私奔(1991.8)

我喜歡私奔和我自己

夜 誰かを誘って酒を飲みに行こうと
人気のない街角をぼんやりと歩いていた時
ふとロマンティックな思い出に囚われてしまった
君は伝統的な人間として生きることを望まず
足の向くまま彷徨ったあげく
夜明けに 待ち望んでいたバスに飛び乗った
勇敢に全世界の要求を拒絶し
今夜はしばらく歩みを停めてもいいだろうか
門には鍵をかけ 互いを熱愛する感覚も締め出そう
明日もまた新しい友達と出会い
聞かれることになる 次は何をするつもりなのかと
僕は答えよう 自分自身と駆け落ちしたいと

駆け落ちしたい 自分自身と 理由なんていらない
駆け落ちしたい 自分自身と
中国を忘れ 台北を忘れ
明日どこで足を停めるのかも忘れてしまおう
ただ自分の名前がついた運動靴を履けばよいのだ
すでにお馴染みの気違いじみた感覚を待つことはない
世界の終わりが来るという日を待つこともない

夜 たまたま友達に電話をかけていた時
互いの寂しさを分かち合えるのは誰か分からなくなり
気にする人もいないある片隅に身を隠した
僕は今までやったことのないことをしたい
自分自身でさえ訝しく思うことをしたい
今度こそ僕は 駆け落ちしようと決めた
自分自身と

歓びや悲しみから遠く離れ
まるで華麗な衣装を脱ぎ捨てたようだ
中華航空が君をどこへでも連れて行ってくれる
中国以外のどこか 君は考えなくてもいい

Vivien's note :
陳昇のアルバムの中で一枚だけ選べ、と言われたら、やはりこのアルバムを選ぶでしょうか。ここに歌われている様々な思いは、Vivien の心にも様々な思いを呼び起こします。そしてここに歌われている様々な情景は、Vivien の脳裏に、まるで映画のワンシーンのように鮮明なイメージを結びます。それらは決して明るいものばかりではありません。しかし、アルバム全体から感じられるのは、閉ざされていた視界がさっと開いたような、そんな明るさ。



如風的少年

1958年統一試験の終わったあの日
ジミーがバイクに乗って僕に会いに来た
色褪せたカーキ色の長ズボンを穿き
顔にははにかんだ笑みを浮かべていた

僕たち二人は鳳凰樹の陰に身を隠し
比べるものがないほど青い空を眺め
こっそり煙草を吸う練習をしたりした
だけど一言も話はしなかった

日が西に傾くまで遊びほうけて
弟がご飯だから帰ろうと呼びに来た時
彼はやっと口を開いた ごめん
君と一緒に叶えることはできなくなった
あの子供っぽいたわいのない夢を

Don't cry, Jimmy Jimmy Don't cry
Don't cry, Jimmy Jimmy Don't cry
Don't cry, Jimmy Jimmy Don't cry
僕たちは風のような少年だった

1958年北風の吹き始めたあの日
僕は北へ向かう汽車に乗った
彼は緑色の軍用ジャケットを着て
ホームに立ち僕に別れを告げた

四輪車を手に入れたから会いに戻った
最後の記憶は彼が僕に言ったその言葉
誇らしげに北風に向かい狂ったように叫んだのだ
そうして別れを告げた風のような少年の生活

お互いに分かっていたんだ
誰もが自分の道を行かねばならない
過ぎ去った日々を悲しんでいる時間などないと
勇敢に手を振り別れを告げよう
努力すれば心の中に美しい記憶が残るだろう

Don't cry, Jimmy Jimmy Don't cry
Don't cry, Jimmy Jimmy Don't cry
Don't cry, Jimmy Jimmy Don't cry
風のような少年

風のように意地っ張りの少年は
とてつもなく偉大な夢を抱いていた
だけど今はただ風の吹き始める夜
あのはにかんだ顔を思い出すだけ

Don't cry, Jimmy Jimmy Don't cry
Don't cry, Jimmy Jimmy Don't cry
風のような少年

Oh 風のような少年 結局失ったものは何だったのか
分からない 僕がジミーのことを哀れむべきなのか
それともジミーが僕のことを悲しむべきなのか

Oh 風のような少年

Vivien's note :
かって一緒に青空を眺め、夢を語りあった友との別れ。過ぎ去った時間への甘い追憶と、人はそれぞれ自分の道を行かねばならないという苦い認識。これは誰にでも覚えのある普遍的な出来事。ジミーの抱いていた、とてつもなく偉大な夢とは何だったのだろう、この曲を聴くたびに、そう思う Vivien です。

Vivien の夢は、二十代の頃は映画評論家になりたくて、せっせと映画に関する文章を書いていました。今、陳昇へのファンレターに、詞や小説の感想を書く時、それが役に立っています。三十代の頃は翻訳家(英語)になりたくて、何年も翻訳教室に通いました。原文の意味さえ取れれば、そのあとの日本語にするという作業は同じなので、それも今、役に立っています。こうして振り返ってみると、回り道を続けてきたかのような道程も、長い助走だったのだという気がします。陳昇の詞と小説を翻訳するという「ライフワーク」に辿り着くための。だから、今は最高に幸せ !



