淀屋橋勤労者山岳会 40周年記念ミニ集会
2005年5月28日()於:以和貴荘

正楽利夫さん作成の40周年記念ロゴ

記念撮影-皆さん、各自リラックスされています。

我々、日常一緒に山へ、スキーへそしてきのこハイキングや梅狩りなど、(各種の宴会へと)アウトドアーフィールドでの活躍の主体となっている淀屋橋勤労者山岳会が40周年を迎えました。
それを記念する式典が、5月28日(土)に行われました。
当日は大勢の方が、遠くから駆けつけて頂き、多いに盛会になりました。
懐かしい顔も、大勢お出ででした。

このHpは、以前皆さんにお送りした小冊子を元にしています。
製作に努力された正楽利夫さん、ご苦労様でした。
そして当日の開催にご協力頂きました現会員の皆さんに感謝します。 (以下、文中 敬称略)
                        
 淀屋橋労山代表      平井和雄

淀屋橋労山初代代表 島津昌康
残念ながら仕事の加減で、当日は画像参加でした。

飯豊山山頂の島津昌康

懐かしい顔ぶればかりです。

九角前代表の乾杯の挨拶

平井先生から40周年の件で何か書けと連絡を頂きました。

が、なにを書いてよいやら・・・・・キーボードの

前進これなく、期限は過ぎてもなかなか指が進まない(今は、筆は進まないとは書かないのだ)。

淀屋橋のことはなにを置いてもクスダ事務機の仲間は忘れられない中軸メンバーとなって活動し、それは今も変わらないようだ。クスダの労働組合の建物を会議に利用させてもらえたのはありがたかった。とにかく、よく山登りはした山岳会だった。ヒマラヤ登山のイベントは格好の目的となり、さらに山登りは熱を帯びたものになり、寝ても覚めても山、山となりそれは楽しい人生のひと時であったように思う。

人、淀屋橋がこの世に生を受けて40年となると、もはや中年、太平洋戦争なら、老兵と馬鹿にされ、戦艦大和の最後の出撃の際には40歳以上の老兵はあしでまといとされて艦から降ろされた悲哀の中年、それがいまでは淀屋橋では山から降ろされること無くまだ、現役の登山者として颯爽としているのは、これは本当に素晴らしい事ではないかと思う。

でも、この仲間に本来ならいるべき、あの、懐かしいゴジさん、和田君、柿本さん、そして竹さん、吉高君、亀井さんたちの顔は見えない。
六甲山の帰り、我が家でゴジさんと竹さんが酔っ払て大騒ぎしたあの日は忘れられない一日であったし、やはり、六甲山の帰りに、突然我が家に寄って、破れた服を縫って帰った和田君、同じ会社であった吉高君のあの華麗な滑りは目に焼きついている。

当会の例会剣山行の遭難は大変な出来事だった。奥君の雪彦山の事故もあった。奥君はその後、背中にアルミ板をつけて我が家に遊びにきてくれた。この会の歴史に、私は創立の一翼を担ったとはいえ、40年のうちの14年間しかこの山岳会に関与しなかった。白馬村に移住しての26年はアットいう間であって、気がつけばここでなんとか過ごしてきたわけで、だから、40年はわたしにとってはまだ16年。時々、昔の事を思い出す。あの山、この山の懐かしい思い出を。みんなとても若く、陽気で、本当に一人一人が輝いていたんだと。

昨年、登山道具を一新し、もちろん、ピッケルやテントも、登山靴も。(商売柄、あんまり古いものや節約しているなと思われるのも嫌なものだから)つまり、歳をとっていても気分はあの頃とチットモ変わっていない、青年のままと。この頃の山はもうそれこそ中高年登山者ばかりといってもいい状況にあり、みんな気分はとても若々しい。眼は遠くなっても、顔のしわが増えても、一歩一歩が標準タイムの2割アップであっても、仲間との山登りはこんな楽しい遊びはない。良い仲間と良い山、限られた人生の時間に占めるこの良き時間は何者にも変えがたいと。

以前に槍ケ岳に84歳の人が息子と孫の3人で登山したTV放送を見てジーンときた。それは、槍沢に一泊して槍ケ岳山荘への道をたどる長い道で、お孫さんの励ましに支えられ日暮れて到着し、翌日、頂上に登り、居合わせた登山者のお祝いを受け、小屋の用意した「おめでとう」の横断幕を持って、TVのヘリ撮影がされた親子三代の登山風景。・・・・・

