vol.2 はその行動からすくい取ったにすぎない感情という流れの中へ身を躍らせる。「キル・ビル」を二部に分けたのは、同じ映画に二度金を払わせるための、いかさまパンチだと考える人々に対して、私が言えることはただ、二本の映画を合わせた結果、「キル・ビル」に勝利がもたらされたということだ。私ならシネマコンプレックスで歓迎される二時間に編集された一本の映画より、やりたい放題のタランティーノの四時間を選ぶだろう。

OK、それでは Vol.1 はどこで終わったのか? ブライドが東京でオーレン・イシイ(最高だったルーシー・リュー)と闘い、そしてカリフォルニアのパサディナでヴァニータを葬った。彼女たちは、テキサス、エルパソの教会における結婚式の予行演習に参加していた人々を皆殺しにした五人の暗殺者のうちの二名である。ビルに頭に弾丸を撃ち込まれ四年間の昏睡に陥った時、ブライドは彼の子供を身ごもっていた。Vol.1 の最後のセリフはビルの発した質問であった。「自分の娘がまだ生きていることを、彼女は知っているのか?」

それが餌だった。Vol.2 は、幌を下ろしたオープンカーに乗った魅惑的なブライドが、40年代のハリウッド・メロドラマから抜け出した復讐の天使のように、観客に話しかけるところから始まる。「目的地に着いたら、私はビルを殺すだろう」

それが釣り針である。しかしまず、タランティーノは我々を結婚式の教会へと連れ戻し、虐殺の前に起こった出来事を見せる。ブライドは元の生活から逃亡し、部外者と結婚しようとしていた。 その時、ビルが結婚式の予行演習の場に姿を現し、フルートを吹きながら、その魅力を発揮し始める。「どうやって私を見つけたの?」、ブライドは笑いながら尋ねる。「私は男だ」、ビルは答え、笑いを返す。そして、確かにその通りだ。キャラダイン――Vol.1 では声だけの出演で姿を見せなかったが――今回は我が物顔でスクリーンに現れる。そして、一度はウォーレン・ビーティに予定されていた役を演じ、まったくセンセーショナルである。ビルは暗殺を遂行するために、女弟子を何人も囲っている「ひも」なのだ。70年代のテレビシリーズ、「燃えよ! カンフー」のヒーローだったキャラダインは、この悪党に、猫が喉を鳴らしているような、心を惑わす危険な魅力を与えている。彼と最高にホットなサーマンが、ビルとブライドの間に存在する性的緊張を明らかにしてみせる。この映画は、時折きらめく生き生きとした暴力に彩られたラブ・ストーリーなのだ。アクションに夢中だった Vol.1 では、ダイアローグを出し惜しみしたタランティーノだが、俳優陣に彼ら自身が楽しむことのできるセリフ、たとえばブライドが新郎にビルを紹介する時のような、気の利いたウイットに富んだセリフを与えている。それをここで紹介するのはフェアではない。

Vol.2 は我々に絶えず予期せぬサプライズを与えてくれるのだが、ブライドがパイメイの猛烈な修行を受ける武闘訓練もそのひとつであり、その白髭の僧を演じるのは伝説的な中国人ゴードン・リューである。君は五点掌爆心拳を忘れたくないかもしれない。タランティーノは武術指導のユエン・ウーピンと協力しながら、華々しいアクションをつるべ打ちし、同様にマスト・アイテムのサントラには、エンニオ・モリコーネの耳について離れない「続・夕陽のガンマン」のテーマや、チャーリー・フェザーズのロカビリーしまくっている「Can't Hardly Stand It」を含む、自分が影響を受けたお気に入りの音楽を響かせている。

今回のボーナスは、俳優陣が飛び交う刀や怒りの鉄拳に負けてはいないということだ。ビルの最愛の弟、バドを演じるマイケル・マドセンはまったく素晴らしい。生き埋めにすることによってブライドを抑えることができると思ったのは考え違いであったが。そしてダリル・ハンナ。ビルの心の中でブライドの座を奪う、アイ・パッチをつけたエル・ドライバーは、拍手喝采のキャットファイトにおけるタフな敵役はいうまでもなく、呆然とさせるほどの魅力を放つ。もちろん、「キル・ビル」のすべての道は、ブライドとビルの対決へと通じている。そしてブライドがその存在を知らない娘との対面である。ビルは彼らの子供を「子連れ狼」のビデオとともに眠りに入らせる。甘美なタッチで、ブライドは喜びを表すが、おとしまえは着けねばならない。サーマンは情け容赦もなく電撃的なパフォーマンスで、君にアッパーカットをくらわし、君のハートを打ち砕く。タランティーノが他のやり方をすることはないだろう。「キル・ビル」前後編によって彼が望んだことは、我々をワイルドライドに乗せて、映画のいかがわしい楽しみの中へと連れ去ることである。そして、それが非常に巧みに行なわれているので、我々はまたこの映画のもとへ戻り、その秘密を何とか探り出したいと思う。まったく大胆不敵な行動だ。そして、タランティーノは映画を遊園地から叩き出す。

Peter Travers (Rolling Stone)
April 29. 2004

(Translated by Vivien Liu)




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