少年夏不安

こんなに暗い空 こんなに強い風
父ちゃんは漁に出たまま なぜ帰って来ないの
少年夏不安 鞄を背に遠くを見ている
聞きなれた汽笛が響くのを待ちながら
ひとりぼっちで涙をこらえている
少年夏不安 家は南部の七美港
一日また一日と待っている あの屈強な双肩を
彼は尋ねる こんなに暗い空 こんなに強い風
父ちゃんは漁に出たまま なぜ帰って来ないの

母が答える 船は遥かな遠い場所まで行ったんだよ
そこは風も吹かず 恐ろしくなる暗闇だってなくて
取り尽くせないほど魚や海老がいるはずさ
戻って来れば私に代わって
同級生がみな持っている新しい鞄を買ってくださる
なぜそんなに遠い場所があるのか分からないまま
どんなに待っていても まだ帰らない
まだ帰らない まだ帰らない
温暖な七美港

こんなに暗い空 こんなに強い風 父ちゃんは漁に出た
こんなに暗い空 こんなに強い風 父ちゃんは漁に出た
少年夏不安

Vivien's note :
これを聴くたびに脳裏に浮かぶのは、海を見つめる男の子の後姿。その小さな背中に向って「頑張れ」と思わず声をかけたくなる Vivien 。陳昇の切り取る情景は、確かな実感を伴って迫ってきます。



最後一盞燈

秋風の吹く冷たい夜の中
君と別れた場所をいつもさまよう
向こうから来る人が君なのか確かめよう
今でも泣いているのか尋ねるために
電話に向かい自分の気持ちを説明したい
どんなに想っているかを告げて
そっと優しく君を僕の方に抱き寄せる
そして明日は一日一緒に過ごすのだと

人影もない冷たい夜の中
最後の燈火を探し求めて
その門の扉がひっそりと開けば
夜明けまでずっと君を抱き締める

電話の中には静かに泣く声がして
君は僕を待てないと言う
街燈が涙で滲んでしまった街角に立ち
僕はもうまるで自分ではないようだ

今までいつも君を待っていた
今さら自分を変えられない
恐らく君は一人では生きて行けないだろう
誰かを愛してしまうことは 間違いない

秋風の吹く冷たい夜の中
君と別れた場所をいつもさまよう
君の門の鍵は取り替えられてしまったかと
僕はもうまるで自分ではないようだ

人影もない冷たい夜の中
最後の燈火を探し求めて
その門がひっそりと閉ざされていれば
夜明けまでずっと泣き続けるだろう

電話の中には静かに泣く声がして
君は僕を待てないと言う
もう一度会ってくれないかと尋ねよう
君は僕の最後の燈火なのだから



午后的蝉声

おばあちゃんが飛んで来て ぼくを抱きとめ言った
坊やそんなことしちゃだめ あなたは僕を見ている
秋の蝉はただ七日間生きられるだけ
生命はあっと言う間に生まれて消える
だから自由に空を飛ばせておやり
善良な心は 蝉にだって分かるはず

西瓜の皮と鼻汁を お供に連れて
今頃夢に現れた子供時代 まるで昨日のことのよう

おばあちゃんは籐椅子に腰をおろして
僕を見ている そばには僕の子供がいて
今から梢の蝉の声を捜しに行くのだ
あの年のことを 祖母ははっきり覚えてはいない

生命はまるで透明な歌のようだ
そっと優しく歌い繰り返すことはない
おばあちゃんが夢の中で笑っている
自分の子供時代に戻っているんだ
子供が僕に尋ねる 生命って何と
ひとつの歌のようだね 我が子よ

 ほら
 秋の蝉は七日間しか生きられない
 なのにあんなに歌っているよ
 さあ僕らも歌を歌おう!