皆さん、とりあえず、70歳の記念に登山する目標というのはどうですか。誰かが70歳になったらみんなで白馬岳記念登山をするという企画は・・・・・。

 元淀屋橋労山代表 島津昌康

会員の皆様に御礼。

 輝かしい!40周年記念式典!
我々、淀屋橋労山の歴史其のものです。
  
  私、平井和雄は今年3月の総会で今期の代表職を命ぜられましたが、入会後僅か10年ほどの新参者であります。
斯様な未熟者を会に入れて下さった当時の執行部の皆さん、そして今まで私を守り育てて頂いた皆さんに感謝します。
このような未熟者で度量の浅いのを省みず、代表に推薦された胸襟の深さに驚かされます。
それは何にもまして、「一切の権威を重視しない柔軟性は淀屋橋労山の本分だ」、と一層理解した次第です。

  この40周年記念式典、皆さん、ご参加、どうも有難う御座いました。
又当日参加出来なかった方も、次の機会に宜しくお願いします。
40周年を迎えたと言っても、人類の永い歴史の中では、ほんの数秒以下です。其の中で我々が置かれた立場を十分に理解し、今後の人々のために掛け替えのない自然を保全する意味合いはますます重要になってくるものと信じます。
今後ともますますの(内向きであるといわれても)バラエティにとんだ、ユニークな
山行を重ねてゆきたいと思います。
皆様の一層のご協力、ご指導を宜しくお願いします。

05年淀屋橋労山代表  平井和雄 

代表の挨拶

パソコンで「写真で振り返る淀屋橋労山」を上映

臨時事務局ニュース
30周年を行ってから何年になるやろ]10年はなるやろ」「30周年をやったときも、正確には30年とちがううかったんと違うか」「まあ、元気なうちに会うのもええで」「・・・・・・・」とミ−ティングで話題に出てから約1年。  
とりあえず日時の決定と会場押さえだけを行っておいた今回の「淀屋橋
40周年ミニ集会」。

3月になって歴代会員全員に案内状を発送しました(150)。 
そして、(44人)の旧会員の案内状が宛先不明で帰ってきました。
30周年行事時の住所録不整備〜淀屋橋らしい!?)
(今回新たに分かった住所録はキッチと管理しておきます!?)

○素晴らしい催しですがあいにく仕事で今回は不参加です 
 ○少ししかいなかったのに案内いただいてとても嬉しいです。

○体型も変わって恥ずかしいいですが勇気を持って参加させて頂きます。
 

当日は38名の参加。 
会場受付では、来場の参加者同士が「懐かしい」「懐かしい」ともうすでに集会が始まったような盛り上がりようでした。予定時間より少し遅れて九角さんの乾杯の音頭で集会(宴会)が始まりました。  
歓談・旧会員からの一言・・・
そして、平井代表の労作「写真で見る淀屋橋勤の
40年」がスクリ−ンに映し出されると、
あちこちで「若いな
-」「わかいな-」と一堂スクリ−ンに見入っていました。 
その後も皆さん話題はつきません。 

そして、高橋お佳さん、オスミさんによる歌唱指導で、昔、テント中でよく歌った「山の歌」の熱唱。
正に「青春時代にタイムスリップ」であります。
 幹事がフロントへ「大丈夫でしょうか」「他のお客さんに迷惑は掛かっていないでしょうか」とお伺いに行く一幕もありました(もちろんドアは閉めました)。

食べて・飲んで・しゃべって・歌って、あっという間の3時間でした。

その後、宿泊者用の和室に場所を移しての2次会も、数名のメンバ−が帰ったくらいで、帰りがたいメンバ−がその後10時半くらいまでおしゃべりを続けました。
 帰り際「50周年楽しみにしてるわ」「また、何か企画してね」と言いつつも
「今度も元気に会えるかナ−」と交わした言葉に、淀屋橋の40年の年輪を感じさせられました。

