安の森(やすらぎのもり) 20063月までの記録  by 金川貴博

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昔の里山

(この写真は「安の森」のすぐ近くの林の写真です。樹齢200年以上の大きな松の木が多数生えています。1943年(昭和18年、第2次世界大戦中)に、軍の命令で松を切ることになり、小川さんのお父さんが写真屋に依頼して撮影をしたものです。写真の右下に、小川さん一家が小さく写っています)

 

      (写真右下の人たちを拡大しました)

  

   

「安の森」と私が名づけた林について、昔の様子を地主の小川さんに聞いて、まとめてみました(1998年6月10日記載)。

 

 この雑木林(地主さんはヤマと呼んでいます)は、昔から松(アカマツ)とクヌギの林でした。松もクヌギも共に燃料として重要でした。

1.松の使い道

 松は、植えてから22〜23年で、薪として売りました。松を買うのは山師と呼ばれる人で、近所の人を雇って松を切り倒し、輪切りにして、割って、薪として売ります。松の薪は、ススが出るので、瓦を焼くのに適していました。昭和30年(1955年)ごろには、パルプの原料として売ったこともありました。松の根株も燃料に適していますから、掘りだして自家用の燃料として使いました。松を燃料に使う場合は、木小屋に一年置いて、乾いたものを使っていましたが、これは松林をたくさん持っている農家だけができることで、そうでない農家は、乾くのを待つだけの余裕がありませんでした。

 松を切ってできた空き地には、松の苗を1.5mほどの間隔で植えました。松は根付きがよく、やせた土地でも生えます。ある程度生長すると間伐(ぬけ切り)をしました。間伐した松は、稲木(おだ足と呼びました。田で刈り取った稲を束にして掛け並べて干すときに使う支柱の木)に使ったり、燃料にも使いました。また、下の方の枝は、切って(枝おろし)、燃料として使いました。松を植えてから8年程すると地面にハツタケがたくさん生えました。

 松葉も、燃料にしました。また、松葉は、冬に庭に敷きつめて、霜柱で庭がぬかるむのを防ぎ、これを春にさらって一ヶ所に積み上げて苗床としました。松葉が醗酵して熱を出すため、サツマイモや野菜の種を発芽させるのに最適でした。とこ(おんどこ、温床)と呼びました。醗酵を促進するために、台所の廃水を掛けてから使いました。苗床として使った後、これを堆肥小屋に入れておき、時々、唐鍬(とうぐわ、くわの一種)で切り返しをすると、土と見分けがつかないような優良な堆肥になりました。これを畑で元肥として使いました。また、春に田を耕す時にも元肥としてまきました。松葉をこのような形で使えるのは、松林をたくさん持っている農家だけが出来るぜいたくなことでした。

 このように、松の幹も枝も葉も、当時は貴重なものでした。一部の松(特に林の端の松)は、薪にせずに100年以上残しました。これを立松(たてまつ)と呼びました。この木は材木として使いました。

 

2.クヌギなどの使い道

 クヌギは、7〜8年毎に切って、炭用に売りました。クヌギの炭は、火力が強く、火持ちがよい良質の炭です。細い枝は燃料に使いました。クヌギは切っても、切株からまた芽が出てくるので、一度植えると長年使えます。クヌギの落葉(ぶっぱと呼んだ)は、堆肥に使いました。クヌギは、土地が肥えていないと生長しませんので、どこにでも植えられる木ではありませんでした。生えた雑草は、刈り取って堆肥に利用しました。自然に生えた雑木も、燃料に使いました。

 このように、この林は、燃料と肥料と材木を供給するための重要な林で、常に人手が入ることによって、一定の状態に保たれてきました。薪作りや、落葉かきは、農家にとって冬の重要な仕事でした。

 

3.林の価値の下落と荒廃

 昭和40年(1965年)ごろに、この林が一気に価値を失いました。プロパンガスや灯油が使われるようになって、薪も炭も要らなくなりました。化成肥料の使用で堆肥が使われなくなりました。材木も安い外国産が主流になりました。

 農家の生活も一変して、それまでの自給自足的な生活から、現金が必要な生活になり、勤めに出るようになって、農業に使える時間が減りました。林の中で薪作りを1日行うよりも、勤めに1日出て、その日当でガスや灯油を買う方が、たくさんの燃料が得られます。また、ガスや灯油の方が、薪よりもはるかに使い勝手のよいものです。それに、薪は保管に場所をとります。

 こうして、林は農家の生活に全く必要のないものになってしまいました。そして誰もこの林に入らなくなり、草や笹が伸び放題に伸びました。ちょうど昭和40年ごろに切ったクヌギ林の場合は、その後の手入れが行われなかったために、切り株から出た新芽がツル性の雑草に負けてしまい、木が枯れてしまいました。松は昭和50年(1975年)ごろからマツクイムシにやられて次々に枯れていきました。山師は仕事を失い、不動産屋に転業しました。

 昭和60年(1985年)には、科学博覧会が行われ、このあたりの林が切られて駐車場として使われました。安の森の一部も木が切られて、駐車場内の通路として使用されました。