第11章    「決戦前夜」

 

『エコー1よりジョーカーHQ。施設中心部に侵入。抵抗はない。エネルギー反応ゼロ。残留熱量もかなり低い。反応炉の冷却水の温度から見て、放棄されてから30時間以上は経過の模様』

「JHQ了解。用心しろ、エコー1」

『JHQ、中はかなり散らかっています。それこそ夜逃げでもしたように』

「エコー各位。欺瞞工作の恐れもある。トラップの類に注意しろ。」

『エコーリーダー了解。引き続き調査を続行する』

 

 リヒャルトの乗艦、重巡<ウィンタード>に、SS156に侵入した上陸隊の撮った映像が中継されていた。

「司令、しかし、パーツのカケラも残ってませんな」

 隣でモニターを見ていたジェルジ少佐が言った。

「徹底的に調べさせろ。推進剤の1gも有れば、組成からエンジンの仕様や性能がある程度は類推できる」

「了解ですが、引っかかりますな」

 ジェルジ少佐はアゴをさすりながら首をひねった。

「言いたいことは、解る。私とて、罠の疑いをもっている」

 リヒャルトは軽く息を吐いた。

「私が国連軍の指揮官なら、あわてて夜逃げしたように見せかけて、新型MPFのデータの痕跡をちらつかせ、奥に誘い込み、ドカンとやるな」

 リヒャルトは何か言いかけたジェルジ少佐を手で押さえるような仕草で止めた。

「部下を危険にさらしている事は解っているつもりだ」

 ジェルジ少佐は、眉を寄せた。

「司令長官の意向ですか?」

「ラムジィ少将はそんな命令は出さんよ」

 リヒャルトは右手のひとさし指を上に向けた。

「上?……統幕会議、ですか」

「敵が痕跡を消す前に、犠牲覚悟でデータを得ろ、だ、そうだ。」

「そんな……」

「無敵と思われた“零式”が、完膚無きまでに敗北したんだ。ドミノ倒しにならんように、最小の犠牲で対抗策が欲しい。……いくさを数字で扱う立場からすれば、仕方のない選択だ」

 ジェルジ少佐は天を仰いだ。

「貧乏くじ、ですか」

「当たりくじにしたいものだ。繰り返しでかまわん。上陸隊には爆発物に対する警戒を厳にさせろ」

「は、伝えます」

 

『こちらエコー2。また見つけた。クソ、管制システムの電源回路に直結してやがる。システム立ち上げ直したら、ドカンだ。解体は難しいな。とりあえず起爆回路をダマす。二分くれ』

 ジェルジ少佐は襟に手をやった。

「これで十三個目ですな」

「そろそろ打ち止めだろう。全くいい時間稼ぎをしてくれる。こうしている間にも、脱出した敵は遠ざかっていく」

 リヒャルトは小さく舌打ちした。

「しかし、夜逃げ同然にしてはよく仕掛けたものです。おかげで見つけられますが」

「どうかな。私はなんだかタチの悪い詐欺にかかっているような気がしてならない」

 リヒャルトは自嘲気味に笑った。

 ジェルジ少佐は、自分よりも五歳は若い上官の、こんな気弱なセリフは初めて聞いた。

『こちらエコー2。管制システムクリアー。これより電源を投入、起動する』

 敵の施設に電源が入った。ジェルジ少佐は目を見張り、リヒャルトは目を閉じた。

 幸いなことに、管制システムは順調に起動し、何の異変も見えなかった。

「……杞憂だったようだな」

 リヒャルトは安堵のため息をもらした。

『こちらエコー2。OSが立ち上がらない。どうやら初期化されている模様。記憶領域は物理破壊されてない。外部からのアクセスでデータを修復できるかも知れない』

「エコー2、データバンクを取り外してもちかえれるか?」

『無理だ。トラップは全部黙らせたが、回線の物理接触を断つと予備の回路が二重三重に作動する。ここで機材を直結してデータを修復し、コピーするしかない。今から始める』

 画像の中で調査員が持ち込んだ携行機材を施設の機材にケーブルで直結した。しばらく機材を操作する調査員の姿が映る。

『出た!データの修復に成功』

「やりましたな」

 ジェルジ少佐はリヒャルトの方を見た。リヒャルトは、険しい顔つきで画面を見ていた。

『ああ!』

 画面の向こうから調査員の悲鳴があがった。

「どうした、エコー2!」

『消える!データが、消える!クソ、ウィルストラップか!操作を受け付けない!』

 調査員は慌てて機材の操作を繰り返すが、成果は上がらなかった。『畜生、何だぁ?制御システムを勝手に!反応炉の冷却システムの緊急解放バルブが作動している!』

「いかん、直ちに全員を撤退させろ!」

 リヒャルトは立ち上がって叫んだ。

「反応炉と冷却システム自体は止まっているが、冷却システム内には高圧、数百度の冷却水がまだ溜まっている。今は真空の施設内に解放されたら、水は凍る前に急激な圧力低下で瞬時に蒸発する。高圧の水蒸気ガスが吹き荒れるぞ!」