事務局 正楽利夫



鹿島槍、大谷原

秋ヤン(岡山から)半ちやん(石川から)来てくれました

30周年で会って以降です。もうすっかりええおっちやんになっていました。  半ちゃんももうすぐ定年とか。

秋ヤン、挨拶で「淀屋橋のお陰でええ嫁サンにめぐり合えました・・・・・」  会場から拍手喝采でした。

最高齢  粂さん  86

事前に場所案内で粂さんに電話しました。

それこそ20年以上も声も聞いていなかったのに、電話口から聞こえてくる声で、す〜とあの粂さんの顔が浮かんできました。

「粂さん何歳になられましたか?」「6だよ」「76歳ですか」「何いってんだよ、86歳だよ」「えええ・・・・・」

当日も挨拶して頂きましたが、元気そのものです。また、何かの機会にお会いしたいものです。

地坂さん 「島津さんや、洋ちやんに会いたかったわ」

30周年のときにも来て頂いた創立メンバ−の一人の地坂さん、今回も元気に参加してくれました。

仕事で欠席の島津さんや洋ちやん(西日本女性担当者会議で滋賀県)に会えなくて残念がられておりました。 50周年ではお互いに元気で会えることでしょう。

「あれ誰やろう?」

いちばん変って分からなかったのは川上雅敬さん、そう、洋ちやんのダンナさんです。

玄関から入ってきたとき「あれだれやろ」「どこかの自由人みたいやけどな-」。よくよく見ると川上ダンナではありませんか。
30
周年のときは来ていなかったのでもうかれこれ20年以上は会っていない計算になります。 しかし、頭髪は変わっていてもしゃべるとやはり昔のままの川上さんでした。


鹿島槍

北鎌尾根女性隊

松崎さん 加藤さんも元気そう

「出席を楽しみにしています」と返事を頂いていた松崎さん・加藤さんも早々に会場に到着。十年ぶり、二十年ぶりの再会を喜び合っているようでした。

松崎さんは定年後の過ごし方を今井さんたちに教わっていました。

加藤さんは、絵画をやっているとかで、二次会で秋ヤンとそれは熱っぽく語り合っていました。

チトエちゃん 直ちゃん 道代ちゃん くにちゃん

○○ちゃん○○ちゃんとは呼び合っていますが、世間ではもうええおばさんです????。でも若き頃、山でおたがいに苦労しあった乙女たちにとってはいつまでたっても○○ちゃんと呼び合う仲間なのでしょう。

日常生活ではなかなか味わえないものがあります。

今の淀屋橋は貴方方に支えられています

現会員でもなかなか顔をあわせ得ないメンバ−も多数参加してくれました。酒井さん 田中さん 西村さん 松井夫人 村瀬夫人・・・・、そして子育て真っ最中の増山さん 畑井さん 木下さん達も日頃の家事・育児を忘れて?交流を深めているようでした。

また、何かの機会、企画の時にも元気な顔を見せてください。        
        事務局      正楽利夫

剣岳追悼山行

皆さんの声(順不同)

川上 雅敬
 
盛会であり大いに歓談をたのしませていただきました。準備や進行をして下さった人たちの善意と労に感謝します。会は懐かしいだけでなく、淀屋橋のハートに再会した一時でした。
・山岳会を淀屋橋につくった草創期のメンバーの愚直な思い。
・世界の名山への憧れと、難しい山へ向かいたいという気持ち。
・利害得失など無縁の善意や友情。
 ただ、歳月は会員の実生活にも影響を与えました。
結婚、離職、子育て、早世、離婚、よい事も悪い出来事もありましたが「四〇周年の会」に集った人たちの表情は皆おだやかでした。

山の会として登山知識の普及や登山活動を行なうという役割りがありますが、この他に、淀屋橋は、とても 大事な役割りを 果たしていたことを確認しました。「心の安穏」です。

山仲間と共に努力し、一緒に笑ったり、汗を流したことが、社会生活を過ごすなかでも心の中の強い柱となっていることを実感しました。淀屋橋労山の最も誇れる特性だと思います。
今後もこんな会の良さを継承していただくことを期待しています。     

太田 慶子

秋ヤン・半ちやん・駒ちやん・ナオちやん・西沢さん、そして、松崎さん・川上旦那・西村さん・路子ちやん・オケイさん・萩ちやん・田中さん・加藤さん・・・・・皆懐かしい。

いま山に行っている仲間、会を支えてくれている仲間、皆素晴らしい。
外国の山、日本の山、身近な山、山はほんとうに素晴らしい。
花、雲、太陽、お月さん、水平線、とても素晴らしい。 そして雪や雨・・・全ての自然・動物たち・・
地球の自然を大切にしよう。

正ちやん・松ちやん・二宮君楽しい四〇周年有難う。

松田寿美子

懐かしい方にたくさんお会いできてとても嬉しかったです。50周年が楽しみですが皆さん元気で参加してください。

正楽 良子

楽しい集会でした。 山に明け暮れていた若かりし頃を思い出しています。皆若かったです。
今日見るみんなの顔は、立派に年輪を積み重ねてきた晴ればれした顔です。  
同じ様な顔で五〇周年も会いたいです


