安の森(やすらぎのもり) 20063月までの記録  by 金川貴博

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作業のきっかけ

1.小川さん夫妻の作業

 1991年1月に、地主の小川さんが職場を定年で退職されました。そして、林を昔のような状態に戻したいと、奥さんと2人での林の手入れが、家の近くの林から順次開始されました。「安の森」の手入れは92年からでした。当時は、密生したアズマネザサが背丈以上に伸びていて、森の中へ入れない状態でした。また、多数のアカマツが枯れて倒れていました。そこで、ササを刈る作業と倒れた松を切断する作業が行われました。そして、93年の春に林の中に大きな穴を掘り、切断した松を埋める作業が行われました。その後も松が枯れたので、この松は輪切りにして林の中に積み上げられました。松やクヌギが枯れて空き地状態になった場所には、94年春に杉と檜の苗木が植えられました。

 

2.手伝いの依頼

 94年7月9日に、私たち「雑木林で遊ぶ会」は、シンポジウム「つくばの緑をわたしたちの手で」をカスミつくばセンターで行いました。

このシンポジウムを聞きに来られた小川さんが、シンポジウム終了後に会場で私たちに「手入れを手伝って欲しい」というお話をされました。そして、8月に、「雑木林で遊ぶ会」会長のOMさんと私とで、小川さん宅を訪問し、現地を見せてもらいました。

 「雑木林で遊ぶ会」では、別の森をすでに借りていて、そこの手入れだけでも大変な状態であり、さらに新たに3haもの森の手入れを手伝うような余裕はありませんでしたから、OMさんは首を横に振っていました。この手伝いは無理だというのが当然の結論でした。しかし、私としては、荒れた森をいい状態に戻したいという小川さんの活動を是非応援したいという思いがありました。つくばの緑をわたしたちの手で守りたいという意欲を示すために、私としては、この手伝いをどうしてもしたかったのです。それで、私の独断でお手伝いをすることにしました。当時はまだバブル経済の余韻が残っていて、つくばの林は宅地として開発するのが常識でした。荒れた林に金をかけて、いい状態に戻すなどというのは酔狂以外の何者でもありません。周りの土地の地主さんにしてみれば、自分の土地を宅地にして売りたいというのが願望でしたから、「安の森」の保全は周囲の開発を妨害する行為でした。

 林の笹刈りに対しては「なぜ林の手入れをするのか」という質問をよく受けました。当時では、ほとんど誰にも理解してもらえない不思議な行為でした。まともに答えても納得してもらえないので、「日頃の運動不足の解消のために行っています」と言っておりました。夏の間は、「血の気が多いから、やぶ蚊に献血に行っています」と冗談でごまかした。

 その後、1995年の阪神大震災のボランティアの活躍で、ボランティア活動が世間に徐々に認識されるようになったことから、年を経るにしたがい、少しずつ周りの見る目が変わってきたように思いました。それに、「里山」ということばが2000年ごろから一般に使われるようになってきて、その頃から「里山保全」の意義を理解してくださる人が増えてきたように思います。

 

3.手伝いの開始 (この項目は1998年ごろに書きました)

 私の手伝いは94年9月から始まりました。

 森の手入れを行うようになって、初めて気付いたことは、森の木の経済的価値が全くないということです。枯れた松はたくさんありますので、炭焼きをやっている人に引き取ってほしいといったら、街路樹や公園木などの剪定からでる枝で十分で、燃やすものは只で持ってきてもらっているから、これ以上は燃やし切れないいう返事でした。陶芸をしている人に使ってもらったらという話もあったが、丸太を切って割って、使いやすい形にして持って行けば使ってもらえるということで、そこまでとてもできないので、あきらめました。長い丸太を取りにきてくれといっても、誰も使ってくれないことがわかりました。間伐した杉も、材木屋まで運んで1本が500円程度という話で、自分で運び出すだけの腕力も時間もない者としては、結局、間伐材も森の中で腐らせるか燃やすかのどちらかでしかないことがわかりました。

 森の木は、昔はパルプの材料にもなったということでしたが、今では輸入品が安いのでパルプ業界(製紙会社)は見向きもしません。製紙会社は、割り箸を回収してパルプにするなどというイメージ作りは行っていますが、そんなことをするなら、間伐材などを使ってほしいものです。木材やパルプの輸入は毎年増える一方ですが、外国の森を切り開くだけで、日本の森は経済的価値がなくて荒れたままという現状です。古紙リサイクルで消費者の安心感が広がり、紙の使用量は増える一方で、古紙は回収した内の8割を焼却しているという(業界紙「環境新聞」の記事による)ことで、古新聞、古雑誌、ダンボールは古紙三悪と呼ばれる厄介物になってしまっています。

 小川さんは、「無理のない範囲で手伝ってもらえればいいから」ということでしたが、その後、小川さんが病気になって、私1人で作業を行うことになってしまいました。もちろん、声をかければ手伝ってくれる人は「雑木林で遊ぶ会」のメンバーを初めとしてたくさんいましたが、自分が中心になって自主的に作業をしようという人がいなくて、安の森での作業は、すべて私が段取りをしないとできない状況が2001年まで(SYさんが手伝いに参加してくれるまで)続きました。

(小川さんが1年前に笹を刈ったということだが、その後に笹が伸びて、林全体に笹が生い茂っていた。941026日)