 顔色を変えたジェルジ少佐は、直ちにインターカムをつかんで叫んだ。

「ジョーカーHQよりエコー各位、直ちに全員撤退せよ!繰り返す、全上陸要員は直ちに撤退せよ!」

『エコーリーダー了解。エコー各員、手近のエアロックから施設外へ脱出しろ。あらゆる装備の放棄を許可する。急げ!』

「少佐、ハート、スペード隊の零式全機に脱出した上陸隊の救出を指示だ。全員を収容したら、この宙域から離脱する」

「了解」

 ジェルジ少佐は手にしたインターカムのスイッチを切り替えて、航空隊指揮室に指示を出した。

 リヒャルトはシートに腰を落とし、腕を組んでため息をついた。

「やられたな。水蒸気ガスは施設内を満たしたあと、あらゆる機材に付着、今度は凍り付いたときの膨張作用で微少な電気素子を破壊する。トラップの調査とデータを引き出すために、シールしてある機材を開けさせられたのも計算の内か」

「しかし司令、離脱というのはどうでしょう。水蒸気ガスの発生が収まったら調査を再開すべきでは?」

 リヒャルトはゆっくりと首を左右に振った。

「トラップのウイルスが今頃は反応炉を作動させている。水蒸気でシステムが物理破壊された後は暴走。冷却水が抜けた反応炉はそんなに時間を置かずにドカン、だ。私ならそうする」

 ジェルジ少佐は声を失った。その様子を見て、リヒャルトは小さく笑った。

「まったく、国連軍にも、クソ意地の悪い奴がいるものだ。どんな狸か、あるいは狐か?……」

 司令席のCRTに付近宙域の平面図を出す。

「さて、どこへ逃げた?」

 リヒャルトはわずかに笑った。第2ゲームの始まりだ。

 

『確かか?』

「間違い有りません。高熱源体三。いずれも巡洋艦クラス。距離約一二〇万キロ。接近中」

 アルベールはデータの整理とチェックをしながら答えた。

『加速シフトは解るか?』

 その質問を予期していたアルベールは、走らせていたデータフィルタプログラムの演算結果を出してみた。思った通りだった。

「マイナスです。少佐、奴ら、“パイレーツ”を捉えてますよ」

『そうか……』

 通信機の向こうのダグラス少佐の声は、少し途切れた。

『よし、奴らの軌道要素を確定したら、お前らは引き返せ。航空隊のストークを代わりに出す。一応、ステルス行動で戻って来いよ』

「F3了解。引き続き観測を続行、目標の動向を把握ののち、隠密行動にて帰投します。以上」

 アルベールはレーザー通信回路をオフにした。

「いよいよ、ね」

 ヴィアンカはスティックを握り直した。

「おいおい。そんなに力いれんなよ。本番はまだ先だぜ?」

「そう、なんだけどね」

 アルベールには、ヴィアンカの声がわずかに震えているように聞こえた。

「しかしまぁ、あのコクラン大佐には驚かされるぜ、全く。艦内がどうにか落ち着いた後、延々シミュレートをさせられてたのに、今日に限って哨戒に出ろときたもんだ。そしたら、ドンピシャリ。どうゆうカンしてんだか。この3号機のセンサーじゃなきゃ、軌道要素の特定は難しいからな」

「どれくらいで終わりそう?」

「二分も有れば終わる。帰還コースとスケジュールやっといてやるから、エンジンチェックと天測頼むぜ」

 こういう場合はじっとしているより何かしている方が落ち着く。全部自分がやってもいいが、アルベールはヴィアンカに作業を割り振った。

「わかったわ」

 ヴィアンカは、エンジンのコントロールパネルに手を伸ばした。声の震えは止まっていた。

 

「ヴィアンカ・エヴァンス、入ります」

「アルベール・クートー、入ります」

 哨戒から戻ったヴィアンカとアルベールがブリーフィングルームに入ると、コクラン艦長はゆっくりと席から立ち上がった。ヴィアンカが見渡すと、室内には士官以上の乗員がほとんど集まっていた。

 ヴィアンカが空いてる席を探すと、ダグラス少佐とマリアの間に、二つの席が並んで空いていた。

 ダグラス少佐の隣はアルベールにとられたので、マリアの隣しか空いてなかった。壁際に立っていようかとも思ったが、艦長以外の全員が座っているので、仕方なくマリアの隣に腰を下ろした。

「揃ったようだな。では、始めるか」

 電子黒板にパイレーツ周辺の宙域図が浮かび上がった。

「現在、艦の位置はここ、小惑星帯の端だ。このまま慣性飛翔を続ければ、1ヶ月ちょっとで地球へ着く軌道に乗っている。しかし、ちょいと軌道を換えれば、火星にも行ける」

「結局、どっちへ行くんですかい?」

 髭面の航海長が訪ねた。

「状況を見て、だな」

 コクラン艦長は、電子黒板のジュノーの位置に丸をつけた。

「ジュノーを攻略した敵の辺境連合艦隊、言うまでもなく敵の主力部隊だが、そのままジュノーに陣取って、後続の部隊と合流、おそらく補給と整備の真っ最中だろう。奴らが次にどこへ向かうか、だ。おそらくは火星か地球。どちらも考えられるが、奴らが短期決戦を考えているなら、地球。持久戦略を目論むなら火星だろうな。敵にも二正面作戦をやるだけの戦力は無いだろう。戦地になりそうなところは、避けたいものだ」

「艦長の見解は?」

 マリアが質問した。

「解らん」

 コクラン艦長は、肩をすくめて見せた。

「外惑星系の食糧事情を考えるならば、戦時備蓄もそろそろ尽きてくる頃だろうし、一刻も早く穀倉地帯である火星を確保したいところだろう。火星を占領して小惑星帯、木星、トロヤ群と通商ルートを確保すれば、食糧と資源の自給体制が整う。あとは各拠点と通商線を守ればいい。

