我是民謠活化石 (2002.3)

陳昇嚴明(聞き手)Vivien



ありがたいことに私の職業は記者。ネットへの書き込みや雑誌への投稿(愛する歌手のために続々と生み出される、楽しげな試練にむせび泣く文章の山)を迂回して、適当な時期に約束した電話を通じて、関心を持っていた歌手に、知りたかった一切のことを直接質問し、素顔に戻った真実の表情を読む取ることができる。(この聞き手の方はどうも文学青年のようで、形容詞を長々と書き連ねるので、このあたり、非常に訳しづらかったです 。カッコ書きにしてしまったのは窮余の一策でございます)

あの晩、陳昇は遠征を終えて台湾へ戻ったばかりだった。電話の信号電波の具合が悪く、陳昇は長い間待っていた。しかし、話を始めると、その語調は穏やかで、しかし率直だった。自分は民謡(フォークソングですかね)の「生きた化石」であると肯定するが、しかし自己の誠実な楽観を堅く信じてもいる。自分の職業を尊重しているが、それ以上に自分の心を尊重しているようだ。それは心を静かに落ち着かせる真実であり、また舞台の上でまくり上げられるズボン、CDプレーヤーから流れる終わることのない音楽のようだ。(このあたりの比喩も、もうひとつよう分りません。何か深遠な意味でもあるのかあ?)

インタビューの終わりに、陳昇は言った。「このあと、もし会う機会があったら、このインタビューをしたことがあると、僕に思い出させてくれ・・・・」(でも、陳昇には気に入られたみたいですね。確かにこのあとの一問一答は面白いですよ)


嚴明


我成了活化石

あなたは今日台湾へ帰ったばかり、いったいどこから帰って来たのですか?

マレーシアの中国語学校の募金活動に参加していた。五回のステージ。台湾の創作型歌手(シンガーソングライターといったところでしょうか)に参加してもらおうと考えて、僕に頼んで来たんだ。

今回『南方都市報』の主催した『華語流行樂傳媒大獎』で、あなたは『最佳民謠藝人獎』(ベスト・フォークシンガーといったところかな)を獲得しました。感想を話してください。

もちろん、とてもうれしい! 賞を取ることについては、僕自身、いつも一生懸命歌を書き、動き回っているので、そんなことを気にしたこともないし、振り返るヒマもない。絶えず新しい体験を捜し求めることが、最も重要だといつも思ってる。そうしないとひとりよがりになってしまう。

「民謠藝人」と位置づけられるのは正確だと思いますか。

台湾では、民謡というと、一般的には「お年寄り」の歌う「原住民の音楽」を指す。その後、羅大佑のような一群の人々も大量の民謡を書いた。彼らはアメリカの音楽(たとえばボブ・ディラン)から深い影響を受け、そのあと大学生も民謡を書いた・・・・。だけど、民謡の概念はもう曖昧になってしまった。今、音楽を聴く人は、基本的に「外見だけを見て、内容は聴かない」ようになっている。みんな主に僕の音楽のバックグラウンドや、個人的な経歴といった方面を見るんだ。もし僕が民謡だというなら、そうなんだろうさ! 僕はまず製作の仕事に携わり、四、五年それをやったあと、歌を書いたり、歌ったりするようになった。だけど20年前には、創作藝人(これもシンガーソングライターといったところでしょうね)とはどういうもなのか、定かではなかった。僕は今では生きた化石になってしまったよ。

この何年か、あなたは十枚以上のアルバムを出し、すでに一種の素朴で超然とした風格を生み出しています。しかし、私が思うに、今、あなたの音楽はますます意の赴くまま、やりたいようにやるという風になっています。まるで「自分ひとりで遊んで」いるようで、他人が聴こうが聴くまいが、気にはしていないようです。(ふふ、核心をついてますね)

ははは。なぜなら商業音楽の方では、リスナーの好みは測りがたいからさ。その後、僕は気づいたんだ。どう推測しても、好みに合わない。それなら・・・・いっそ気持ちのいいことをした方がいい! たとえ世界中の人が気持ちよくなくても、少なくとも僕ひとりは気持ちよくなれる!

