狂い咲く氷塵

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在り得ぬ時に花開く。真冬に咲くを、狂い咲きと人の呼ぶ。
 
雪原の真っ只中、粉雪と共に紅が散る。眼に艶やかな血色の花弁。宵闇に映えるは女の喘ぎ。冷えるわね、それ以上もそれ以下も無く。あったのは、獣よりも獣らしい情欲。散った花弁が雪の原を染める。椿が愛すは、凍れる大地。春を待つなどする事も無く。互いを、喰い合うように慈しむ。それもきっと、純粋な愛。愚かな人の、手には余れど……。
 
月無き夜風に、氷塵が狂い咲く。艶やかに紅を差し、血色の花弁が舞い落ちる。
 
 
 
 
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
吐き出した吐息が白く曇る。未だ春の来ない街の夜。夜でも外には街灯の明かりが等間隔に輝き、放たれる柔らかい光が夜道を照らす。月は無い。この魔術の街から、月の光はとうに消えた。形定まらぬあやふやな自然など、明確な定理を追求する研究者達には好まれない。街は夜の闇に呑まれる事を拒み、魔術の灯が街角を照らし続ける。人間は、在るべき形を思いのままに操る事を試みる。手繰る糸のなんと細い事よ。運命を紡ぎ上げる糸車は、その意志を以って操者を選ぶというのに。人の手は、試みるに過ぎない。往く道を選ぶ己の自由を信じながら、既に抗い得ぬ力によって示された道を人々は歩む。
 
女は窓の外を眺めながら、ぼんやりと考えていた。取りとめも無く。
 
女は言い放つだろう。興味を引かれる何かが眼の前にあったなら、生死への執着は己の鎖には成り得ない。「ああ、そういえば神の器の仕組みを解明すると言った男が居たわね」とメルティーナは窓の外を見下ろす。顔を近づけた窓硝子が白く曇った。あの男がこの街を去ったのももう何年前の事か。グラスの中でカラリと氷が揺らぐ。
 
 
 
――――貴女も、恐らくもう解っているんでしょう、メル……?
 
 
 
そうね、認めるわ。アンタとは少なくとも退屈はしなかった………。
 
宮廷魔導師に選ばれた。それは、きっと名誉なのだろう。そう、ただの人間達ならばそれで満足するに違いない。だが、彼女はそうではなかった。ただの肩書きの差異に過ぎないと切り捨て、今だってその祝いの宴から主役が抜け出すという所業に及んでいる。この飢えを満たしてくれるのは何なのだろう、女はグラスを傾けた。酔いが回ってくる暫しの間だけの恍惚。カチン、とグラスが酒のボトルにぶつかった。得たかったものがあったかもしれない、曖昧に思う。あの頃。そう思ったかもしれないし、そうではなかったかもしれないし。欲しかったのかもしれない。でももう、その機会は得られない。自分よりも上に居た者を超えるという事。上に居た者が先に去ってしまった。
 
あの男は最後に言い残して行った。ここにはもう、得られるものが無い、と……。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
己に残された最古の記憶は、人買いに手を引かれた朝焼けの空。脳裏を過ぎった嫌な予感。揺れる荷馬車。檻の中で鎖に繋がれた瞬間、何かを悟った。幼い少女には堪え難いほどに強い恐怖と、人間への失望。そして、己一人の手のみを信じる道を。有り得ないほどの力で鎖を振り解き、少女は逃げた。爪は割れ、血が滲み、息を切らせて、裸足で走った。追い掛けて来た人買いの男の血走った眼に反発するように暴れに暴れ。地面に押さえ付けられ、殴られた。激情に駆られた男が少女を見下ろす。白い肌、蕾の綻びかけた危うげな年の頃。振り乱された髪が周囲に咲いていた白い花の合間に散る。男の眼に、男としての本能が浮かんだ。呆然と事態に付いてゆけずに身を強張らせた少女に男は言う。じっとしていろ、と。
 
誰が、助けてくれるというのだろう。
 
少女は悟る。何かを。髪とよく似た萌葱の瞳から一筋流れた雫が少女が一生で流した最後の涙。男の馬鹿にしたような笑い声を聞きながら、少女は歪んだ笑みを浮かべる。泣きながら。少女の脳裏に白い閃光が走った。身体が震えた、恐怖ではなく。己に覆い被さる男の表情に、少女は正面からそれを見据える。
 
………冗談じゃ、ない………
 
眼の前の少女は観念したのか、大人しくなった。男は楽しげに己の欲に溺れようとする。そんな男の眼前に突き出された、少女の華奢な白い腕。己の内に荒ぶる意志が具現する。それはとても高貴な獣が如く。男が疑問符を思い出すよりも早く、周囲に白の閃光が逆巻いた……。
 
魔術の才が、覚醒する。己が誇りを護るべく。
 
頬を伝っていた雫をも吹き飛ばし、あとに一人残った少女はゆっくりと立ち上がった。否、既に幼い少女の言動を失った娘が。
 
 
「……私は、アンタ達みたいな人間に、良いようにされたりしないわ……」
 
 
草の原に咲いていた、小さな白い花はもう無い。花弁は血飛沫に染まり、艶かしいほどに紅く。
 
認めない。己よりも劣る者に、身を奪われる屈辱など、私は認めない………!
 