 だが、備蓄が尽きかけてきているからこそ、短期決戦を仕掛けてくるかも知れん。連戦連勝の勢いもあるしな。

 月と地球衛星軌道上の国連軍部隊がやられれば、不利な条件で講和せざるを得なくなる。地球圏の防備は太陽系最大、且つ進出距離は長大だが、“ゼロ”に対する対抗手段のない今なら不可能ではない」

 コクランは電子黒板にジュノーから地球と火星までの、二通りのガリレオ軍の侵攻コースを書き込んだ。

「火星を取って持久戦になれば物資の問題は解決し、国力も上がる。だが、国連も軍備を回復できる。“ファルコン”が量産されれば、“ゼロ”の圧倒的優位も消し飛ぶ。待ってもあまり得は無い、となれば攻めるのが軍人だが、敵の本拠地にまで攻め込んで、強大な敵戦力を根こそぎやろう、などというのは冒険もいいところだ。失敗して主力部隊を無くせば、いや、成功しても主力部隊が大損害を受ければ、せっかく取った占領地を放棄して、戦線を縮小しなけりゃならなくなる。これまでの快進撃が水の泡だ。

 国連の本拠に攻め込んで、しかも完勝以外は負け。でかい賭だな。奴らがどう考えるか、だ」

 コクラン艦長はブリーフィングルームを見渡し、一息置いた。

「そんなわけでこのコースを取ったわけだが、黒騎士坊やはお見通しだったようだな。囮や欺瞞情報も撒いておいたんだが。流石はラムジィの野郎の片腕と言ったところか。当面の問題は……」

 コクラン艦長は電子黒板に新たな丸印を書き込んだ。

「追っかけてくる奴らの相手をせにゃならんということだ。黒騎士坊やの“トランプ・フォース”はここだ。本艦の右舷側を回り込んで減速中、十時間後には本艦の軌道前方に占位する。奴らとの交戦は避けられん」

「逃げ切れんのでありますか?」

 <パイレーツ>航空隊の隊長、ヤン少佐が手を挙げて質問した。

「無理だな。奴らの艦は満載状態で三G加速が出来るような高速艦だ。このボロ艦でどんなに荷を軽くしたところで逃げ切れん」

「親分、あのエンジン事、忘れてやしやせんか?」

 がっしりとした体格の機関長が口を挟んだ。

 コクラン艦長は喉を鳴らすように小さく笑った。

「試7か?もちろん忘れておらん。だが、たったの十分しか全力運転できん試作エンジンだぞ?」

「親分のことだ、だましに使うんでしょうが」

「ふん。解ってるんなら、使えるようにしておけ」

「へい。もうやらせてまさぁ」

 コクラン艦長は頷くと、間を置いた。

「敵の動きをみて解るように、奴らは低速戦に持ち込みたいようだ。ゼロを繰り出して包囲、こちらを拿捕するつもりだろう」

「ファルコンは渡せないわ」

 マリアの声だった。

「解っていますよ、博士。あなたのおかげで時間が稼げました。今度は我々が仕事をする番だ。てめぇら、わかってるな?」

 コクラン艦長の問いかけに、<パイレーツ>の各分隊長が頷いた。

「へへん。伊達に“コクラン・パイレーツ”と呼ばれてるわけじゃあねぇんですぜ。トランプだか花札だか知らねぇが、まとめて返り討ちにしてやります」

 そう言って砲術長が袖をまくり上げた。

 コクラン艦長は咳払い一つしてから、ブリーフィングの続きを始めた。

「敵は重巡一、軽巡二だ。数の上では三対一だが、なぁに、ガリレオ同盟の巡洋艦は、足ばかり速いだけの“ゼロ運搬船”だ。まともに艦隊戦やれば、この海賊艦の敵にもならん。が、あのクソ忌々しいガラクタ人形共が十六機もいやがる。これについては遺憾ながら“キング”ダグラスと坊や達にお相手願うしかない」

 コクラン艦長はダグラス少佐に視線を向けた。

「少佐、四対十六だが、ガラクタ人形をすべて引きつけられるか?」

「ブラウン博士の言葉を借りるなら……」

 ダグラス少佐は芝居気たっぷりに、間を置いた。

「そのための“ファルコン”ですよ」

 ヴィアンカが隣のマリアを盗み見ると、不敵に笑っていた。

「一機当たり五機を相手にすればいいんです。行けますよ」

 ダグラス少佐の言葉に、コクラン艦長は首をひねった。

「あん?一機当たり四機じゃないのか?」

 マリアが立ち上がった。部屋の隅に座る誠を指さす。

「彼が、黒騎士の相手をするわ」

 コクラン艦長は両の手を打ち合わせた。

「なるほど。ゼロ隊の指揮官で艦隊司令でもある黒騎士を、1号機のマンツーマンで釘付けにするわけか。ワンマンチームに対抗するには有効な手段だな」

 そして、不適な笑みを浮かべた。

「行けるぞ。この勝負」

 コクラン艦長は作戦案の説明を始めた。それに各分隊長、航空隊長、ダグラス少佐、マリアが意見を出し、コクラン艦長が調整とまとめをする形で練り上がっていった。決戦まで、十時間と少し。

 

「2号機のFCSにエラー?制御システム関係はあたしじゃなくてブラウン博士に言って!」

 クリスは怒鳴ってからインカムを切った。クリスはかれこれ二時間は目の前の1号機のエンジンと格闘していた。機体から下ろして点検、部品を交換する、整備としては一番手間のかかるカテゴリーだった。普通なら二,三人がかりで半日から一日の仕事だが、クリスは早くも作業を終わらせかけていた。