これからの民謡の発展についてはどう思いますか?

どちらかというと悲観している。民謡歌手の党派性はあまりに強い。彼らは自己の格調や路線をあまりにも重視し、少しも変えようとしない。しかし結局商業の方面に進むなら、最終的にはレコード会社や版権管理会社に入ることになり、主流になることがやはり第一になる。両立は難しいから悲観しているんだ。リスナーは音楽が分らない、音楽の内包する深い意味に注意を払おうとしないと非難することはできない。(陳昇、あいかわらず非常クール。分らないヤツは放っておけばよいと・・・・)「杠子頭」といった連中(不明。お化粧をするようなヴィジュアル系を指すのでしょうか。「杠子頭」は元は食べ物の名前)を非難することもできない。「売り出すためにちょっと変化をつけて、化粧やなんかしてみても、まさか死にはしないだろ!?」

あなたは台湾原住民の音楽にも関心を持っていると思うのですが。

台湾にはだいたい50万の原住民、九つの少数民族がいる。すでに人口5000に満たない民族もあり、言語もやがて消滅してしまう。これは正に一つの危機だ。僕たちはかって「新寶島康樂隊」というアルバムをつくり、普通話(普通の中国語のことを大陸ではこう呼びます。台湾では國語)ではない民歌(フォーク・ソングは普通、こう訳されていたと思います)を収録した。これらの民族が漢化される前に、グローバル化される前に、できるだけ彼らの声を留めておきたいと思ったんだ。


民謠歌手的前景

滾石藝人發展部の陳勇志にインタビューしたばかりなのですが、現在の娯楽形式はあまりに多すぎて、音楽をめぐる状況も決して楽観できないと言っていました。

はは。陳勇志は映画と音楽以外の娯楽形式は抹殺したくてたまらないんだ! 確かに今は娯楽が多い。テレビゲーム、インターネット・・・・ある人は言う。「成也電腦,敗也電腦(成功しても電脳、失敗しても電脳。電脳なしでは夜も日も明けぬということですかね)」。外界からの誘惑が多すぎて、若者たちは音楽そのものを重視しなくなり、ここでも僕らの場所はますます小さくなって来た。かってこう言った人がいる。「この世界はあまりに乱れている。このままでは三十年後に滅亡するだろう!」。しかし、こう言ったのはソクラテスだが、彼は3000年前に死んでしまった! この世界はまあ悪くないよ。周りにハッピーになれる方法がたくさんあるのもいいだろう。より豊かで、より精彩があるってことじゃないか。僕は自分なりのキャラクターに徹して、悩み苦しむというやり方で歩いて行こう。

現在、飛ぶ鳥を落とす勢いの R&B ブームについてはどう思いますか。

R&B に対しては、密かに対抗心を抱いているんだ。こういったものは、一部の外国で生活したことのある人が持ち帰ったもので、純粋じゃないような気がする。排斥はしないけど、しかし好きにもなれないんだ。僕たちのまわりには書く価値のある素材、書く必要のある素材がたくさんある。創作の題材については、僕は確かに自分のよって立つ場所を優先しているよ。R&B は「老黒(黒人)」のものだ。他人の得意な分野だ。「黒的(黒人のもの)」がやって来るなら、「黄的(黄色人種、つまり東洋人のもの)」を使って、それと遊んでやればいい。僕たちは「北京一夜」のような歌を書くことができるが、彼らに書けるかい? 自分の十八番の出し物ががあるっていうのに、使わない法があるものか!(Vivien も同感。他人のまねなんて、どんなにうまくまねできたとしても、そんなことには何の意味もないと思う。世界中がアメリカのコピーになってしまうなんて、面白くも何ともないよ。で、さらに思うんですけど、徹底的に自己の独自性を追求すると、結果として、世界的な普遍性に通底できるんですよね。陳昇の音楽を聴いていて、しばしば思うことですが、非常に台湾的(東洋的)でありながら、かつグローバルでもある。真のグローバリゼーションはかくあるべしというのが、Vivien の所感でございます)


「北京一夜」的故事

「北京一夜」はどういう状況で書かれたのですか?

