彼岸の花

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「……やはり、その辺りのモノでは強度が……エルフを使わねば耐久値が必要最低値さえ満たさない……」
 
 
 
 
 
神の精神を繋ぎ止め続ける為の呪法には常世の素材では耐えられない、そんな事を呟きながら男は利き手を顔に近づけた。指先が僅かにズレた眼鏡を押さえる。眼の前の『失敗作』に向けて口許に緩い笑みを浮かべると男は長い呪衣の裾を翻した。元はなんであったのか、ただの廃棄物と化したそれを意識の中心に置くと男は眼鏡の奥でゆるりと眼を細める。
 
 
「滅せよ」
 
 
指先一つ動かさず、小さく呟かれただけの一言は、しかし、ただそれだけで意味を持つ。言の葉は意志の具現、男の意図した通りに魔力は作用の方向を得る。空間そのものに掛けられた膨大な重力がその重さによって三次元的な歪みを形成し、対象を消失させるほどに押し潰した。一瞬の後に残ったのは、廃棄の対象とされた『何か』のみが消えた……今にも崩れそうなほどに雑然と積まれた資料さえ、何事も無かったかのように静かに佇む、男の研究室の風景のみ。超狭域的な遮断結界の困難さ、失敗すれば自身をも飲み込みかねない強力な呪を至近距離で発動するリスク。だが、男は無知による無謀に挑戦しているのではない。
 
それは、絶対的な自信に基づく確信。希代の術者レザード・ヴァレス、正にその人の彼の彼たる所以である。
 
再び眼鏡を押さえたレザードの背後、部屋のドアに凭れるように腕を組んで一連の出来事を眺めていた女は豊かに長い深緑の髪を掻き上げながら、声が小さく刺を含んだ。
 
 
「…相変わらず、憎ったらしいくらいの術のキレよね」
 
「観客が居ると人間は従来以上を成そうとするものですよ、メル」
 
「厭味に厭味で返さないでくれるかしら。アンタの従来があんなモンなわけないでしょ」
 
「おや、私を随分買ってくださるようですね」
 
 
それは光栄、と笑みを含んだ声にメルティーナはフン、と鼻を鳴らした。腹の立つ男だ、自分より遥か上を余裕の表情を浮かべたまま易々と渡っていく。メルティーナ自身、他の追随を許さないほどの充分な能力を備えた才女である。名門フレンスブルク魔術学院において首席の位置にあったという事実は伊達ではない。しかし、彼女にはそれさえもが屈辱であった。首席の座さえ、眼の前の男がもはや不要と投げ捨てたものに過ぎない。その屈辱を表に出す無様な姿など、己の矜持が罷り間違っても許さないけれども。
 
 
「それで、何の用です?今日はヴァルキュリアは一緒ではないのですね。ふむ、残念」
 
「レナスはせっせとお勤め中よ。私は……ちょっと研究の材料に欲しい物があったのよね。アンタのトコなら見つかりそうだから……」
 
「……私の研究室は物置ではないんですがねぇ」
 
「そこら辺の奴じゃ手に入れられないんだから仕方ないわ。私だって好きでこんなトコ来ないわよ」
 
 
薄暗くて、なんかジメっとしてる気もするわ、とメルティーナは眉根を寄せて不快そうにレザードを睨む。「あっちこっちで見苦しいのが勝手に増殖してるし。ドラゴンゾンビを放し飼いにするんじゃないわ。ったく、腐臭が身体に染み付いちゃったらどうしてくれんのよ」と大して気にしてはいなさそうな様子で文句を並べるメルティーナにおかしそうに喉を鳴らしたレザードは、「貴女くらいですよ、私の他に一人でこの塔を闊歩出来る人間は」と薄く笑った。無論、麗しき銀髪の女神は人間ではない為、レザードの中で彼女は別として考えられているわけだが。
 
 
「さてと…。で、客に椅子とお茶くらい勧めないわけ?」
 
「不法侵入の身で態度が大きいですねぇ、メル」
 
 
レザードはそう言いながらも、拒む気は無いらしく。物腰だけは穏和に振る舞う男。何事かを呟くと円と直線に形作られた魔法陣が二人の足元で輝きを増した。立ち上る光の粒子が結界の外面を硬質化し、開かれる次元の歪みから身を護る防御壁に変わる。
 
