安らぎとは?

男は髭を剃ると「さっぱりした」と思い、
女は化粧を落とすと「スッキリした」と言う。
安らぎ,癒しが盛んだ。

音楽,絵画、その他種々の物に満ち溢れている。

現代社会がストレスの塊であるというのが原因らしい。
しかしその癒しの中に人間の情念を感じないのは、何故だろう?


高所登山時の登山家の事故体験時の意識については、私も薄々と感じては
いましたが、あくまでも文献的な考察で実際に体験したものではありませんでした。

しかし2002年のモンブランで実際に近似的な体験をしましたので、
「高所(テンションが高まった時期―例えば「戦時」も言いえるだろう)体験意識」について述べてみます。
『イタリア人の登山家R.メスナー(8000m峰14座の全てに無酸素登頂した超人的な登山家:)はその著作「死の地帯」のなかで、自らの体験と、さまざまな同じような体験をした人達の記録をまとめ上げ、極限状態にある人間の意識について語っている。
すなわち、極限状態の人間の意識は鈍化することなく、
返って透明になるという。

転落して死を意識した瞬間に、不安からの解放、走馬燈のように
浮かぶ過去の人生、自分が肉体の外にあるという感覚などを体験するという。

遭難者のほとんどに現れる精神状態の特徴として、
1.痛みを感じない。
2. 小さな危険の際に感じる驚きや萎縮がない。
3. 不安や絶望がない。
4. 思考活動が活発で、頭の回転の早さは通常の何倍もある。
5. 素早く行動し、かつ正しく考えている。それに自分の過去が蘇るという
体験が付け加わる。
(『死の地帯』43頁 山と渓谷)より  』
モンブランの夜明け
 2002年夏、ヨーロッパ遠征の最後のモンブラン登頂チャンスだった
7月4日には(遭難という危機的な状況に現実には至らなかったものの)、
同様の精神的な高揚状態を経験しました。


すなわち、まるであたかも自分の(本来なら見えるはずのない)未来を写す絵巻物を広げるが如くに、全ての成すべき課題とそれに対する対応策が眼前に展開する様でした。
これは精神的に極めて高揚した状況下でのみ経験されるものでしょうし、
仕事上であり趣味上のことであれ、切羽詰った危機的条件では
その人の知識,知恵の蓄積に応じて反映されるものであろうと思います。

モンブラン登山記ではこのように記載しました。
(細部の描写が欠けるのは帰国して間もない時期であり、登山の精神科学的な面を十分に分析していないので止むを得ない?と自己弁護しますが…)
  目が覚めると4時。天候悪く、誰も出発しようとしない。
外を見に行った隊長が「吹雪だ!」と諦めたように言う。
(中略)念のため6時頃様子を見に行くと、雲が晴れてきて今後の好天が確信された。
(中略)
隊長と2人で朝食もとらずに出発する。他のパーティは誰も出発しておらず、足首から脛のラッセルだ。
(中略)
いくつかのコブの先に頂上が見えた。遥かに遠い。
しかしここまで来れば行くのみ!とお互いに無言で確認し、更に頂上を目指す。
傾斜が強まり、風も強くなる。
(中略)ルートは鋭く急なナイフリッジになり、強風でバランスを崩さないよう慎重に進む。
風がますます強まり、慎重に通過したら頂上だった。
この時は天候の悪化という要因で、予定に反して3日間の異国の山小屋での生活を
余儀なくされ、かなり消耗していました。

あまつさえ降雪という天候の悪化で、最後の登頂チャンスも最終日の朝にあえなく
吹き飛ばされたかのような絶望的な状況が背景にありました。
(しかしこれに反して、高所での長引く生活のため高度障害は著しく改善していました。)
肉体面での改善が精神面でのサポートをするのは、よくあることです。
そして神は(?)、我々を見捨てなかったのでしょうか?
 一縷の望みをもってバルコニーから眺めた時に、氷河の彼方に認めた快晴の証は
私を狂喜させました!

私の気持ちは固まりました。

「今日、行くんだ!」
「今行かないで、何時行く?」

メッセージは明らかでした。本日しか、登頂チャンスは残されていなかった!
しかも、出発時間が6時を過ぎているので、山頂往復で残された時間は
わずか7時間しかない!(つまり、登頂に要する5時間と下降の2時間の7時間!)

我々は考えた。そして1つの単純な結論に達した。

12時迄、行動しよう!後は、彼女(同行のSさん)のための時間だ!」
これが私が隊長を口説く時の、殺し文句でした!

