幕間劇「季節外れの迷惑サンタ」
※始めに
この短編は、黒瀬が今野緒雪氏著「マリアさまが見てる」シリーズを元に創作した二次創作です。お含み下さい。
時期的には「薔薇の花かんむり」、三年生を送る会前日の金曜日の夕方です。
1
三月に入って、放課後の高等部の方が何やら騒がしい。
佐藤聖は、去年の記憶をまさぐってみた。
(はて、この頃といったら、どんな行事が)
そこに、高等部の校舎からの放送が、ピンポンパンポーンという、例のチャイムのあとに流れ始めた。
『校門守衛室より連絡です。高等部生徒会に、外部から届け物です。速やかに校門まで引き取りに行ってください、繰り返します…』
「山百合会に、外部から届け物?」
それで、何となく思い出した。
「ああ、三年生を送る会か…」
山百合会主催だが、在校生全員で三年生を最後に送り出す、例のアレだ。届け物は、花屋に注文した三年生に送る薔薇の花だろう。
「三年生を送る会といえば…」
その後、山百合会メンバーだけで行う、「薔薇様達を送る会」というのがあった。
そこまで思い出して、頭の中に特徴の異なる三曲のフレーズが流れ出す。
まず最初に、「マリアさまのこころ」、そして「オリーブの首飾り」、最後に、
「あーら、えっさっさー」
思わず口に出してしまった。そして吹き出す。思い出したら、笑いがこみ上げてきて止まらない。場所もわきまえず腹を抱えて笑い転げてしまった。もちろん頭の中では、祐巳ちゃんが手ぬぐい頬被り、五円玉鼻で「どじょうすくい」を踊っていた。
「ちょっとサトーさん、一体どうしたの?」
加東景さんが心配顔で覗き込んでいた。こんな場所(大学のカフェテリア)で、突然壊れたように笑い出した友人を気遣って、そばに来てくれたらしい。
もっとも、聖の奇行は今に始まった事で無いのを知ってか、よく見ると半分は呆れ顔だった。
「あはは、ゴメンゴメン。ちょっと思い出しちゃってさぁー」
苦しげに笑いながら言葉を吐き出す聖に、景さんは今度こそ完全に呆れ顔になった。
「ずいぶんと豪快な思い出し笑いね」
「そりゃーもう。滅茶苦茶愉快な思い出だったのよ」
ひとしきり笑って落ち着いてから、聖はもう一つ思い出した。薔薇の生花が届くってことは、送る会は明日って事だ。後輩達の疲れもピークに違いない。
「ねぇ、カトーさん。ここの生協って、栄養ドリンク売ってたかしら?」
聖の問いに、景さんは首を傾げた。景さんは下宿が近いせいか、生鮮食料品以外の買い物のほとんどを大学生協でするらしい。生協の事なら詳しいのだ。
「生協内の薬局に有ったと思うわ。試験前に買ったような気もする」
「さんきゅ」
景さんに礼を言って、聖は駆けだした。急で買って持って行かないと、校門に来てしまう。
来るのは一年生、志摩子の妹の乃梨子ちゃんと、祐巳ちゃんの妹になったという、あの電動ドリルちゃんに違いないと、聖は確信していた。
2
瞳子と二人で届けられた薔薇の本数を色ごとに確認し、代金の支払い方法の確認事項などを届けてくれた花屋さんと話し、受取証にサインした乃梨子は、振り返って瞳子に声をかけようとした。
「はーい。サンタさんがよい子達にプレゼントを持ってきたよー」
「…」
乃梨子に向かって超ご機嫌そうなニコニコ顔を向けているその人物は、確かに赤いジャケットを着てはいた。手にはレジ袋。
「いま、三月ですよ」