Vivien's note :
初めてこの曲を聴いた時、涙があふれました。このアルバムを手に入れたのは、1995年の八月。それ以前に「恨情歌」の中の「再見、阿好(女審)」を聴いていたからです。こんな優しい心を持ったお祖母ちゃんがいたから、陳昇は陳昇になったんだ、そのお祖母ちゃんもすでにこの世を去り・・・・・、と感傷に耽りました。人は独りでは生きられず、そして生命の環は連綿と続いて行く・・・・・。



新樂園

昨日の夜僕は夢を見た 硬い甲羅を被った自分が
テーブルの端までよたよた進み 世界の果てと思い込む
一晩中カラオケで歌い 何度乾杯したかも忘れてしまった
女の子はみんな僕が好き 僕はオシャレな歌手なのさ

冷蔵庫の気の抜けたビールに つまみは残り物の枝豆
青いシャツでカッコよく決め 自分の主張も忘れずに
路地の出口に陣取るあの犬は 最近僕には知らん顔
発条を巻かれた人形のように 僕は潮の流れに逆らえない

立派な生活の道理について 一体君に何が分かるというのか
僕には僕の論理がある 何と言われようと気にするものか
今日の気分は素晴らしいから 海辺をドライブすることに決め
僕の青いジープを走らせる 世界のことなんて放っておこう

ひとりぼっちで孤独な夜は 明日を思い煩うこともある
僕がよい国民でないといえるかい 友達もみな変じゃないか

バナナパラダイスにある小国の 硬い甲羅を被った国民が
人の群れによたよた流され 世界の果てにたどり着く

Vivien's note :
「路地の出口に陣取るあの犬は 最近僕には知らん顔」、この一行に思わず苦笑。「やれやれ、犬にまで嫌われたらおしまいだ」と。しかし、自分も含めた台湾人に対する陳昇の洞察には苦渋が満ちていて、日本人の私にどこまでそれが理解できるのか、という思いにも囚われます。やっぱり台湾に生まれたかった、苦い思いでさえ、陳昇と分かち合いたかった、と思う Vivien 。



老Die的故事

エレベーターの出口にいるお爺さんは 輝く昔を生きている
徐蚌の会戦でびっこになった足をかばいながら
子供たちは理解できずに お喋りのお爺さんを嫌っている
今の若い者はと彼は言う 自分たちとは大違いだ

わしがあんたのような年の頃には
南から北へもう何回も行き来していたものだ

なあ いつかわしの物語を最後まで聞きにこないか
どうだい どうだい

入り口にいる掃除のお爺さんは 酒瓶を突付きながら昔を想う
永遠にうまくならない「台湾語」を使いながら
ねえ あんた「飯は食ったかい」
ひまならお喋りにつきあってくれよ
口を開けて 目には涙を浮かべて僕に言う

以前のわしは兵隊を指揮して勇ましいものだった
雑巾がけの英雄だなんて思わないでくれよ

なあ いつかわしの物語を最後まで聞きにこないか
どうだい どうだい

Oh わしは歳月をむだにして時機を逃してしまった

なあ いつかわしの物語を最後まで聞きにこないか
どうだい どうだい

Vivien's note :
ここで歌われているのは台湾に住む外省人。そして「新寶島康樂隊第一輯」では台湾各地に住む本省人の人々が歌われています。省籍の違いはあっても、両者に共通するのは、運命に翻弄されるまま、何かを失ってしまった人たちだということ。そういう人々へ向ける陳昇の優しい眼差しには、いつも心を打たれます。



無神論者的悲歌

果てしない無神街道をひとり行く
罪を犯す欲望にかられたがゆえに
どれだけ悔い改めてきただろう

かって自己を見失ったと思い
すべての神が忘れ去った場所にいた
ためらう足を何とか励まし
夜空に最後の星光を探し出そう

目的などない歩みをひとり進める
罪を犯す欲望にかられたがゆえに
意外にも興奮を覚えてしまった

かって自己を見失ったと思い
すべての神が忘れ去った時を過ごした
不可思議な幻想を肯うわけにはゆかないが
こんなになすすべのない悲しみも抱いている

すぐに変ってしまう僕の心
しかし行く道は自分で決めなければならない
すぐに変ってしまう僕の顔
どちらにしても気にする人などいはしない
真実の僕を 真実の僕を

信仰のない都市をひとり行く
罪を犯そうと考えたがゆえに
どれだけ悔い改めてきだろう

かって嘘偽りのない信仰を抱いたために
すべての神が忘れ去った場所にいた
ためらう足を何とか励まし
人の世の最後の信仰を探し出そう



HOME PAGE
SONGS INDEX