半田 勝之

懐かしい顔を見て涙・・・・・。色々状況を聞いて涙・・・。

いつでも山での再会を期して明日を楽しみに生きる。

服部 悦子

ほんとうに久しぶりに皆さんとお会いでき
楽しい時間を持つことが出来ました。
お世話くださった方々に感謝します。

仕事も山もせず専業主婦をしている私に比べ、仕事も山も現役で頑張っておられる皆様にただただ感心するばかりです。

私も体力維持のため少しはハイキングでもするよう心がけます。ほんとうに有難うございました。

地坂 千代子

風雪の四〇年。 
よく耐えてこの日まで共に発展し続けられたものと感慨深いです。

高齢者山行を企画していただきたいです。

吉高 洋子

ありがとうございました。十年ぶりですが、隣に

俊介がいないのが残念です。 
青春時代に帰ったひと時でした。1年に1回でもいいですが、ハイキングを計画していただけたらと図々しいことを考えています。


高橋 佳子

何年も会わない人もたくさんいましたのに昔と少しも変わっていないということは皆さんいくつになっても元気な証拠ですね。

村瀬 幸代

久しぶりに昔山行を共にした方々とお会い出来、楽しい時間をすごすことが出来ました。

我が家は、夫が代表してこれからも山行に参加していくと思います。  よろしくお願い致します。

粂  実

若かりし頃(といっても50代後半)、ヨドヤバシに場所塞ぎをしました。  さぞ足手まといになったと思いますが、楽しくボクなりの山行が出来終生の思い出です。  お世話になり有難うございました。淀屋橋の今後ますますの発展と、会員の皆さんの御健勝を祈っています。

またこのような接触の機会を作ってください。     ・・・・安全登山を!・・・・・・

老いたりと今も山を愛する気持ちは不変


会のミーティングにて

ーティングの2次会

塩谷 圭一

山の仲間はいいな-ということが実感できた集会でした。 皆さん、淀屋橋が“こころのよりどころ”になっているとのコメントが多かったですから。

会に参加してまだ三年位ですが、あまり山行にも行くことが出来ていないし、最近では月に1度のミ-ティングにもあまり顔を出していませんが、たまに行っても温かく接してもらえるのがすごくありがたい会です。  今後、山行にも可能な限り参加し、一〇年後の五〇周年の時には色々想い出を語り合えるようになりたいものです。

二宮 千富恵

人と人との繋がりは「いいもんだな-」と古い写真を見てしみじみ、久しぶりの方々とお話してしみじみ思いました。今日は楽しかったです。

木下 裕子(修宏・?太(そうた)凛斗(りんと))さん

昔の家族で参加している方々の写真を見て、五〜六年後はあんなふうになりたいナ-と思いました。

淀屋橋の人たちにも子どもの成長を見守ってもらえるくらい山行にいけるように家族で体力作りをしておきます。その時はよろしくお願い致します。

西村 順子

一人ではいけない山行で淀屋橋で色々と教えていただきました。 もっともっと皆さんと山行をすればよかったと後悔しています。  
でも、歩ける限り
山登りを続けていくつもりです。(最近少しあちこち故障を感じるようになりましたが)。

今回の参加者の名簿(特に今会員でない方)が欲しいと思いました。  よろしく。

ミーティングでの元代表 村瀬 清

西沢 道代

久しぶりに懐かしい皆さんにお会いできて嬉しかったです。

私がお世話になったのはほんの四年間ほどでしたが、あれほどのエネルギ?が何処から湧いてきたのかと思うほどの毎日でした。四〇年間、ずっと繋がりを持ち続けて、山に登り続けておられる皆さん、本当に凄いと思います。

七十歳記念登山!  ぜひ声を掛けてください。

山中 直子

久しぶりに皆の顔を見れてタイムスリップしました。いつかまた山にいける日まで、体力・気力・・落ちないよう頑張ります。

しばらく(あと数年は)仕事と家事に終われる日々です。

松井 芳行

久しぶりの顔・顔・・・。以和貴荘の一室がタイムスリップした感じです。  許されるならこういう機会が増えればいいな---

松崎 和春

今日は定年を迎えた皆様に、定年後のすごし方を教えていただきたいと参加しました。

皆さんのアドバイスは、働き続けることとアドバイスを頂きました。 少し休んでアドバイスにしたがって働こうと思います。 有難うございました。

酒井 万寿子

長い歴史を思い出します。楽しいことばかり。
若い日々。いまは亡き方々・・・・その笑い声。

いままでの十年よりこれからの十年は短いと思います。これからも、会費を払い続けよう・・・・と。事故の無い会でいてください。       
次回会ったとき忘れないね。

松井 美穂

懐かしい顔・顔・・・四〇周年を迎えるまでに会を支えてくださったたくさんの方々、有難うございました。青春時代十八歳〜二十一才まで楽しい山行をさせて頂きました。

また山に行きたいナ-と思う今日この頃です。

仕事でのストレスの発散の場所が淀屋橋でした。


2次会の和室
元橋 明司

もう酔ってます!

