9999滴眼涙
あの年、僕は十九歳。忠孝東路にはまだ一軒のカラオケ店も見当たらなかった。だから、自分の気持ちを慰めるために、他人の悲しい歌を歌いに行くことはできなかった。ある時、おずおずと富麗華というレストランの門口に立ち、そこで歌っているピアノ弾きにメモを差し出して言った。「おじさん! 僕のためにこの歌を歌ってくれませんか・・・・・」。(これが思い出させるのは、サン・テグジュぺリの書いた、彼に羊の絵を画いてくれと頼む星の王子さまだ)。彼は優しい眼差しでメモを開き僕に言った。「九千九百九十九粒の涙! 上がって来てお座り! お兄ちゃん! 僕には君の気持ちが分かる気がする」
あの夜、レストランが看板になったあと、僕はひとり頂好広場前の道端に座り、一晩泣き明かした。
十九歳のあの年、僕は多くのことを学んだ : ひとりで生計を立てることを学んだ : 欺瞞を学んだ : 煙草を吸うことを学んだ : 歩道の赤煉瓦をひとつずつ数えることを学んだ : 酒を呑むことを学んだ : 自分の顔に仮面を被せることを学んだ : この誘惑の都市に放逐された時、心がざわめくあの名状しがたい思いをいかに処理するかを学んだ : 当然、自分の悲しみをいかに包み隠してしまうかをも学んだ・・・・・。
造物主は人間を何と拙劣に造られたのだろうか! 手に入れたその時から、失い始めることになるというのに、それでも僕はどうしても手放すことができない。なぜなら、別れの痛みを知っているからだ。それなのに君が僕に与えようとする、そして僕が君に与えるべき、喜び、満足を、大切にいとおしむこともしようとはしない。
僕はこれらのことを記録して、人に伝えて行こう。僕たちにも子供ができるだろう。男の子であれ、女の子であれ、彼らがみな僕の愛の証を目にしてくれることを希望している・・・・・。
Vivien's note :
十九歳の陳昇を思い描きながら読むと、青春の切なさに満たされます。同時に、陳昇の原点ともいうべきものも感じます。それにしても、自分を「星の王子さま」に例えるなんて(微笑)。
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