「やあっと終わった。あとは動作試験ね。ったくもう!三時間以内でこいつの配管周り全部換えろだなんて。大体、この新素材、ちゃんと試験したのかな?」

「やったわよ。高G下高温耐久試験を三十時間。結果は大変に優秀だったわ」

 いつの間にか、背後にマリアが立っていた。

「……博士。何か?」

「ちょっと“ファルコン”に付けて欲しい物があるのよ」

 マリアは傍らのワゴンを指した。二段になったカゴの中に、飲料チューブ二つ分くらいの金属ケースがあふれそうなほど入っていた。

「これ、取り付け位置と配線図よ」

 そう言ってデータチップをクリスに手渡した。

 クリスはチップをハンディターミナルのスロットに挿入し、図面データを目の前の空間に表示させた。

「一機当たり、機体の各部に八個。メインの制御伝達系に直結?データシステムのバックアップか何かですか?」

「そんなものね。保険みたいなものよ。気密シールしてあるから、中は開けないでね。それじゃ、頼んだわよ。エンジンの動作試験が終わってからでいいわ。」

 マリアは白衣と長い黒髪をなびかせて去っていった。クリスはその後ろ姿を見ながら、金属ケースを一つ手に取った。

「保険、かぁ」

 手にとって眺めている内に、似たような物に思い当たった。

「ハンス、どこかな?……また、女性居住区かな?」

 クスッと小さく笑ってから、クリスは金属ケースを一つ手にしたまま、パイロット待機室に向かった。決戦まで五時間。

 

 ダグラス少佐には仮眠を取るように言われたが、どうにも寝付けず、ヴィアンカは起き出して艦内をあてもなくうろついた。

 今度は後方で電子支援のみ、と言うわけには行かない。敵と直接交戦することになるだろう。

 実戦。負ければ死ぬし、勝てば敵の屍の上に生き抜く。

 頭では解っている。

「……実感沸かないのよねー……あ」

 いつの間にかふらふらと展望室まで来ていた。そこで、人影を見つけた。床に座り込んで、微動だにせず、座禅を組んでいた。組んだ足の膝の先には布でカバーした細長い包みが置いてある。

「マック、よねぇ」

 座禅の人影は、ピクリと反応し、振り向いた。

「エヴァンスか」

「やっぱり。ちょっとは動きなさいよ。置物かと思ったわ」

 ヴィアンカは誠の横に座り込んだ。誠は向き直って座禅を再開した。

「あたしは眠れないからうろうろしてたんだけど、あんたはここで何してるの?」

「瞑想だ。」

「……なにそれ」

「一種の精神統一だ」

「つまりなに、戦闘を目前にして、あんたも緊張してるってこと?」

 誠は答えず、膝の先の包みを手に取った。先を縛った紐を解き、布製のカバーを取って中身を出す。

「……それ、サムライ・ブレード?」

 誠が手にしているのは、黒塗りの鞘に鍔付き、革巻きの柄拵えの、日本刀だった。

「“村正”、という。五百年以上前に製造されたものだ。」

 誠は鞘から本身を抜き放った。曇り一つない刀身が現れた。

「ムラマサ……」

 ヴィアンカは鋭く光を反射する刀身に凄みを感じ、息を飲んだ。

「おじいさんの形見、だっけ?」

「そうだ。この刀は、“妖刀”と呼ばれ、大勢の人間の血を吸い、何の因果か今は俺の手元にある」

「妖刀?」

「あまりの切れ味に、持った者は、人を斬りたくなる衝動に駆られ、その欲に勝てなかった者は実行したそうだ」

 ヴィアンカは、<村正>の刀身を改めて眺めた。確かに、恐ろしく切れそうな刃物だった。刀身に浮き出た波紋が、妖しいほどに美しい。吸い込まれそうな輝きを放っていた。

「あまり見るな。魅入られるぞ」

 誠の警告に、ヴィアンカは慌てて<村正>の刀身から視線を外した。

 誠は包みから打ち粉と打ち叩きを取り出し、手入れを始めた。

「じいさんが死ぬ前、“これは、お前の姿だ。己を映す鏡とせよ”、といい残して渡してくれた。……その時はピンとこなかったが、今は解る。この刀身を眺めていると、精神が研ぎ澄まされ、己の姿がよく見えてくる」

