2007年 08月
かなの友人で 某合唱団に所属する Cho:田中洋子(以後 よっち)が加入。
なかなか決まらないドラムであったが、多くのセッションを繰り返す中、ドラマー田川潤一
(以後 KINTA)の加入が決定。551StreetBand が結成される。
メンバーは、
Vo&G:シャバナ、Key:ノブエ、Ba:りょう、G:あばうと、Cho:かな、Cho:よっち、Dr:KINTAの6人。
某コンテストの2週間前の結成であった。激戦の中1次予選突破!
そしてABCホールで行われた2次予選・・・・・・・・・、結果は敗退。この時のシャバナは
まるで、矢吹丈(あしたのジョー最終回の時の)状態で 真っ白に燃え尽きていた。
2006年 11月
音楽業界より身を引いていた謝花義哲が、趣味として楽しむべくバンドを結成。
まくまでアマチュアと言う事での活動であった為、バンドレベルとしては大した事なく、
G、Dr、Keyは「久し振りにバンドをする」といった状態、Baに至っては「単なる掛持ち
バンドの一つ」 といった具合で、それなり的な活動であった。
当時メンバーは、Vo&G:謝花義哲(以後 シャバナ)、 G:秋山淳一、Dr:下村哲也、
Key:法橋のぶえ(以後 ノブエ)、Ba:近藤龍馬(以後 りょう)であった。
しかし、このバンドが後の“551StreetBand”に変わっていく事になる。
2009年 05月
2009年 02月
2008年 03月
シャバナ、あばうと、りょう、KINTAで 551StreetBandのアコースティク版で某コンテストに応募。
決勝まで進むが、これまたむなしく敗退。 末には Tp:Mariが脱退。
2007年 10月
リベンジを果たすべく551StreetBandは、またまた某コンテストに応募。1次予選は突破。
2次予選の帰り、りょうがシャバナに管楽器隊の加入を要望。即その場での電話にて、
シャバナの後輩である Tb:大原義一(以後 ぎいち)の加入が決まる。
その後Sax:東野宗之(以後 むねさん)とTp:西川真理(以後 Mari)が加入。
551StreetBandさらにPowerUP。
2007年 05月
2009年 08月
2009年 06月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 05月
ある日、Vo&G:シャバナがとあるバンドコンテストの記事を発見、ミュージシャンとしての
血が騒ぎ出す。「勝てるバンドを作りたい」と Ba:りょうに打診。メンバー集めが始まる。
2009年 10月
2009年 07月
2008年 12月(末)
日経おとなのバンドコンテストに引続き、“南紀OYAJIBANDコンテスト”決勝大会に
2年連続の進出が決定。
日経おとなのバンドコンテスト全国大会では、VoシャバナがMVPを獲得。
少し天狗になりつつある 551StreetBand であった。
Tp兼Key:大塚晃一(以後 せんせい)が加入。
2008年 02月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 06月
2008年 10月
2008年 08月
Key:ノブエが脱退。変わりに Key:正林俊樹(以後 しょうちゃん)が加入。
東京でシャバナと共に業界に身を置いていたことがある Cho:金澤美樹(以後 かな)と、
りょう とセッションをしていたギタリスト上田浩之(以後 あばうと)が加入。
名古屋BottomLineにて開催された“日経おとなのバンドコンテスト”の名古屋地区予選にて
グランプリに輝き、全国大会出場権を獲得。
敗戦続きの 551StreetBandがリベンジを果せた瞬間であった。
関西国際空港 北イベント広場にて、ライブを開催。コンテストばかり出場していたので、
何故か 551StreetBand 初ライブとなる。
再リベンジを果たすべく551StreetBandは、またまた某コンテストに応募。
これまた予選を突破し決勝に進出。しかしまたまたリベンジならず。
その後Key:しょうちゃんが、「皆さんのレベルに着いて行くのが辛い」と脱退宣言。ひき止めるも
むなしく脱退。しかし 551StreetBandのスタッフとして裏方で活躍してくれることになる。
2次予選も突破し決勝に進んだ 551StreetBand。しかしリベンジならず。