知覧城

所 在 地 鹿児島県南九州市知覧町永里 別 名  
遺 構 曲輪 空掘 虎口  形 式  山城
築 城 者 佐多氏  築 城 年  不明
歴 史 正平8年(1353)に島津氏庶流の佐多氏に足利尊氏から知覧の地が与えられ、佐多氏は知覧城を居城とする。
応永年間(1394-1427)に知覧城は今給黎(いまきいれ)氏により一時奪取されるが、今給黎氏は島津氏に降伏し、知覧城は改めて佐多氏に与えられた。
天正19年(1591)に佐多氏は豊臣秀吉の怒りに触れて領地を没収され、文禄4年(1595)に種子島氏が知覧の領主となる。
慶長4年(1599)に知覧は島津氏に返却され、慶長15年(1610)に佐多氏が知覧の領主として返り咲く。
佐多氏は知覧城の北方に麓を作って移り、元和元年(1615)の一国一城令により知覧城は廃城になったと考えられる。
歴 代 城 主 佐多氏 種子島氏 佐多氏


本城 本城の土塁


 現地解説板の縄張り図

本城、今城、蔵之城、弓場城などの曲輪群を城内とし、東ノ栫、西の栫、南ノ栫などの曲輪群が囲む。
(鹿児島県では曲輪の名称を「○○城」と名付けることが多い。)


蔵之城 本城と今城の間の空掘


 <アクセス>
知覧城跡は南九州市役所知覧支所の南約1.2km。市役所支所の西側の道を南下し、1.2km先の三差路を西に入ると南側に知覧城跡見学者用の駐車場がある。城跡は駐車場からすぐ。(2023.04.18)