 ヴィアンカは首を傾げた。

「よく分かんないわ」

「己と向き合う、と言えばわかるか?」

「自分を見つめる……自己精神診断ってこと?」

「まぁ、それでいい。瞑想で己を探り、この刀と向き合うことで己と向き合う。戦に挑む前に己を確かめる。言うなれば、儀式だ」

「……儀式、ねぇ……」

 ヴィアンカは精神統一の手法として理解することにした。

「軍人というのは死を覚悟しなければならない職業だ。だが、死ぬわけにはいかないからな。色々と足掻いている」

「足掻く……ふぅん、あんたが、ねぇ」

 ヴィアンカは誠から視線を外し、目の前の展望ガラスの向こうの宇宙に目をやった。立てた膝を抱え込む。

「あのさ、一つ訊きたいんだけど」

 誠は<村正>の刀身を見つめ続けていた。

 ヴィアンカはかまわずに訊いた。

「マック、あんたは、何のために戦うの?」

 誠はしばらく微動だにせずに<村正>と向き合っていたが、おもむろに口を開いた。

「それは、自分自身に対する問いだろう」

 ヴィアンカはうつむいた。

「……そうよ」

 立てた膝に顔を埋める。

「俺も一つ訊きたい」

「なに?」

「お前は何故軍人を志した?」

「……答えにくい質問ね、それは」

 誠は<村正>の手入れを続けながら、それ以上は何も訊かなかった。

 二人はしばらく無言で、並んで座っていた。

 ヴィアンカは沈黙に耐えかねて、小さくため息を吐いた。

「あたしはねー、宇宙を翔ぶのが好きなのよ」

 根負けしたように話し始めた。

「好き、というよりあたしのすべて、かな?生まれも育ちもL4コロニーで、物心つかないうちから無重力区画にいる時が一番休らいでたらしいわ」

 ヴィアンカはちらりと横の誠を見た。誠は<村正>から目を離さない。聞いているのかいないのか解らない。

「幼い時から暇が有れば宇宙遊泳。エレメンタリーのシニアの頃からカートレーサーに乗ってたわ」

 ヴィアンカは展望窓の向こうの星空に目をやった。

「この吸い込まれそうな宇宙を、どこまでも自由に飛び回ることがあたしの全て。それが出来ないなら、生きている意味なんか無い。ジュニアハイスクールの頃からそう思うようになってたわ。その頃には決まったコースを回るレースにも飽きちゃったし、フリースタイルアクロバットに転向したんだけど、機体がちゃちだから、つまんなかった」

 ヴィアンカは想い出に浸るように目を閉じた。

「シニアハイの時にね、JIPまで空軍祭を見に行ったの。今思えば、アレが決め手ね。アストロ・バーズのアクロバットを見たのよ。すごかった……それから練習機に体験搭乗したのよね。旧型のT4だったんだけど、ジュニアレーサーなんかとは加速が段違いだったわ。それで、帰りには空軍の入隊案内を握りしめてた」

 ヴィアンカは横の誠に向き直った。

「戦闘機でこの宇宙を思うままに駆けめぐることが出来るなら、死んでもかまわない、あの時はそう思ったのよ。それが、いざ、命のやりとりをしようって時になって、ビビってんの。呆れるでしょ」

 誠は目を開けた。

「俺も死ぬのは怖い」

 ヴィアンカは目を見開いた。

「おまえは、死地に立った事があるか?」

「へ?」

あまりに唐突な問いだった。

「死にそうになったこと?」

誠は頷いた。

「……無いわ。あんたは有るの?」

「目の前に、死が有った。あれは、無の恐怖だ」

「無の、恐怖?」

「その先には何もない。時間も、想いも、存在も。何もかも。死の恐怖とは、その無に対する恐怖、喪失に対する恐怖だ」

「……」

ヴィアンカは何も口を挟めなかった。

この前の戦闘のことではないのだろう。もっと絶対的な“死”に直面したことがあるのだと、何となく伝わってきた。

「戦闘の前に恐怖を感じるのは当たり前だ。恥じることはない」

「別に、恥じているつもりはないけど……」

 ヴィアンカは展望台の向こうの宇宙に視線を戻した。

「もう一度聞いてもいいかしら。マックは何で軍人になったの?」

「俺には選択肢がなかった」

「軍人以外に?」

「ミンツ法というのを知っているか?」

「ミンツ法?」

 ヴィアンカは記憶をまさぐった。戦時法学の授業には無かった言葉だが、聞き覚えがあった。

「えっとー、確か戦災孤児の救済法案で……」

「政府が戦災孤児の養父母、又は里親を斡旋して養育費の貸し出そうという法律だ」

「あー、そうだ。確か、あれってその孤児が政府各機関の専門学校に進んだ場合、学費免除になって、特に軍人の場合、養育費も免除……」

 そこで、ヴィアンカは隣の誠の顔を視界の端で見ようとした。

「俺は戦災孤児だ。八年前のガリレオ独立戦争の時、家族は全員死んだ」

 ヴィアンカは息をのんだ。

「俺を引き取ってくれたのが、スガイという人だった。彼は退役軍人だった」

 誠はまるで他人事のように淡々と語った。

「俺は国連軍の海軍兵曹訓練学校、海軍士官学校に進学した。学費が要らなかったからな。軍人になれば養育費も免除だ」

「選択肢がなかったって、そういうこと?海軍に行ったのは何故なの?」

「スガイ元大佐は海軍軍人だった」

ヴィアンカはミンツ法の実態について特集した民間放送の番組を思い出していた。戦災孤児救済特別法、通称ミンツ法は、人道に基づいた福祉目的の法案を謳いながら、その実将来の軍備再編に基づく人材確保を睨んだ法律だった。それだけならまだしも、敗戦による予算の減少で戦死者遺族、戦傷退役軍人に満足に恩給を支給できない実態を補完するために、国防予算外の福祉予算から資金を給付するためのすり抜け制度の側面もあったようだ。

事実、孤児の里親の大半が戦傷退役軍人、又は戦死軍人の遺族で、孤児のほとんどが兵曹訓練学校、士官学校に入っており、これらは実質全寮制で養父母、里親の元には居ない。加えて元々兵曹訓練学校、士官学校などは学費は軍持ちである。

