2000年5月18日記述、2002年4月21日改訂
里山保全の意義 第1章 エネルギー供給源としての里山 −人工林の重要性−
金川貴博
1-1.エネルギー問題
一昔前までは、里山(雑木林)は、燃料供給の場として重要な存在であった。現在は石油などの普及で里山は無用の物となっているが、このような無用の状態がいつまでも続くとは思えない。石油資源は有限である。あと30年で人類は石油を使い果たすと言われている。まだまだ大丈夫という説もあるが、21世紀中に枯渇することは間違いなさそうである。石油が無くなれば、次は石炭かもしれないが、このような資源はいずれも有限である。いつまでも使えるものではない。再生可能なエネルギーとなると、結局は、植物(木材)へ戻る日がまた来るのではないかと考える。
1-2.科学で解決できること
科学が発達すれば、エネルギー問題は何とかなると考えていた時代があった(今もそうかもしれない)。科学というのは、自然現象や社会現象を解き明かすための1つの方法に過ぎないが、科学によって解明された事象を利用することで、様々なことができるようになったために、科学万能の夢が生まれた。科学ですべての物事が解き明かされるのではないかという期待感が生まれた。しかし、科学というのは一つの方法論であり、これが万能であるという保証はない。私のように、微生物を対象とした科学研究を職業にしていると、科学の無能ぶりを目の当たりにする機会が多い。科学万能は単なる期待でしかないと実感している。科学万能という考えは、人類の優秀さ(西洋文明の優秀さと言い換えてもよい)を無批判的に信じるものであって、人類の傲慢さを表すものであるように思う。実際のところ、生物学の分野では不明な点がいっぱいある。それを解明する手段がなくて、どうにも手を出せない課題が山積みである。科学万能という不遜な考え方に基づいてエネルギー問題や環境問題を考えるのは、人類を滅亡に導く非常に危険な道であると私は思う。
このような議論を展開すると、「あなたは科学を否定するするのか」と短絡的なことを言う人がいる。私は科学を否定しているのではない。私が否定しているのは、科学万能という思想である。私は、科学で何が解明できて何が解明できないのかを明確にしておきたいのである。私のように科学研究を職業とする者にとっては、この点が非常に重要である。研究活動において、ある事柄を解明したいと考えた時、最初に調査する必要があるのは、その事柄が次のどれに当てはまるかである。
(1)科学ですでに解明されている。
(2)解明されていないが、現在の科学で解明が可能である。
(3)現在の科学では解明は難しいが、近い将来解明できそうである。
(4)解明困難もしくは解明不可能と考えられる
これらの内のどれに当てはまるかを見極めないと研究成果は出ない。私が専門とする微生物学や微生物生態学の分野では、解明不可能な事柄が多く、不可能なことに一途に取り組んだのでは、成果が出なくて行き詰まってしまう。その典型例が野口英世の黄熱病の研究であり、彼は完全に行き詰まってしまって、「私にはわからない」という言葉を残して死んだ。
1-3.ちょっと脱線(野口英世の黄熱病研究)
ここで、ちょっと脱線して、野口英世の研究について論述しておきたい。野口英世は梅毒菌の純粋培養に成功したことで名を上げた細菌学者である。彼は、黄熱病の病原体も細菌と考えて研究を行い、培養に成功したと発表したが、これが間違いであることが指摘された。そこで、アフリカに渡って研究を続けたが、黄熱病の病原体を突き止めることができなかった。彼の最期の言葉はI don't knowである。後になって、黄熱病の病原体はウィルスであることがわかったが、彼の時代には、ウィルスの存在は知られていなかった。まだ電子顕微鏡がなかったので、ウィルスを見ることもできなかった。野口英世の使った方法論では黄熱病の病原体を発見することは絶対に有り得なかったのである。
1-4.科学の限界
黄熱病の病原体はその後の科学の発展のおかげで突き止められたが、科学という方法論では、どう考えても解明が困難もしくは不可能と考えられる事柄は世の中にたくさんある。一般的には、科学で解明できないというと、心霊現象とか超能力という方向へ話が行ってしまうが、目の前の単純な自然現象でも解明が困難な事柄がたくさんある。したがって、科学研究が職業として成り立つのであり、ちょっとした発見が特許につながって大儲けということもあり得る。
さて、話をエネルギー問題に戻すが、現状の科学レベルを基準にして考えると、エネルギー問題を解決できないのは明らかであり、現状のようなエネルギー消費をいつまでも続けるのは不可能である。エネルギー資源の枯渇だけでなく、環境という面からもエネルギー消費に制限がかかるだろう。今後の科学技術の発展にいくらかは期待できる部分があるとしても、エネルギー問題やこれに伴う環境問題を解決できるとはとても思えない。危機が来る時期を少し先延ばしする程度のことでしかないだろう。人類の命運を科学技術の発展に全面的に頼るわけにはいかない。科学技術以外の方策も立てておかないと、やがては危機に直面して右往左往することになる。危機がいつ来るかは意見が分かれるところではあるが、対応策が必要であることは間違いない。
1-5.再生可能なエネルギー源としての里山
エネルギー問題への対応策の1つとして、再生可能なエネルギー源である里山の存在がある。現在は、確かにその価値を失っているが、再びその存在が生活に必要になった時に、里山そのものの存在と里山を利用する知恵の存在とが必要になると考える。その時期まで、この両者(里山そのものの存在と里山を利用する知恵の存在)を存続せしめるのが、里山保全活動の意義の1つと考えている。
こう書くと話が大層であるが、要するに、燃料源としての里山の価値がなくなってしまったのは一時的な現象であって、やがてまた必要になる時期が来るから、里山そのものと里山を利用する知恵とが現存している間に保全処置を講じる必要性があると思うのである。
1-6.人工林の重要性
人工林は人類が生活のために作り上げてきたものである。人工林にはノウハウがいっぱい詰まっている。現在は人工林など無くてもよい時代なのかもしれない。しかし、再生可能なエネルギーの確保や、人類が生存可能な環境の維持を考えるなら、目的に沿った人工林を作ることが必須になる。木の寿命は長いので、科学で解明するのに長時間を要する。森の植物間や植物と動物間、植物と微生物間などの様々な相互作用が予想され、何をどうすれば何が起こるかの予想は相当に難しいであろう。不可能であるというべきかもしれない。この場合、過去に行われて来たことを継承するのがもっとも確実である。そこには長期間の経験の蓄積がある。その意味で里山という人工林を作り上げるノウハウは重要である。環境という面では、人工林よりも自然林の方が重要視されるのが現状である。確かに自然林は貴重であるが、極論すれば、人間が手を出さないようにするだけで自然林はできあがる。それに対して、人工林は人間が作るものである。里山には人類がこの先も長く生きていくための知恵が詰まっている。