ドーム基部までは、一応偵察の際に経験したルートで問題は全くなかった。
ドームの登りは緩やかながら降雪後なので、トレース(踏み跡)がない。
昨日の試登の際に見たルートを思い浮かべて慎重に進む。
途中でセラックやヒドゥンクレバス(雪で覆われて隠されているクレバス)を越す際は、
足元が抜けないかと慎重にならざるを得ない。アイゼンを信じてかなりの急傾斜を登るが,
足元は急傾斜で氷河まで切れ落ちている。踏み跡らしき地形よりも、取り敢えずは
所要時間を短縮するための最短距離だ。

このセオリー(即ち、取り敢えず「目的のためには手段を選ばず」、「最優先事項は何か?」、「現時点では登頂優先」ある意味で一種の開き直りです!)が確認できてからの登りは、精神的に非常に楽になりました。
両側が3000m以上も切れ落ちたナイフリッジであろうとも、取り敢えずは頂きに
至るための回廊!静々と歩むのみです。強風が頬を叩こうとも,雪の砕片が
瞼を震わせようとも、ただひたすらに一歩一歩歩むのみです。


小コブを越してからの強風やナイフリッジは一向に気にならなくなりました。
転落,滑落の危険も一切頭にはなく、只今ある課題を成し遂げてゆく使命感のみに
充足された時間でした。
そして頂きに至りました。
 下りは登頂のための高揚感と裏腹に、現実の認識が押し寄せてきます。
安全に降りることが我々のパーティには必須です。
下りのナイフリッジでは足元を再点検し、下ってゆきます。
一歩一歩、慎重にならざるを得ません。
なんせ滑れば、(アンザイレンしている)隊長ともどもモンブラン氷河の氷詰めです。
究極の世界で、ある一定の精神構造に至ってしまうならば、精神的には何も障害とならないのではないか?そういう気がした、不思議な体験でした。

 その代り、登頂後のグーテ小屋への到着は13:00を過ぎてしまい、
標高差1500mを3時間で下降する(それも雪混じりの急峻な岩稜が殆ど!
私と隊長は納得ずくですが)過酷な下山を、彼女(Sさん)に強いてしまいました。
幸いにも彼女もそれに答えてくれました。
実際に確認したわけではありませんが、下降してきた我々の雰囲気から感じる、
何らかの高揚感を共有する心があったのではないかと推察されます。
モンブラン
エヴェレストの登頂を目指して3回目の遠征で、彼の最後のアタックでアーヴィンとともに消息を絶ったジョージ.マロリー。
1999年にマロリーの遺体を(そして彼らがエヴェレストの初登頂者であったかの証拠を)探す目的で遠征隊を組織した登山史家 ヨッヘン.ヘムレブは言う。

「登山の大きな魅力の1つは経験の密度の濃さだ。
数時間の登山のあいだに、よそでは1週簡かかっても経験できない程の
濃密な体験ができる。

山を登っていると、感覚が研ぎ澄まされるー聴覚も、呼吸も、嗅覚も、何もかもーそして生の実感がどこまで深くなりうるものか、ちらっとだがわかってくる。」


登山につきものの危険について、ヘムレブは哲学的だ。

「クライマーは死を賭けて山に登るわけではないと思う。死んでいないことの証のために登るのだと思う。」

「そして謎は残ったー伝説の登山家マロリー発見記」

ヨッヘン.ヘムレブ、ラリー.A.ジョンソン、エリック.R.サイモンソン共著  海津正彦、高津幸枝(訳)1999年12月10日/文芸春秋社 刊

現実にこの安楽な世界に生きている我々は、マスコミの作り出した浅薄な「癒し系」などという幻想を離れて,彼の言う「安らぎ」をもっと深く考えねばならないのではないだろうか?
勿論、登山は特別な例としても

スイスの著名な登山家ジャン・トロワイエ氏は、

「ヒマラヤに登り登頂したことで、友人と食事をする間もなく、講演だ仕事だと、
働かされていく者もいれば、登れなかったことを失敗とし、人生のどん底のような
心境におちいり、回りの者をまきこんで不幸になってしまう者もいる。
ヒマラヤに人生をとらわれる者になってはいけない。
ヒマラヤが不幸の選択になってはいけない。
ヒマラヤは日常とかけ離れることで、
日常生活の幸せについて再発見させてくれる所であり、
生きていくことの価値を確認させてくれる場である。
そして何よりも自分の喜びや幸せの為に登るのだから。」


と語っている。まさに深く考えねばならない言葉ではないだろうか?(おわり)マカルー

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