Black Jackの歴史


What is 
Black Jack

バスケットボールを中心に、気持ちよく汗をながす事を目的にしています。
他にも、バーベキューや駅伝・サッカー等を不定期に企画しています。

ブラックジャックの創立は、1987年(昭和62年)の春頃で、
2021年(令和3年)で
34年目を迎えます。

創立当初は、某社のバスケットボール同好会でした。

何がキッカケか、メンバーの友達が友達を誘って ・・・・ を繰り返し、
輪が広がり今にいたっています。

ですので、今では特に会員や部員というものはなく。
スケジュールを人づて・メール・ホームページ etc・・・で確認し、体育館に集まり、
人数がそろったところでゲームをやって解散するという形で活動しています。

活動時間は 18:00から21:00まで(20:45から掃除・更衣)です。
スポーツセンターは、18時00分から使用できるのですが、
参加者の大多数が一般的な会社員のため、この様になっています。

21:00からは一部のメンバーで流した汗の補充を行っています。
 


参加される方へ
特に参加資格や入会金・年会費はありません。
スポーツセンターの使用料と備品管理代が必要となります。
なので、当日、参加者から一律200円を徴収しております。

運営は有志で行っています。
お手伝いいただける方がいらっしゃればご連絡ください。


主な仕事は、
1.スポーツセンターの予約。ホームページの管理。
2.施設では、名簿管理、会費徴収、チームわけ、審判、計測、得点係りです。


Black Jackの歴史
(By
T田氏)
■誕生のきっかけ
・登場人物
  <草創期>

T田・・・当事N社にI社からの常駐で勤務していた。高校の弱体バスケ部出身のおじサン

O畑・・・T田の元同僚でスポーツ万能型の2枚目。現在はソフトボールの公式審判員として活躍

M澤・・・T田の幼馴染で中学バスケ・キャプテン

H本・・・T田とI社で同じプロジェクトで作業していた。フリーランスの中学バスケ経験者で
   N社でも作業をした大のテニス好きのお嬢サン

O石・・・T田の元同僚で高校バスケ出身のジェントルマン

N上川・・当事N社の社員で少しテンポの違うテニス中心のスポーツ好き

M本・・・当事N社の社員で仕事よりスポーツっていう何をやらせても上手いスポーツ万能型
  自称高校ではサッカーのエース・ストライカー    

O森・・・当事N社の社員で元某有名大学のバスケ部出身のフワーとしたお嬢サン
      (大学は有名だがバスケ部は???)

●以前から機会があればバスケをやって見たいと思っていたT田は
  H本と『一度やって見たいね』と話していた。
  N社に行って1プロジェクト終わった頃、気の合ったN上川に
  向いていないと思いつつ『バスケ1度やりませんか』と声を掛けた。
   『やろうか』との返事ともにM本もO森も参加するのではないかとの事で会場を押さえに行く。
    チーム名も決めないとと思い中核のN社にちなみ「21」をヒントに
   21がBestというトランプゲームの『ブラックジャック』と命名。 
   今だから明かすだれも知らないチーム名の由来です。

1986年頃(年のせいか記憶が曖昧なので少し調査が必要です)
      【検証事項】 

    ・N社情報システムがまだ北浜の5Fにあった 
    ・みんな若かった(当たりまえか) 
    ・アベノベルタが出きる少し前 
    ・阿倍野体育館が翌年ぐらいに廃館となった 

当時は今みたいに『区のスポーツセンター』『みおつくしネット』も無い時代で、
由緒正しい阿倍野体育館(現阿倍野スポーツセンターとは違い薄暗く湿っぽい学生大会で主会場)の
抽選に行った。
確か平日の10:00迄の受付けで10:00から抽選会(綴じ紐を人数分用意して受け順に引いて行き、
先端が白いのが当たりだった)何回かで無事会場も確保して、
映えある第1回は4チーム(N社チーム・M輪嬢テニス仲間チーム・T田友人達+I社で2チームで
あったような?)によるリーグ戦を行ないました。

全員久ぶりのバスケはおろか久々の運動という事もありリングには届かないは、
顔は青ざめるは、挙句はアキレス腱断絶という大障害付きの幕開けでした 。

ゲーム後はその後暫く通った近くの超高級居酒屋『酔虎伝』で賑やかに歓談し
運動とアルコールで疲れ果て解散!
毎月の場所確保は難しく3ヶ月に一度位がいいところでした。
その翌年から暫くはN社・情報システムの新人社員の定例行事のように参加いただいていました
その後吹田市の市長杯バスケット大会の参加も実現した。  

■安定期向けって
登場人物
<第2期黄金期>

   W嶋・・・N社の社員でバスケ未経験ながらアウトドアマンで非常に面倒見の良い
        第1期メンバーで 第2期黄金期を支えた中心人物。  まだ独身かいな?