 
 
 
 
貧民街のギルドに裸足の少女が駆け込んだ。仕事をくれ、と。幼い少女の言葉ではなかっただろう。仕事が欲しい、何だって出来る、たとえ人を殺す事さえ……。だが、身を売る真似だけは撥ねつけた。迸しる魔術の閃光と共に。メルティーナはくすりと笑った。グラスに口をつけながら。「アンタほど面と向かって失礼な奴も居ないわよ、フツー」と思い出し笑いが零れる。初めて身を許した男は飄々と笑って言い放ったものだ。かつて彼がこの街を去ると言ったその夜に。
 
 
 
――――貴女の経歴から、色々と経験しているものと思っていましたが……?
 
 
 
「本当に失礼よね」とメルティーナは後ろを振り返る。そこに入って来たのが誰かが判らないはずはない。一人で静かに過ごす為に遮断の結界を張った己の私室。入って来られる人間など一人しかいない。視線の先には掻き消えてゆく移送方陣の煌めく残滓。そして、呪衣の裾を払っている男の姿。随分と前にこの街を去った……。メルティーナは緩く視線を流す。その辺りの男なら、ただそれだけで屈するだろう。それが彼女の牽制であると知らぬまま。
 
 
「久し振りねぇ、一杯どお?」
 
 
ただ一人、今なお女の上を往く者。メルティーナが主導権の奪い合いを愉しむ相手。警戒の色は見せず、だが女には男を出迎えるが為に立ち上がる事も無い。己のテリトリーに迎え入れた事が彼女が向けた男への賛辞。心得たように男は眼を細めた。変わらない関係。相入れる事は無く、けれども互いに最も近しい魂の理解者。「祝賀を申し上げに参りましたよ、メル」と男がからかうように笑った。メルティーナは不愉快そうな顔をする。それが厭味だと判るが為に。
 
 
「久し振りに会うなり、いきなり厭味は考えものよね、レザード……」
 
 
折角の酔いが台無しだわ、と言うメルティーナにレザードと呼ばれた男はくつくつと喉を鳴らした。「厭味とは心外ですね。この私が自ら出向いたのですから、少しくらい歓迎していただきたいものですねぇ」と、含むような笑い方がよく似合う。ふ、とメルティーナは鼻で笑った。彼女には男の行動の裏が解る。なるほど、一応好意ではあるらしい。ならば。
 
 
「付き合いなさいよね。レザード」
 
「フフ……愉しませてくださいよ?」
 
 
今も昔も、同位置から対する事が出来るのはこの男だけだ。互いに枯渇し、喰い合うように慈しむ。焼ける喉にひと雫。満足には至らぬけれども、それに近い何かを。その為に男は来たのだという。飢える己への、それは最大の祝いではないのか。熱を喰い合いながら、女は過去を少しだけ思い出す。かつて、得られるものを見出せなくなった街から、渇きを癒す雫を探して去る男に、己が贈った最大の祝賀を。
 
あの夜も、世界に春は未だ来ていなかった………。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
禁忌とされた死霊術。その禁断の領域に手を出しても男の渇きは満たされない。だが、禁忌は禁忌。学院からの除籍処分は当然でもあった。男は笑った。ならば去ろう、と。既にこの地に未練を残す謂れは無い。ただ一つ、あるとすれば、己によく似た魂の持ち主を。満たされる事の無い飢餓を知る者。一つの精神体を二つに裂いたように、己によく似たあの娘。レザードの中に、メルティーナは確かに存在していた。個として。
 
 
「はぁ?退学?……って、なんで?」
 
「まぁ、頭の固い人間には禁忌の存在は重いのでしょう」
 
「ふーん。アンタがバレるようなヘマするなんて……間抜けねぇ」
 
「良いんですよ。どうせもう、ここで得られるものはありませんし……」
 
 
そう言うだろう事は分かっていた。彼の飢餓は凄まじい。己とて人の事は言えずとも、己にはまだ彼の存在が飢餓の癒しでもあった。だが恐らく、彼にはもう無いのだろう。この凡人達の街で得られるものなど。……この街?いや、恐らくは既にこの世界でさえも。
 
 
「貴女も、恐らくもう解っているんでしょう、メル……?」
 
 
聞かぬ振りをした。満たされぬ飢餓は怖かった。何かを悟った遠い昔から、貪欲に生きる獣が己の中には棲んでいる。自分達が神の領域を求めるようになる事など、その頃にはもう分かっていたけれど。ねぇ?それでももしも、それを得てなお満たされなかったら……?この渇きはどうすれば良いの?何かを求めた瞬間、焼けた喉に滴る雫。けれども、求めた何かを得た瞬間、再び焼けつくように喉は渇く。手に入ってしまうものでは、すぐに渇きが痛みを訴える。
 
