放肆的情人(1989)

我的明天

ある日君は両目を開き 突然誰かの言葉を聞くだろう
手の中の遊戯は捨てて 現実の中に戻るんだ
いつになれば幻想に別れを告げるのか

悲しまないで 親愛なる友よ
落ちて行くあの心を掴みとめよう
君が理解してもしなくても 世界は毎日回っている
成長を拒むことなんて誰にも出来はしないのだ

僕の明日 狂おしく追い求めることはもうしない
僕の記憶 それは華やかな色彩に彩られるだろう
僕の明日 期待はますます遠く高く飛んで行く
紺碧の大空を探し求めて

ある日君は眠りから覚めて 突然誰かの言葉を聞くだろう
手の中の遊戯は捨てて 現実の中に戻るんだ
いつになれば幻想に別れを告げるのか

悲しまないで 親愛なる友よ
心ゆくまで歌を歌える場所を探し出そう
互いに競い合うこの世界では真理はどこにあるのだろう
君は翼を展げ自由に飛翔しなければならないのだ

僕の明日 狂おしく追い求めることはもうしない
僕の記憶 それは華やかな色彩に彩られるだろう
僕の明日 期待はますます遠く高く飛んで行く
紺碧の大空を探し求めて

Vivien's note :
この歌詞だけは、アルバムを手に入れてすぐに訳しました。しかし、アルバム自体の印象は薄くて、実はそれほど聴くこともなかったのですが、2000年の秋に訳詞を始めたところ、非常に面白かったです。どの詞も青臭いといえば、青臭いのですが、自分の青春期に感じていたことに重なるところが多々ありました。



愛欲之潮來襲時・・・・・

十九歳のあの年 流浪と僕は約束を交わした
理想の場所を探し出すのだと
誰かが教えてくれることを待ち望んでいた
どこか遠い場所では
誘惑と不安から逃れることが出来るのだと

欲望もなく 自由に解き放たれて
盲目的に追い求めることは二度とせず
愛欲の葛藤に別れを告げる

三十歳のあの年 悲しみと僕は約束を交わした
理想の場所を探し出すことも叶わず
欲望の国では 誰もが飢えと渇きに苦しむ人
誘惑と不安から逃れることなど出来はしなかった

欲望もなく 自由に解き放たれて
Wo ・・・・・・・・・・
愛欲の葛藤に別れを告げる
Fly away Fly away Fly away ・・・・・・・・・・



宿命

なぜ生きようとしないのだろう 逃避か無力感か
生活の方が僕を選び取ったのだろうか
それとも僕がどんな生活をするかを決めたのか
いつも自分を許してしまう理由があった
それに慣れていたのか
それとも単に好んでいたのだろうか
自分自身に対して責任を負わないということを

もちろん夢の中に生きることもできる
あるいは支えきれない程の欲望を青春に詰め込もうか
そして生活は無数の弧線のように
人々の気づかないうちに交錯し擦れ違う
期待を抱くことなど出来はしない
誰かが悲しみを分かち合ってくれるだろうなんて

かって僕にこう言った人がいる
生命の燃焼は一本の煙草のようなもの
儚く永遠に続くこともなく
狂おしい喜びの背後にはいつも寂しさが待っている
だが今までどういうわけか
狂おしい喜びの背後に足を向けるのが常だった
冷ややかに人々を眺め 自分の心のうちに引きこもり
いつも寂しさに身を任せてしまう なぜだろう

もちろん夢の中に生きることもできる
あるいは支えきれない程の欲望を青春に詰め込もうか
そして生活は無数の弧線のように
人々の気づかないうちに交錯し擦れ違う
期待を抱くことなど出来はしない
誰かが悲しみを分かち合ってくれるだろうなんて

Vivien's note :
この歌詞には非常に共感しました。私もこんな風に思っていたことがあったなと。でも実は、今もそんな気持ちを引き摺っています。陳昇、Ni 現在怎麼様?



子夜二時,Ni做甚麼?

また一日が終わろうとしている
君は今何をしているのだろう
僕を想っているのだろうか
あるいは何もしてはいないのかも
自分を慰めようと煙草に火をつけ
受け入れようと待ち構える
人に知られたくはないあの心のざわめきを

午前二時 鳴らない電話をじっと眺める
それはもう止めることのできない僕の習慣
暗い静かな夜空を仰ぎ 思い出すのは昔のこと
ナイフで裂かれたような心の痛みに耐えながら

ただ愛しているという一言を伝えたいけれど
誰かが君に言ってしまった言葉だと知っている
もう君に対する承諾にはなりえないのだけれど
I do love you so

友達から聞いた あの夜君が泣いていたと
僕と別れると決心したことを話したせいだ
君に与えた悲しみが喜びよりも多かったのなら
僕は立ち去ろう ひとり寂しさを抱えながら

午前二時 君は今何をしているのだろう
僕を想うこともなく そばには誰かいるのかも
暗い静かな夜空を仰ぎながら
孤独の中で近づいて行く
人に知られたくはないあの心のざわめきに

ただ愛しているという一言を伝えたいけれど
誰かが君に言ってしまった言葉だと知っている
もう君に対する承諾にはなりえないのだけれど
I do love you so