 実質、返済不要の養育費は、まるまる里親のものとなる。当初はガリレオ独立戦争の戦災孤児を限定して対象としていたが、後に他の孤児にも適用されていった。

「えっと、あの……」

ヴィアンカは言葉がなかった。動機が多少ずれているが、少なくとも自分は志願して軍人の道を選んだ。が、誠のように、否応なしに軍人の道を定められる人間もいるのだ。

「別に気にすることはない。俺は元々、戦う以外に能のない人間だ。守るべき家族も故郷もないが、死んだ家族の分も生きようとは思っている」

 誠は<村正>から視線を外し、ヴィアンカに顔を向けた。

「おまえがこの宇宙を翔け続けたいのなら、戦って、生き残れ。死ねば、二度とその機会はない」

 誠はそう言って視線を<村正>に戻した。

ヴィアンカはしばらく誠を見つめていたが、視線を展望室の外、宇宙空間に戻した。どこまでも深い、星々の海。思えば、自分はこの星々に魅入られたのだ、と、思い起こした。やはり、もっともっと飛びたい。いつかは、他恒星系や、その彼方まで。違う星座も眺めて見たかった。

ヴィアンカは小さく肯いた。誠の言う、“己と向き合う”ということが解った気がした。戦場に向かう前に、今の自分がどうなのかを確認する。何がしたいのか。死んでも後悔はないか。

(まだしたいことがある。だから、生きたい。)

 星々を眺めることで、自分の原点が解った。

(ああ、そうか。あたしは、星々と向き合えばいいんだ。)

 己の鏡。自分を確認する物。迷った時、自分を見失いそうになった時、振り返って戻る場所。目を閉じて、心に刻みつけた。

そこで、思い当たった。

(マックの鏡は、“妖刀”と呼ばれる刀?)

横の誠を見る。

<あまりにも切れすぎる刃物>

 それは、確かにこの男を象徴しているかも知れない。

「ねぇ、マック。あなたの鏡は、その刀なの?」

 気が付いたときには、問いが口をついて出ていた。

 誠はしばらく無言だった。ただじっと、<村正>の刀身を眺めていた。

「……じいさんは、俺には“過ぎたる力がある”と、言った。」

 誠は<村正>の刀身を返した。妖しく光る刀身は、禍々しい美しさを放っていた。

「この刀は、大きな戦乱が収まり、おおむね平和な時代に作られた。そんな時代に、切れすぎる刃物。使う機会はない。だが、これを持った者の大半はその切れ味に魅入られ、衝動を抑えられなかった。夜な夜な辻斬りをしたそうだ」

 ヴィアンカは、士官学校での戦史の授業を思い出した。歴史の中で、しばしば軍事力、軍組織が暴走することがある。戦うために謀略を起こし、戦争を起こす。あるいは“死の商人”と呼ばれる兵器産業が仕掛けるケースもあるが、軍組織の一部が乗じたり、両者が共謀したりもする。彼らは戦いたいのだった。

 それら“戦いたい者たち”というのはほぼ例外なく、強大な軍事力、あるいは潜在的な軍事力を有する“大国”と呼ばれた国家の軍人達だった。

“強大な力”を持った者は、それを使わずにいられないということだろうか。

「“過ぎたるもの”を持ったからには、不用意に他人を傷つけないための自制心を持たなければならない……じいさんは、そう言いたかったのではないかと思っている。」

「マックの“過ぎたる力”って?」

 あるいは聞いてはいけないかとも思ったが、ヴィアンカは思い切って口にした。

「……気付いているだろう。俺はマトモじゃない。限りなく“戦いに向いた人間”だ。生まれた時からな」

 そう言った誠と、彼の持つ禍々しい刀は、確かに“対を成すもの”

に見えた。

「この“村正”は、俺の鏡で、戒めだ。“力”に酔わないように」

「“力”に酔ったこと、あるの?」

 踏み込んでいることは承知だが、訊かずにいられなかった。

「一度だけ」

 誠は静かに言った。

「その、“死地にたった”時?」

「そうだ」

 誠は<村正>の刀身を、あるいはそこに写った自分自身を眺めていた。その禍々しさが、見なければならない己の姿であるように。

「愛しいものを守るため、俺は戦った。持てる力を、全て使った。……だが、いつの間にか、俺は戦いを楽しんでいた。そのせいで、守るべきものを傷つけ、そして、守れなかった……」

 誠は、そこに憎悪を感じるほどの視線を<村正>に向けていた。それはつまり、自分自身に向けられた憎悪と言えた。

「その償いをするまで、俺は死ねない。だから生き抜く。屍の山を築いてでも」

 ヴィアンカには、あるいはそこまでの決意はないかも知れない。しかし、ヴィアンカは誠とは違う。自分なりの決意があればいい。

ヴィアンカは目を閉じて立ち上がった。吹っ切れていた。

「マック、いろいろありがと。お互い、がんばって生き残ろ」

誠はそれには答えず、和紙を取りだし、村正の刀身を拭い始めた。

「じゃ、あたし、寝るわ。」

軽く手を振って歩き出す。誠の返事はない。

ヴィアンカは肩をすくめ、星を眺めながら展望室を後にした。

 部屋への通路を歩きながら、ヴィアンカは、引っかかっていたことが一つ、解った気がした。

初陣での戦闘中の誠の冷静な行動。初陣だというのに、どうしてそんなに落ち着いて居られるのかが不思議でしょうがなかった。

空戦は初めてでも、命がけで戦ったことは初めてではなかった。そういうことだ。

そこでもう一人、初陣のクセに緊張していなかった人物を思いだした。

「ハンスも実戦経験者なのかしら?」

 ハンスが居たという警務隊は、平時でもスパイを相手に捕り物をすることもある。その時に実戦があったのかも知れない。

「……あたし達だけかぁ」

 どのみち、数時間後には実戦になる。ヴィアンカは開き直って寝ることにした。

 