わざとらしく、一つため息をつく。脇に目を向けると、瞳子がきょとんとした視線をその人物に向けていた。乃梨子と違って幼稚舎からリリアンの瞳子は、この人が誰かはもちろん知っているはずだ。だから、この人物と乃梨子が親しげ(?)に話す仲なのが意外なのだろう。
「ごきげんよう、聖様」
一応ちゃんと挨拶しておく、この人は志摩子さんのお姉様。元白薔薇さまの、佐藤聖様。未だに信じがたいが。瞳子も乃梨子に並んで一緒に挨拶をした。
「ちっちっちっち」
何のマネか、聖様は立てた人差し指を横に振りながら舌打ちして見せた。古い映画なんかである、「ノンノンノンノン」と、冗談めかして否定する時のアレだ。
「今日の私は、サ・ン・タ・さ・ん」
「…」
さよか。乃梨子が呆れ顔をみせると、聖様はお構いなしに手にしたレジ袋を乃梨子に向かって「はい、プレゼント」と差し出した。
「ありがとうございます」
むげに断るわけにも行かないのでおとなしく受け取ると、中身を見てみた。瞳子も横から顔を覗かせてくる。
「これは…」
栄養ドリンクが、ひのふのみの…合計十本。花も恥じらう女子高校生に、なんだこの親父なセレクションは。ま、本番を明日に控え、確かに薔薇の館のメンバーはちょっと疲れ気味ではあるけども。
「ちゃんと、『親切なサンタさんがくれました』って、言うんだよ?」
乃梨子の当惑を余所に、聖様、もとい『自称、親切なサンタさん』は、やはり極上のニコニコ顔を向けて言うのだった。
「はい、確かに承りました」
それではこれで、と、事務的な口調で乃梨子が切り上げようとすると、聖様は聞こえないふりでさらに声をかけてきた。
「もう明日だよねー、『薔薇さま達を送る会』」
乃梨子は仕方なく「はぁ」と受ける。なんで『三年生を送る会』ではなく、『薔薇さま達を送る会』なんだろうか、と疑問を脳裏に浮かべると、聖様はさらに言葉を続けた。「二人は今年、何をするの?」と。
「…何、といいますと?」
聖様はそこで、ニヤリと笑った。にこり、じゃない。「ニヤリ」だ。乃梨子の背中に悪寒が走る。
「隠し芸」
さらりといわれた言葉に、違和感というか疑問というか、困惑した。思わず瞳子を見る。瞳子も驚いたような視線をこちらに向けていた。
「それ、なんの事ですか?」
視線を聖様に戻して、とりあえず訊いてみた。
「あれぇ?志摩子や祐巳ちゃん達から聴いてない?」
そこまで言って、聖様は空に視線を移す。
「まぁ、言うわけ無いか。恥を忍んでやった芸なんて、妹に言いたくないもんねぇ。ていうか、思い出したくもないかもねぇ」
何それ。無茶苦茶気になる。聖様は明後日の方を見ながら言葉を続ける。
「毎年恒例なのよ。山百合会の一年生が、去りゆく薔薇さま達に芸を披露して楽しんで頂くの。まぁ、盛り上げ役ね」
乃梨子は固まった。ありそうな話だ。フツウの学校なら。しかし、「芸」というのが、およそリリアンに、というか、志摩子さんにそぐわない。瞳子の方を見てみると、瞳子も固まっていた。
「信じられない?」
聖様が、視線だけこちらに向けてそう呟く。
「いい、一体、志摩子さんがどんな芸をしたっていうんです?」
どもってしまった。だって想像できない。芸をする志摩子さんなんて。だから、それを訊けば聖様の言っていることがウソかホントか解るのではないか。志摩子さんのやった芸とやらを聴いて、それが想像できなければウソ、想像できちゃったら乃梨子の負け、というか、本当のことな様な気がする。
