Rhapsody in August








負の現実、正の感情

私の感覚からすると、気になるシーンがいくつかあったはずなのだが、あのラスト・シーンを見たあとでは、そのほとんどを思い出せなくなってしまった。吹きつける雨と風の中を、死者への想いから歩き続ける祖母(もちろん祖母の心の中では死者は生きている)、そしてその祖母を追って走り続ける子供たち。そこに私が見たのは「愛の流れ」だった。孫たちから祖母へ、そして祖母から祖父へと流れる愛。映画の前半では、おもに老いたる者から幼き者たちへと注がれていた愛が、その向きを変え、力強く脈打つ。その変化を促したのは、子供たちが知り、理解し、共感したという事実である。他者の悲しみ、痛みを共感したことによって生まれた愛・・・・。

そのバックに流れる「野ばら」。今まで気にとめたことはなかったけれど、子供たちが合唱するシーンで本当によい歌だなと思った。「清らに咲ける、その色愛でつ、飽かず眺む・・・・」。そこに歌われているのは「感動する心」である。人生における美の発見にうちふるえる童の心・・・・。しかし、この作品の中で子供たちが見るのは美しいものばかりではない。取り返しのつかない悲しい出来事、癒すことのできない他者の痛み。そのような負の現実をも子供たちは知ることになる。しかし、負の現実を知った結果、生まれたものは共感であった。石の記念碑に水をかける・・・・。思わず水をかけずにいられなかった子供たちに、私はその共感の深さを見る。

そして死者への想い。「倶会一処」という言葉のもとで、一心にお経を唱える老婆たち。あの世で一緒になれるまで、死者の霊を慰めることに専心し続けてきた人々。心の中に存在するにちがいない怒りをなだめ、自分にできる精一杯のことをし続けてきた人間の姿。生者が死者に対してできるいちばん優しいこと。私はあなたを忘れないという決意。

これらの人間にとって大切な感情の総和が、大きな流れとなって展開されるラスト。心のうちからあふる名づけようのない想いにかられて、涙がとめどなく流れた。それはとりもなおさず、画面に無心に描き出された温かい感情−−負の現実を補なうかのような正の感情−−に触れ、共感した結果であろう。そして残ったものは、力にあふれてはいても、このうえもなく悲しく、しかしかぎりなく美しいものを見た、という印象だった。


( 「八月の狂詩曲」 1991 黒澤明 )

1991
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Japan


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