「……そんなところに居ないで、出てきたらどうだ」

 誠は<村正>の手入れをしながら言った。展望室に続く通路の陰から人影が姿を現す。

「いつから気がついてた?」

 アルベールだった。ばつが悪そうに頭を掻いている。

「はじめからだ。ずっとエヴァンスの後をつけていたのか?」

「嫌な言い方すんじゃねぇよ!」

 アルベールは語気を荒げた。

「あいつが……ヴィーが初戦からこっち、ずっとナーバスになってたのが気になってたんだ」

「相棒のコンディションが気になるのはわかる。なら、ちゃんと話をするべきではないのか?」

「……あっさり言いやがるぜ」

 アルベールは天を仰いで額に手をやった。

「おりゃあ、苦手なんだよ、そういうの」

「俺だって得意じゃない」

「……だろうな」

 アルベールは一部始終を聞いていた。偉そうなことはいえないが、誠のヴィアンカへの接し方は不器用そのものと言った感じだった。

「でもま、とりあえず礼を言っとくぜ。あいつもなんだかふっきれたようだしな。普段無口なてめぇが、まぁ、よくあいつの話し相手をしてくれたもんだ。ありがとよ」

 アルベールはきびすを返して帰ろうとした。

「別に礼を言われる筋合いは無い。おまえ達にちゃんとしてもらわないと、俺が困るからだ」

「……あ?」

 アルベールは足を止めた。

「後方が心配なようでは、前線で命を張っては戦えない」

「何だと?」

 アルベールは誠の方に振り返った。そのままに静かに歩み寄る。

 誠は<村正>を持ったまま、静かに立ち上がった。そのままアルベールの方を向き、<村正>の切っ先をアルベールの目先に突きつける。

 アルベールは立ち止まった。そのまま、誠を睨みつける。<村正>の切っ先の向こうの誠と視線が交錯した。別に殺気は感じられない。誠は、ただ静かにアルベールを見ていた。

「てめぇ」

 禍々しい刀の切っ先をものともせず、アルベールは誠を睨み続けた。

「肝が据わっているな」

誠はいつものようにぶっきらぼうに、だが僅かに感心したような様子の口調で言った。

「俺は戦うために軍人になったんだ。空軍士官学校の門を叩いた時に、覚悟は済ませてらぁ!」

 しばらく無言の対峙が続いた。互いの視線が空中で交錯する。

 無表情の内心、誠はアルベールの瞳に乱暴な口調とは対照的な、高貴な精神を感じていた。

 そして、誠は唐突に話し始めた。

「俺は、黒騎士がすぐに出てくるとは思っていない。作戦のパターンは恐らくC案の系列になる」

「C系列。黒騎士を引っ張り出す、か。……で?」

「黒騎士が出てくるまでに、少なからず戦闘をすることになる。奴に、手の内を見せることになる」

「不安なのかよ。おまえが?」

「前例が有るからな」

「あ?」

「おまえ達は、俺を追いつめた。あれは、俺の負けだ」

「模擬戦の事を言ってんのか?」

 誠はわずかに肯いた。

「おまえ達は強い。敵の情報が有れば」

「その限定付きが気になるけどなぁ」

 アルベールは頭を掻いた。

「黒騎士の奴もそうだってのか?」

「情報を握られるとろくな事にはならない。あの模擬戦で得た教訓だ」

 アルベールは口元に笑みを浮かべた。

「逆を言えば、敵の手の内がわかると有利って事だ。戦はここだよ」

 アルベールは自分の頭を指して見せた。

 誠は右手に持った<村正>を一振りし、左手に持った鞘に収めた。

「できるだけ黒騎士の手の内を引き出す」

 誠は床に落ちている包みを拾い上げながら言った。<村正>をしまい込む。

「あてにしている」

 それだけ言うと、誠はアルベールに背を向けて、展望室の出入り口に向かって歩き出した。

「……あいつが、マックが?俺とヴィーに頼る?そう言ったのか、今?」

 アルベールはその背中を見送りながら、しばらく呆然としていた。

 

「……へぇ」

 ハンスは展望室から通路一つ隔てた四つ辻の陰にいた。

「おもろいもん見たな」

 あんなにしゃべる誠を見るのは初めてだった。正確にはちょっと離れたところから聞いていたのだが。

「そだね」

 すぐ横で上がった声に、ハンスは息を呑んだ。

「なんて顔してるの、ハンス」

 棒でも呑んだような顔で、ちらりと視線を脇にやると、後ろ前に被った整備隊帽子と燃えるような赤毛、その下でいたずらっぽく上目遣いで見上げるくりっとしたブルーグレイの瞳と目があった。