「ああ、志摩子?あの子ああ見えて多芸だからね。その場でいきなり流された『マリア様のこころ』で日舞を舞ったわよ。即興で」
言って、聖様は小さく思い出し笑いをした。「扇子があっぱれ日の丸だからミスマッチが面白かった」とか言いながら。
志摩子さんが、即興で日舞。曲が「マリア様のこころ」、扇子が「あっぱれ」…
不覚にも、頭に映像が浮かんでしまった。
「ウソ!」
頭に浮かんだ映像をかき消しながら、乃梨子は思わず叫んでいた。
「どうどう。ウソじゃないわよ」
聖様は手を挙げていた。気付けば、乃梨子は聖様の赤いジャケットの襟を掴み、にじり寄っていた。
「じゃ、じゃあ、由乃様は?」
乃梨子はすっかり動揺していた。志摩子さんが「あっぱれなマリア様のこころ日舞」を舞う姿を想像してしまった敗北感をぬぐい去るためには、他のつぼみメンバーの芸とやらを否定するしかない。
「由乃ちゃん?あの子アレで案外器用でね、手品を披露してくれたわ」
凄く上手だった、と。アリだ。由乃様の手品は、乃梨子的にアリだった。いかにもやりそうじゃないか。手品につきものの「オリーブの首飾り」を、志摩子さんがピアニカで演奏した、というのも想像できてしまった。志摩子さんは春の「マリア祭」でオルガンを弾いていたのだ。お手の物だろう。ああ、二連敗だ。後がない。そう言う気分だった。
「じゃ、じゃあ」
瞳子の声が割って入ってきた。乃梨子も聖様も瞳子に視線を向ける。
「お姉様は、一体何を…」
「祐巳ちゃん?」
問われた聖様はそこで言葉を切り、瞳子から視線を逸らした。
「…ぷ」
吹き出した。聖様が。それから、壊れたように笑い出した。豪快だ。豪快すぎる思い出し笑いだ。そのあまりのウケように、乃梨子はずっと掴んでいた聖様の襟を、思わず離していた。
「あー、ゴメンゴメン。いやぁ、何回思い出しても、アレは楽しいわ」
ようやく笑いを納めた聖様は、腹を押さえて折っていた身体を伸ばした。
「祐巳ちゃんはねぇ、なんと、「どじょうすくい」をやったんだな。それはもう見事で、蓉子や江利子、そしてあの祥子も大爆笑」
えー。それはないだろう。乃梨子は戸惑った。聖様の豪快な思い出し笑いからしてウソとも思えないが、祐巳様がそんなこと。「どじょうすくい」といえばアレだ。宴会芸の王道。別名「安来節」。あれ?「どじょうすくい」の方が別名だったかな?瞳子もさぞや呆れて、と思って瞳子の方を見ると、瞳子は頭を抱えてブツブツと何かを言っていた。
「瞳子?」
乃梨子の声に、瞳子はがばっと顔を上げ、乃梨子にしがみついてきた。
「優兄様に聞いたことがあるの」
すぐる?それ誰だったかな?と乃梨子が考えていると、瞳子は構わずに続けた。
「祐麒さんに、花寺の全校生徒の前で『どじょうすくい』をやらせた、って」
「…え?」
乃梨子は言葉につまった。祐麒さんといえば、祐巳様のそっくりな弟で、花寺の生徒会長の。その祐麒さんが、「どじょうすくい」をやった。ということは。
「お姉様は、祐麒さんから伝授されたんだわ」
そう、祐巳様の「どじょうすくい」説の信憑性が果てしなく高まった、というか、「一年生が芸をする」伝統が本当ということじゃないか。
もう、認めざるをえなかった。
(志摩子さん、なんで言ってくれなかったの?)