 
「ねぇ、レザード……?」
 
「ふっ……まだ知り得ぬものが在りましたか……」
 
「ええ。冷えるわね……」
 
 
冷えるわね、と誘ったのは女の方から。魔の力を行使する二人、気温を操るなど造作も無いのだが。それ以上の言葉など無くも、互いの言葉を理解する。欲しかったのは手に入らない何か。ずっと満たされるかもしれない可能性を追い続ける事。己の欲にいっそ清廉なほど従順に。情欲といえど、例外には非ず。互いに、誰の物にもならない者同士の一時だけの癒しを。
 
 
 
 
 
「――っ、ん……くっ……」
 
 
節の際立つ男の手。レザードの長い指が白い肌を蹂躙する。するすると滑りながら、その指は女を追い詰める。喘ぎを噛み殺すメルティーナの様子にレザードは薄く笑った。「我慢は良くありませんよ、メル」とはなんと忌々しい台詞であるだろう。これはいわば、捕食。だが、女もまた大人しく喰われる事を良しとはしない。熱に浮かされ、萌葱の瞳に涙が膜を張る。ゾクリと肌が粟立つような色香にレザードは思う。そう、これに呑まれれば喰われるのだ、と。それでも、女は嬌声を噛み殺す。その姿のなんと誇り高い事か。
 
窓の外に白く舞う。その粉雪の中に、狂い咲くのは血色の花弁。紅い椿は春の花。春を待たずに、凍れる枝に花開く。凛、と。
 
互いに息が上がり始める中で、男はなおも攻め立てる。メルティーナの華奢な腕は最後まで相手に縋る事は無く、白いシーツをきつく引き寄せる。「こういう場合は女性の方から強請ってくれるものだと思いますがねぇ……?」と表情に余裕を浮かべ、レザードは愉悦を思う。けれど、その瞳の奥の強い欲を寸分の違い無く汲み取り、メルティーナは強い口調を揺らがす事も無く。「あら……男はやけにリードしたがると聞いたけど?」と語尾上がりに問う女の声は、男の耳元に囁くように熱を伝える。
 
獣よりも獣らしく。されど、何者にも見下ろされる事の無い、高みにしか坐さぬ獣。
 
喉に噛み付くようにしながら、レザードはその乳房を舐め上げた。「う、……ンン!」と先程以上の強い反応がメルティーナの喉から漏れる。甲高い嬌声のくぐもる独特の音。互いにギリギリのラインを行き来する。男が指を差し入れた女の中心からは艶かしく水音が響く。透けるような白い肌と酸素を求めて喘ぐ唇の紅。妖艶なる魔女の、その気高きを腕の中に。手に入れるような一瞬。女が男に贈る最大の祝賀。そして、常に高くある者を追い落とすような錯覚という名の一瞬の満足は、男が女に捧げる最大の賛辞。睦言の一つも囁く真似すら無く、彼らは不意に言葉を交わす。息を切らし、途切れ途切れの声とその内容のなんという冷静さ。
 
 
「こ、れ以上は……無意味ですか。よく、持ち堪えますね…メル……」
 
「う、るさい…わね……早く、しなさいよ。焦らされるのは……嫌いなの!」
 
 
苦しげな息の下で表情に苦悶を浮かべて。それでも、常と変わらないメルティーナの姿にレザードは小さく笑った。愉快そうに。その様子にメルティーナ自身もまた、冷笑を返し……。彼らの間に恋情は無かった。求めたのは情欲だけを。そしてその向こうに、絶対に手には入らない何かを。互いに奪い合うだけの、癒し………。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
かつてと同じように、熱を貪る。違うのは、彼らの下にある寝台の持ち主が入れ代わっている事くらいだろうか。男の呪衣は寝台の下に滑り落ち、宴の為にと師が誂えた女のナイトドレスはとうに熱を纏った躯の下で薄いシーツの一部となっている。一般の恋人同士ならば、睦言の一つでも囁き合うのだろうか。だが、彼らはそうではない。互いを、喰い合うようにのみ慈しむ。これはいわば、捕食。彼らが自らの存在を維持する為に必要な行為。獣が生きる為に餌を狩るように。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
真冬に咲くを、狂い咲きと人の呼ぶ。紅い椿は春の花。雪の大地に紅が落つ。ただ一つのみ、凛、と。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 









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首の絞め合い結果発表、逆薙さん編ですv
私、これ読んで悶えました(爆)
メルティーナが色っぽいことこの上なし・・・!!!
本気でレザードになりたいです・・・!!!
(いや、私がレザードになったら絶対捕食されますが/笑)

むしろ溺れたい。(オイ。)

ありがとうございました!!掲載許可もありがとうございました!!
ちなみに、首の絞め合いゆーり編はコチラ

逆薙さんのサイトへはDQリンクから行けます☆