 
「アンタはたかだか部屋の移動にまで移送方陣なんて大技を使うわけね」
 
「所要時間の短縮を図る、極めて合理的な行動だと思いますが?」
 
「まぁ否定はしないわ」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
燻ゆる湯気。ティーカップを差し出した緑色のホムンクルスが拙い言葉で「どうぞ」と言う。メルティーナは驚いて眼を見張った。人為的に創られた生命が自発的に発言するなど……。研究心が疼き、レザードに問い掛ける。曰くするところ、「人間の精神を器に投影したが、それ以上の学習や成長の能力が見込めない」との事。
 
 
「……アンタより可愛げがあるけど、もうちょっとビジュアル的にどうにかなんないの?」
 
 
なにぶん、ゴツイ大男のホムンクルスの中身が、病で死んだという子供の精神コピーなのである。
 
 
「私もその点については同感ですねぇ。是非、より良い素材を手に入れなくては」
 
 
ククッ、と喉を鳴らすように笑うと、徐にレザードはメルティーナの姿を眼に止めた。
 
 
「造作の美しさだけなら、常世の素材にでさえ五万とある。メル、貴女も充分にラインを満たしていますよ」
 
「聞き捨てならないわね。私をそこらの人間と同じ次元で計らないでくれない」
 
 
カチャリ、とカップをソーサーに戻し、レザードは愉快そうに眼を細める。
 
 
「ふふ。貴女のその、未だ人らしく情感を失いきれないところがとても好きですよ、メル」
 
 
人間への情愛など失って久しいレザードにとって、それは研究素材のカテゴリーの中でも希少なそれに向けられるものではあったけれど。
 
ふと眼を遣った先で、花瓶に生けられた紅い花が揺れる。先程消した『失敗作』はあまりにも幼い言動のまま成長が見込めなかった為に廃棄したのだが、知らないうちに生前の人格に基づく幼い行動によって花など生けていたらしい。レザードは戯れにその花をひと茎取ると、優美な仕草で眼の前の女に差し出した。「どういう風の吹き回し?アンタに花を愛でる趣味があったとは知らなかったわ。この変態」と辛辣な言葉を女は投げる。
 
 
「花の選択は『らしい』けど、飾っておくような花じゃないわね。厭味のつもり?それとも……」
 
「後者ですよ」
 
「フン、まったく嬉しくないわね。むしろ、鳥肌が立つわ」
 
「おや、お気に召しませんでしたか?」
 
 
愚鈍な人間達が相手では、こんな会話は楽しめない。こちらの言葉の裏を理解する賢しさ。レザードは落ち掛けた眼鏡のブリッジを押さえると、ほんの微かに肩を揺らした。
 
紅い彼岸の花。子供の人格は飾る花の良し悪しなど考えるものではなかったらしく。毒になり、薬にもなり、食する為にも用いられるそれは別名、死人花。有益でありながらも忌み嫌われるその花に、俗世の慣習は一つの意味を持たせている。愚鈍な者達は知らぬだろう。彼らが自ら生み出した習いでありながら、それを忘れる愚かさを。知識とはそれ即ち、知っていてこそ意味がある。
 
紅い彼岸の花の意味は、想うはただ貴女だけ、と。無論、銀の女神に非ざる彼女へのそれはモノへの愛であるけれども。
 
 
 
 
 
────貴女の、その聡明さは私を楽しませてくれる。それが出来る『人間』は貴女だけですよ、メル………
 
 
 
 
 

<Fin>


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玉響の微睡の逆薙様から頂きました!

レ ザ メ ル ・・・ ! ! レ ザ メ ル ・・・ ! ! ! 
はぅあぁぁぁぁぁ!!!!私、レザメルを扱い始めて本当によかったです!!
紳士!!紳士レザード!!!めちゃくちゃ素敵ですっ!!!
やっぱレザメル最高。マジ最高。
本当に本当に、ちゃっかり掲載許可まで頂いちゃってありがとうございました!

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