「あー、去年は恥を忍んで私や蓉子や江利子のために披露してくれたけど、乃梨子ちゃん達にはそんな伝統、受け継がせたくなかったのかねぇ。妹思いだこと」
聖様が、乃梨子の心の内を察したように言った。そうだとしたら、志摩子さんの心遣いはありがたいが、水くさい。
それがきっかけで、乃梨子の心に火がついた。「よし、やってやろうじゃないか」と。
「瞳子、あんた何が出来る?」
乃梨子は瞳子の肩を掴み、問いかけた。びっくりしていた瞳子が、しっかりと見返してきた。
「…一人芝居、とか?」
「あー、それはクリスマス会の時に見たから、もうインパクト無いなぁ」
瞳子は少し考え込んで、顔を上げた。
「バイオリンは?聞いたことある曲なら、大抵その場で弾けるわ」
それは凄い。「けど、お姉様と紅薔薇様はご存じよ」と、瞳子は言った。夏の、例の祐巳様が成金連中に意地悪された時に、誘われたパーティーで披露したとかなんとか。いや、大半の人が知らないならOKだ。と、乃梨子は言ってやった。
「よし、じゃあ瞳子がBGM担当ね」
「BGM?…乃梨子は、何か芸があるの?」
「うん」
あるのだ、実は。仏像鑑賞なんて渋い趣味のせいで年嵩の趣味仲間というか、友人が多いおかげで、ちょいと渋めの芸とか教えてもらったり、小道具とかもらったり。会合とかで披露させられたりもしたけれど。日頃仏像の情報とか色々教えてもらってる感謝の気持ちを、少しでも返そうと覚えた芸が、こんなところで役に立つ日が来ようとは。
「ちょっとブランクがあるけど、まだ一晩あるから何とかなるわ」
小道具は、確か実家から持ってきてある。
「お、やる気満々だねぇ。あたしも見たいなぁ」
声に振り返ると、聖様がニヤニヤとこっちを見ていた。
「まぁ、普通は自主的に用意するものだし、三年生達に『何かやって見せなさい』とか突然言われる前に、タイミング見計らってやっちゃった方がいいかもよ?」
聖様は楽しそうだ。ニヤニヤしているのが正直鼻につくが、その助言はありがたく頂いておくことにした。
「色々と教えて頂いてありがとうございます。御礼はいずれ」
では急ぎますのでこれで、と言い捨てて、乃梨子は薔薇の花の束を掴んで歩き出した。聖様に頂いた差し入れの栄養ドリンクも、ちゃんと持ってある。瞳子にも視線で促す。瞳子も聖様に一礼してから薔薇の花の束を掴み、乃梨子に並んだ。
「乃梨子ちゃーん、その栄養ドリンクは?」
背後から声がかかる。
「『親切なサンタさんがくれました』ちゃんと伝えますよっ!」
乃梨子は振り返って叫んだ。
「がんばってねー」
などという、脳天気な声がまた背中から聞こえてくるが、乃梨子はもう振り返らなかった。
「瞳子、一晩しかない。打ち合わせとか、合わせの練習とかしないと」
歩きながら瞳子に話しかける。
「学校じゃ無理ね。帰宅してから、私の家かしら」
瞳子は話が早い。確かに、乃梨子の大叔母のマンションではバイオリンの練習とか無理そうだから、必然的に瞳子宅になりそうだ。
「じゃあ、帰ってから電話で」
乃梨子がそう言うと、瞳子は肯いた。ちょっと時間を食ったけど、薔薇の館が見えてきた。今晩は忙しくなりそうだ。
3
聖の「がんばってねー」というエールを無視し、乃梨子ちゃんと電動ドリルちゃんが去っていく。聖の話をすっかり信じて込んで。
でも、嘘は言っていない。「毎年恒例」というところ以外は。去年のあの三人の芸は、本当に楽しかった。最高の贈り物だった。だから。
聖は二人の背中を見送りながら、祥子と令の顔を頭に浮かべていた。
「お二人さん。薔薇さまを一年ご苦労様。あの二人の芸が、サンタさんからの本当のプレゼントだよ」
ひとりごとを言って、校門を背に帰路につく。そして、今度は祐巳ちゃんと志摩子の顔が浮かんできた。
「これ知られたら、怒っちゃうかなー」
妹には知られたくないであろう過去をばらし、その妹達に同じことをさせようというのだ。間違いなく怒るだろうな。祐巳ちゃんがプンプン怒っている顔が脳裏に浮かび、その怒り顔がかわいらしい感じだったので、思わず笑みがこぼれる。端から見れば百面相かも知れない。祐巳ちゃんを笑えない。
次に志摩子の顔が浮かぶ。想像の中の志摩子は、祐巳ちゃんみたいに怒りを露わにしたりしない。困ったような顔で、じっとこっちを見ていた。
「…まいったなー」
志摩子のそんな顔が、聖は苦手だった。
バス停に向かいながら、聖は想像の中の祐巳ちゃんと志摩子に、苦笑いを浮かべて心の中で手を合わせた。
「お詫びは先払いで渡したんだからさー。勘弁してよね」
呟きながら、二人は栄養ドリンク十本の先払いで許してくれるかどうか、また想像を巡らした。バスが来るまで、飽きそうもなかった。
―了―