あれは10年前、北京の新街口にある百花録音スタジオというところで録音していたんだが、何日も録音してもうまく行かなくて、特別、あせっていた。そこで僕たち一団は夜になると酒を飲みに行くんだが、僕は繰り返しつい口ずさんでしまうんだ。 "Why am I in Beijing?"、一緒に "One night in Beijing" というこの歌のタイトルも浮かんだ。当時、誰もがこのメロディはとてもいい感じだと言った。その後、また北京のたくさんの古跡を巡って、二、三千年の歴史に思いを馳せた。いくつかの城門を見て、すぐにたくさんの感想がどっと湧き出した。どれだけの物語、どれだけの喜びや悲しみ、出会いや別れが、これらの城門の下であったのだろう! 愛情、戦争・・・・たくさんのことを書くことができた。この歌を書くことができたのも、神さまからの贈り物だよ!

あなたは吟遊詩人のように、旅をしながら歌を書くのが好きですが、旅行をしている時には、人生を感受することを優先しますか、それともインスピレーションを得て歌を書くことを優先しますか。

主に歌手という職業の特色が決定したんだ。僕たちはあちこちへ行かねばならないと。大陸では「走穴(芸能人があちらこちらへ営業に行くこと)」と呼ぶようだね。僕は創作藝人だから、特に留意して、各種の体験を記録し、ずっと累積させて、海綿のように絶えず吸収している。


骨子裏的樂觀

人は多くの経験を重ねると、世の転変に対する無常感も深まります。これはあなたの作品にも表現されていますね。あなたは内心では悲観主義者でしょうか?

僕はきっと楽観的な人間だよ。正に楽観しているからこそ、誠実に世界を見、将来に対する恐れを敢えて口に出すんだ。「想通了」(考えた末に、ああっと合点が行った)という、本物の快楽を、僕は手にしている!

その楽観には愛情も含まれますか? あなたの結婚観、恋愛観はどういうものですか?

僕は永遠に愛情を奨励するよ。僕だって毎日、愛情の中で生きられたらと思う。だけどそうも行かないから、山を見に行ったり、海を見に行ったりして、ちょっと憂さ晴らしするわけさ。明日はどうなるか、それこそ特に確実でないことだと思う時もある。心変わりするのは僕の妻で、全てがゼロに帰すかもしれない。幸いこんな考え方をするようになったのはこの数年のことだ。でなきゃ、こんな観念にどれだけ影響を受け、害を受けることになったか分らないよ(笑)!

毎年、新年コンサート(正確にいうと、跨年コンサート)を行っていますが、とても特別なことですね。いつ内地(大陸のことを指すようですね。こういう言い方は初めて見ましたが)へ来て公演する機会があるでしょうか?

コンサートは、人は多くないが時間は長いというのが好きなんだ。内地での大掛かりな公演を相談しに来た人もあった。たくさんの台湾の芸能人が大もうけしているように、内地でコンサートをやろうじゃないかと。しかし僕は同意しなかった。何のためにそんなことをするんだ? 音楽は人に理解されること、分ってもらうことが必要だ。僕は舞台の下にいるひとりひとりの目を見たいんだ。一般的なロジックに従うのは好きじゃない。台湾で行うようなコンサートが好きだ。毎回、三百、五百人というのがいい。

新しいアルバム「五十米深藍」を評価してみてください。

はは。僕が思うに、残念な芸術といったところだな。具体的に実感できるようになるには、一般的に、二、三年はかかるだろう。



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