35年ぶりの「薬師岳」

(山スキーでの再訪!人生、何時でもチャンスがある!

この山には学生時代の、穂高から立山までの夏山縦走で登頂した思い出があります。登山路は石英斑岩や石英安山岩が露出しており、風化した乾いた山と言う印象でした。ザレ石が堆積し、先輩から「一歩登って二歩下がる(滑る)」と聞かされていましたが、本当にその通りでした。何処から登っても2日以上掛かる山なので、もう来ることも無いかと思っていましたが、今回35年ぶりに訪れることが出来ました。ましてやこのシーズンにです。そして新しいツール(山スキー)を持ち込んでの挑戦でした。幸いにも天候に恵まれ、無事目的を果たすことが出来ました。年がいっても可能性が収縮しないのは大いなる喜びです。その感動を貴方にもお教えしましょう。

35年目の薬師岳

話が些か迷走しましたが、此処で本題に入りたいと思います。以上のような宗教登山の範疇には、立山を開山した佐伯有頼4)が有名ですが、薬師岳もその例外ではなく、古くから信仰の山として崇められています。北アルプスのほぼ中央にそびえ、南北に長い尾根を持つ堂々たる山容で知られています。東面には四つの広大なカールが広がり、国の特別天然記念物に指定されています。山頂には薬師如来を祀る祠があったが、現在は行方不明との由。山頂からの展望は、360度妨げるものがなく何とも贅沢な時間が過ごせます。

三浦雄一郎さんが70歳にして世界最高峰のエベレスト(標高8848m。チベットではチョモランマ、ネパールではサガルマーター「大空の女神」の意味。)登頂に成功し、高齢者登頂記録を塗り替えたと言う。

素晴らしいものである。第5キャンプ(C5)は8500mの高所、所謂「死の地帯」に設置したが、天候不良の為そこで4日間の停滞を余儀なくされたらしい。以前にも述べましたように、7000mを越す高所での滞在は高度障害の危険が著しく高くなり、その場所に留まる限りいくら休養しても回復しないとされます。

あるラジオ番組で聞きましたが、昨年のチョーオユー(8201m、世界第6位)登頂成功後、三浦さんは最終目的であるエベレストのためにせっせと「体の再鍛錬」に励んだそうです。元々プロスキーヤーとして名声を博していた方なので、その体力、精神力は凡人が及ぶところではないと思いますが、それにしてもその努力には敬服するほかはありません。まさに高齢者の鏡とも言えましょう。

北ノ俣、薬師岳山スキー行記

参加者:L H.S、KH

5/1(木)21:00JR大阪駅出発-(名神、東海北陸道)−飛騨清見IC



5/2(金) 6:00飛越トンネル(登山口)7:10出発…9:35寺地山10:30…11:25避難小屋(2035m地点)
12:10…15:30テント場(幕営)

新緑が美しい。スキーをザックに着け、兼用靴を履いて壷足で出発する。
幾つものピークを上り下りし仙人坂を登ると寺地山への緩やかな登りで、北ノ俣岳や薬師岳の大きな山容が見られる。それにしても良い天気で、登高も楽しい。

避難小屋から北ノ俣岳西面の広大な斜面は、流石に傾斜を増す。疲れも出てきて苦しい登りになる。

本日の幕営は北ノ俣岳すぐ北の黒部側斜面に決定した。此処からは黒部源流を取り巻く山々、御岳、乗鞍、穂高や槍も見える、最高の展望台だ。


5/3(土)

6:00起床-8:00出発-8:30太郎平…9:00太郎平テント場…10:30薬師平小屋…11:30避難小屋(東南稜分岐)…12:00薬師岳山頂…12:30滑降開始…13:20太郎平…15:30テント場20:00就寝

5/4(日)

6:00起床8:00出発…9:30下降開始…10:20寺地山10:40…11:25神岡新道分岐点(1840m地点)…13:15登山口…14:30神岡(昼食)…15:30流葉温泉(入浴)…東海北陸道経由…23:00帰神

今日は下山日。避難小屋までは快適なクルージング。寺地山からトンネル上までは樹林帯で心配していたが、比較的快適に滑走可能であった。我々と前後して1人の登山者と2組の中高年夫婦が下山した。

登山者の「やはり(スキーは)早いな!」の感嘆の言葉は昔の自分の思いであったが、今は自分が獲得している喜びを感じた

おわりに

再び三浦さんに戻るが、高齢化社会に対するこの人ながらの提案が印象的だ。

「いくつになっても夢を持つこと。その実現に向かって努力すること。更に困難を承知の上であきらめない一歩から、どの分野でも世界の頂上に立てる」

まことに含蓄のある言葉です。座右の銘にしょうと思っています。

ほぼ直登気味に高度を稼ぐ。 ドーム状のピークを巻くと薬師平で、薬師岳山荘がひょこっと目に入ってきた。

此処からは避難小屋までの斜面が一直線にその高みへと伸びている。先行者が点々と目に入って、絵になる景色だ。

傾斜が緩やかになると避難小屋で、大勢のスキーヤーで賑わっていた。

その昔、「一歩登って2歩滑る」と言われたザラザラの斜面は、今は雪の下であった。頂上の祠は雪で充満していた。北方の展望も、南に負けず劣らずそれはまた素晴らしいものであった。

肝心の南斜面の下りは10分で終わり、ゆったりと満足感を得ながら帰路に着いた。