月1回で主に北区スポーツセンターを中心に活動するととも に
神戸ポートアイランドのラブラン・マラソン、吹田市駅伝大会の参加 
武庫川でのバーベキュー等で活動の場を広げって行った。

この辺の状況については記念すべき神戸ラブラン初参加時のバトンを持ったまま
綺麗な看護婦さんに見とれて倒れ、バトンリレーできなかった
W嶋さんに語っていただきた いと思います。
以下、W嶋さんより投稿文書です。
 恐れ多くも、ブラックジャックオーナーのT田さまより
「第2期黄金期を支えた中心人物」なるお墨付きを頂いたとあっちゃ黙っていられる訳ありません。
つたない文章と擦り切れた記憶を綴りながら、
私の知るブラックジャックの歴史をご説明させて頂きます。
W嶋独りでブラックジャックの面倒をみていた訳ありません。
逆に「練習・試合で面倒をかけるバスケ素人」ですから、
コート外での会場手配等には努力したかな?って処です。
そんなW嶋にいつも力を貸してくれたのが、S本君です。
彼は実に真面目でビールをこよなく愛し、不器用ながらも一生懸命ものごとに当たる好漢です。
今は故あって没交渉ですが(はよ〜戻って来い!)、
彼抜きにブラッ
クジャックの第2期はありませんでした。
とあるブラックジャックの練習日、S本君とW嶋が仕事を終えて体育館に
向かったのが、午後7時30分頃だったかなあ。
「ボール持っているのに、開始から参加できなくて申し訳ない」と言うS本君と
中津の体育館を目指して歩いておりました。
体育館に到着してみると、いつもの様な歓声が聞こえません。
そっと扉を開けると、ただ一人O畑さんが、ボールを持たずに
シャードウシュートしておられました。
見渡しても他にメンバーはおられず…、そうO畑さんはたった一人で1時間半、
メンバーの集合を待っておられたんです、ボールも無しの体育館で。
この時、S本君と「なんとかメンバーを集めて今夜みたいな事ゼロにしよう」
と約束しました。それまでは「去るものは追わず、来るものは拒まず」の精神で
なんとかやって来れてたのですが、さすがに「一人練習」はショックでした。
以来、体育館を確保したら、Mシステムズ社(創設時はN社だったけど改名した)の
若手にも声をかけ、誘い合わせて来やすい雰囲気を案内するように努力したのです。
S本君がMシステムズ社と本体M社のレクリエーションリーダだった事もあり、
M社にまで選手募集の案内が回るようになりました。
多くの参加者を勧誘する過程で、バスケの練習だけではなく「バトミントンし
たい」「ドッチボールもしたい」等の意見を取り入れ企画・運営した事もあり、
活動が多角化し始めたキッカケになったかもしれません。
そして第1期同様「良い汗かいて美味しいビール」のコンセプト通り、
活動後の宴会が楽しみでやってくる輩も増えましたね。
結果、順調にメンバーは集まるようになってきましたが、
ただ残念な事に「バスケ中心」と言う面からすると「焦点がぼけて」しまった
かもしれません。その点に関しては、T田オーナー様、すんません
以上

■長期安定期に向けて 
  <第3期黄金期> 

     K本・・M社(N社の社名変更後)社員でこれまたW嶋から引き継いだ格好で
         今日まで継続しているのは気配りの行き届いたこの幹事役のお陰

     H田・・これまた強面だが気の良いカーペンター 

     N尾・・当時T社の社員でM社に作業に来ていた先輩に連れられ参加。
            体型はやや崩れつつあるが未だにスタミナ充分のサイクリスト
   

現在も活動回数を増やしつつ、ラブラン、キャンプ、流しそうめん、サッカー等、
更なる活動範囲の拡大とホームページでの広報活動で揺るぎ無い基盤を作り上げた
K本さんに語っていただきたいと思います

■最後に
 時と場所と人を得て、ふとしたきっかけで、始まった我々の『ブラックジャック』が
 15年以上も継続している事は脅威的であり、
 これもご参加くださる皆さんの理解と企画・推進してくれている方々の
 献身的な貢献の賜物だと思っています

いつまでも、
  1.《気楽な集まり》
  2.《スポーツ好きで人にはやさしい》
  3.《参加者の名前は知らんけど楽しいで》
  4.《綺麗な娘も多いで》・・¥¥¥¥¥¥・
  てな『ブラックジャック』で有り続けて欲しいと思っています

       以    上