「クリス、いつからおった?」

「んー、ヴィーとマックの声が聞こえたぐらいからかな?」

 無邪気に答えるクリスの横で、ハンスは頭を抱えてうなだれた。

「アカン。なんでや?このワシが、何で気付かんのや?」

 ハンスはついに膝をついて天井を仰いだ。

「へへへ。忍び足、上手でしょー?」

 クリスは膝をついて届くようになったハンスの頭をぽんぽんと叩いた。

 ハンスの瞳が和らいだ。クリスの顔を見る。

「てゆーかな、おまえさんの気配がアイツにそっくりやから、警戒できひんのやな」

「アイツって、誰?」

 クリスは首を傾げて訊いた。その仕草を見て、ハンスはちょっと吹き出した。

「かなわんなぁ。そんなトコまで似とるわ」

 クリスは口をとがらせた。

「だから、誰にだよぉ」

「ワシの妹や」

 ハンスは微笑みながら答えた。

「いもうと?」

「せや。姿形はちょっとしか似とらんけどな、何ちゅーか、フンイキがよう似とるわ」

「ふーん。会ってみたいな」

「そらアカンわ。ムリや、ムリ」

言いながら、ハンスはその場に座り込んだ。

「なんで?戦争終わったら会わせてよ。今、何処にいるの?ハンスのいもうと」

 クリスもハンスの横に座り込んだ。

「あの世、や」

「……え?」

 クリスは思わず横のハンスの顔を見た。

「もう、この世の何処にもおらへんわ」

 ハンスは天井を見上げながら、遠い目をしていた。

「そう、なの……」

 クリスは目を伏せ、立てた膝に顔を埋めた。

「もう、六年くらい前やな。家の近所でヤクザ同士の抗争に巻き込まれてなぁ。親が両方とも前の戦争で死んだあと、兄妹二人で助けおうて生きてたんや。せやから泣いたで、あん時は。ヤケ起こして妹殺したヤクザの事務所に殴り込んで何人か巻き添えにして死んだろか、とも思うた」

 クリスは黙って聞いた。

「けどな、やっぱ死ねんかった。いろいろあって、死んでもええ、思うて軍隊入ったけど、まだ生きとる」

 そこで、ハンスはクリスの顔を見た。

「せやけど、生きててよかったわ。もう会えへん、思うてた妹に、もう一度会えたような気ぃ、したしな」

 そう言って、クリスの頭に手を乗せ、ぽんぽん、と叩いた。

「帰って来てね」

 クリスがぽつりとつぶやいた。

「パイロットは、生きて帰ってくるのが仕事だよ。戦争が終わるまで生き残れたら、あたしがハンスの妹になってあげてもいいから」

 ハンスは膝を抱えるクリスの顔のぞき込んだ。

「…お前、兄弟は?」

「いないよ。一人っ子だったもん。だから、兄弟って欲しかったよ」

「そうかー。けどなぁ、親父さんやお袋さんがアカン、ゆーに決まっとるがな。ははは」

「…お父さんもお母さんも、もういないもん。だから、いいよ」

「…戦争でか?」

 クリスは小さく肯いた。小さな声で語り出す。

「前の戦争。お父さん、メタルハーバーで整備の仕事してたの。港の攻撃があったとき、お母さん、お父さんがお弁当忘れたから届けに行ってて…」

「わかった。もうええ」

 ハンスはクリスの肩を抱き寄せた。

「おまえ、それから一人で生きて来たんか」

「…親戚とかいなかったから、施設に入って…その後、空軍兵曹訓練学校の整備科だよ。昔から機械いじり、好きだったから。お父さんの影響かな?お母さん、あたしが機械いじってるとため息ばっかりで、『もっと女の子らしい遊びをして頂戴』って、いつも…」

 クリスは半分、涙声だった。

「よっしゃ、わかった。今から俺がクリスの兄貴や。『お兄ちゃん』でも『兄さん』でも『お兄さま』でも、好きに呼べや…いや、待った。『お兄さま』だけは勘弁や。背筋が寒ぅなる」

 クリスは顔を上げて微笑んだ。

「ふふ。ありがと。でも、戦争が終わったらね」

「なんでやねん?」

 ハンスは首を捻った。クリスはまた膝に顔を伏せる。

「だって、ハンスはパイロットだもん。いつ帰って来なくなるか、解らない人だもん。メタルハーバーは、そうだったもん。みんな出撃して、帰って来なかった…せっかくお兄さんができたのに、いなくなったら嫌だもん…」

 ハンスは唖然とした。自分も少なくない経験があるが、目の前のこの少女は、17歳と言う若さで、なんと多くの今生の別れを経験したことか。

「ワシは、帰ってきたる。絶対に帰ってきたる。だから、今からワシがクリスの兄貴や。ええな」

 ハンスはそう言ってクリスの頭を抱え込んだ。

「…うん、お兄ちゃん…」

 クリスは涙声で呟くとハンスにしがみついた。

 しばらくそうした後、頃合いを見てハンスは切り出した。

「ところでクリス、ワシになんぞ用でも有ったんとちゃうんか?」

 クリスはぽん、っと手のひらを叩いた。

「ああ、そうだよぉ。ハンスに見て欲しい物があったんだよぉ。」

 そこでハンスはクリスの口を押さえ目の前で「ちっちっち」と言いながら指を振った。

「違うやろ?」

 ハンスはウィンクして見せた。クリスはハンスの言いたい事を悟ってちょっと頬を赤らめて言い直した。

「お兄ちゃんに見て欲しい物があったんだよぉ。」

 そこでちょっと上目遣いで『これでいい?』と言う感じでハンスの顔色をうかがう。短い時間で色々考えてみたが、『お兄ちゃん』がしっくりくる。ハンスは『うんうん』と肯いた。実は、死んだハンスの妹も『お兄ちゃん』と呼んでいたが、それは言わないことにした。

「コレなんだけどね。ちょっと見てみてよ、お兄ちゃん」

 クリスは腰のポーチから、マリアから渡された金属ケースを取り出した。

「こりゃあ……」

 渡された金属ケースを手に取った、ハンスの顔色が変わった。


一つ前のページに戻る

TO TOP