一日が終わろうとしている
君は今何をしているのだろう
もしかしたら僕のことを
あるいは何もしてはいないのかも
自分を慰めようと煙草に火をつけ
思い出すのは昔のこと
ナイフで裂かれたような心の痛みに耐えながら

Vivien's note :
この歌はあまり好きじゃありません。女々しくて、ちょっと恥ずかしくなります(笑)。Vivien は無条件に陳昇を愛しているけれど、盲目的に愛しているわけではないのですね。とはいっても、共感しないというわけではありません。その気持ちが分かり過ぎるから、恥ずかしくなるんですね。ああ、青春は・・・・・(苦笑)。



温柔的迪化街

どんよりとした夏の午後
空にはゴロゴロと低い雷の音が響いている
温かく優しい迪化街
そこには百年来の誇りと尊厳が埋まっている
物言わぬ人々は 汗と涙で自分たちの日々を支えて来た

字型を作る老人は 穏やかな表情を浮かべ
絶えず昔の上海のあれこれを話題にする

1949年にあそこを後にしたが
すぐに家に帰れると思い込んでいたんだ
今では金も少なからず貯まって
故郷への旅に出発できる日を待っている
だが 年の初めに転々と伝わって来た息子の便りでは
母親はすでに亡くなり埋葬されたという・・・・・

どうかおじいさん頑張れますように
四十年ぶりの出会いまで頑張って
どうかおじいさん頑張れますように
どうかおじいさん頑張れますように

誇りに満ちた迪化街は
もう満天の雨粒を塞き止めることが出来ない

Vivien's note :
「9999滴眼涙」に収められた文章を、陳昇自身が朗読したものです。中国語の授業中、「轟隆隆(ゴロゴロ)」を陳昇風に発音したら、老師に直されました(笑)。



 

嗚哩哇ロ拉 Rock'n Roll

Hey Yea Hey Yea Wu Li Rock'n Roll
僕が生きているのは英雄なんて存在しない時代
アメリカ人の切り札が301条なら
台湾人は金を使って自己の存在を証明する

テレビ番組には 歌うスターが勢ぞろい
古色蒼然二十年間のマンネリズム
台北のインテリが毎日議論にうつつを抜かしても
淡水河のきれいな水はもう帰っては来ない
金持ちの父さんは仕事を終えても家に帰ろうとはしない
酒場に山ほど夜の花が待っているから
素寒貧の父さんは仕事を終えても家に帰ろうとはしない
奥さんが「みんな楽しく」に夢中で家にいないからだってさ

Wu Li Rock'n Roll Wa La Rock'n Roll
憂慮すべき存在をみんな気にもしないのだろうか
僕も馬鹿になれる技をマスターするしか仕方がない

僕がどうして歌っているのかなんて構わないでくれ
僕が生きているのは奇妙な時代
イタリア人の大好物がパクチョイなら
台湾人は国会に出すために黄瓜を栽培する

テレビ番組では 毎日めそめそお涙頂戴
古色蒼然二十年間のマンネリズム
台北の知識人の茶の湯が途切れたことはなくても
彰化のおじいちゃんの田んぼの水はもう帰っては来ない
金持ちの坊ちゃんは放課後恐くて家に帰れない
帰り道に山ほど狼どもが待っているから
素寒貧の坊ちゃんは放課後家に帰りたくない
母さんがゲームに夢中でみんな楽しくないんだってさ

Wu Li Rock'n Roll Wa La Rock'n Roll
憂慮すべき存在をみんな気にもしないのだろうか
僕も馬鹿になれる技をマスターするしか仕方がない

時には大の親友たちに尋ねてみるさ
世界が変になってしまったことに気づかないか
ふつう返って来るのは嘲りと皮肉の言葉
真理なんてものはとうの昔に消えちまったんだってさ

Wu Li Rock'n Roll Wa La Rock'n Roll
憂慮すべき存在をみんな気にもしないのだろうか
僕も馬鹿になれる技をマスターするしか仕方がない

Vivien's note :
みんな楽しく
原詞では「大家樂」 : 1987年頃、台中の愛国奨券所が始めた賭博のやり方を指す。奨券は宝くじ。少ない賭け金で一攫千金が狙えるので、全国的に賭博熱が蔓延し、政府は愛国奨券の発行を停止した。

イタリアのパクチョイと台湾の黄瓜(胡瓜)
「黄瓜」は、あの頃、立法委員(国会議員)選挙に立候補したポルノ女優に由来する。「ポルノ書刊」が「黄色書刊」と呼ばれるように、「黄色」には「色情や肉欲」という意味があり、「黄瓜」はすなわちセックスのシンボルでもある。もし、あのポルノ女優が議員に選ばれていたら、それはイコール国民が国会に一本の「黄瓜」を送るということで、言語道断である。しかし、イタリアでは実際にそういう出来事が起こった。(by 陳昇)

第一稿では「黄瓜」を違う意味に取っていたのですが、陳昇に問い合わせたところ、上のように答えてくれました。「黄瓜」はセックスのシンボル・・・・・、思わず赤面する Vivien 。陳昇はこういう方面については、非常に率直な物言いをしますね。もしかして、私のことを女と思っていないのでは。プンプン。ところで、イタリアの議員に選ばれたポルノ女優って、チョチョリーナのことですよね(こんなどうでもよいことを、なぜしっかりと覚えているのだろうか。我ながら苦笑)。



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