皆さん、もう人生が終わりみたいな顔をしないで!

これからが自分の人生です。 子育ても終わり、貴方の生き方が問われています。山に恋焦がれ、ロマンを持って生きていきましょう。  老化は心の問題です。体力もこころが支えです。そして、山に行くにはお金も必要です。 高齢者は団結していかなければダメです。一人一人では何も出来ません。

社会に目を向け、歴史の伝達者として伝えていきましょう。

ミーティングでの元代表 九角勝嘉

浜崎 武師

久しぶりにみんなの顔を見て懐かしくなりました。

自分が七十歳になったとき、山に登れるかな-と考えています。

古い友人と会うとその同じ時代を過ごした時代に戻りますね。  現在五十歳、あと二十年ガンバルゾ----

田中 いずみ

久しぶりに皆さんとお会いできて大変嬉しかったです。  そして、とても楽しかったです。

本当に名前だけの会員となってしまっているのに、覚えていてもらえて嬉しいです。 山には行かなくてもまだまだ退会できないかも・・・・・・

今井 駿一

懐かしい顔に会えて最高でした。 山に行き続けることも大切なことですが、元気でいることはもっと大切なことだと思いました。

五〇周年楽しみにしています。

加藤 隆

二十五年ぶりでしたが、つい1週間前に会ったような気持ちでした。皆さんにお会いして、じわじわと昔のお顔・名前が思い出され、懐かしくて懐かしくて二十五歳若返ったようでした。  これからの二十五年を妻と共に元気に、淀屋橋の仲間を心の支えに、山に抱かれていたいと強く思いました。

集会案内をしていただき、本当に感謝。

有難うございました。

増山 路子

家族では細々と山に行っています。 昨年から夫と沢登りにチャレンジしザイルの扱いを忘れている私はあきれられています。

早く淀屋橋の山行に復帰し、楽しい山、美味しいお酒を満喫したいです。

五〇周年・六十周年楽しみです。

畑井 由美子

HAPPY四十周年!  暫く山に行っていませんプロジェクタ-での画像・アルバムの写真、とても楽しく見せてもらいました。じきに、ハイキング登山に戻ってきますね。

集会の準備・運営にかかわった皆さん、楽しい時間をどうもありがとうございました。

平井 和雄

段取り・手違いがあったのはいつもの淀屋橋のこと。
まあ楽しい集会でした。欲を言えばもっと整然とした会進行をしたかったが、とりあえず盛会が良かった。

それにつけても私の人生のこの10数年間に、充実した、満足感ある楽しい時間を与えてくれたのは、本当に淀屋橋の山仲間の人たちでした。

新参者は旧来のメンバーの結びつきの強さに、なかなか入り込めないと言われていましたが、入り込み、受け入れられ、本当に感謝しています。

今後は「会の骨拾い」でなく、「再興」を図りたいが、難しいネ?

正楽 利夫

1年程前にミィ-ティングの場で「みんなの足腰の丈夫なうちに四〇周年(呑み会)やってみる?」と持ちかけての今回の集会。 本当にやってよかったですネ。 当日発行の資料(松井さん作成)によると

「一九六七年三月淀屋橋勤労者山岳会設立」とあるので正確には今回の催しは「三八周年?」・・・・・

五〇周年となると会場への送迎バスが必要かもしれませんネ。 次回は正真正銘の四〇周年・それとも四五周年集会くらいが妥当かも!。

その時はしっかり飲ませていただきます。


九角 勝嘉

ご出席の皆様愉しい一時有難うございました。また都合で来れ無かった方次の機会を楽しみにしましよう。

時間前にもう懐かしい面々続々集合、会場の都合で始まるのが遅れたがその間に話があちらこちらで盛り上がりもう始まっている感じ、よかった!

次は五〇周年か?息しているかな?四五年でと云う声も出てた様だが、いずれにしても皆様のご健勝(自分も含め)と十周年(五周年)を祈念。

 追記 現役、退会者も含め2〜3年に一回でも何かの記念山行等計画出来たらなあー

74年笠ヶ岳
真ん中が島津初代代表

45?,50?周年、と言わないで、また楽しい時を共有し合いましょう。