台高の秘峰(?)参り
2004年4月24〜25日     同行者:DA,MN
訪問先 馬ノ鞍峰1178m

登山口の御社と案内板
 吉野川の最上流は台高山脈にその源を発し、大迫ダムで遮られているが、3つの大きな支流がある。
北股川、本沢川そして三ノ公川である。前二者は川の名前としては何ら不自然ではないが、最後は不思議な名称で以前からその謂れを気に掛けていた。
今回A君の発案で、春恒例の山行(渓流釣りを兼ねた)に、N君も交えてこの地に出かけた。
 北山村のHpによると、その謂れは以下の如くである。
 
川上村の最南端のこの遺跡は、通 称「かくし平・八幡平」と呼んでいます。昭和53年川上村文化財第1号として認定された、後南朝の歴史を伝える文化財です。
その昔、南北朝合一後、約束が果たされず不信を抱いていた元南朝方の皇族の一人尊義王(小倉宮の皇子)は、南朝の復興を願って皇位 継承のしるし三種の神器の神璽(しんじ/まがたま)を奪い、川上村の「三之公」に隠れ住み朝廷を立てました。その後追手を嫌い、さらに奥の「かくし平」に移住しましたがそこで亡くなられます。
「八幡平」(三之公の在所の川向かい)は、最初に尊義王が京都から逃げて朝廷を立てた行宮跡、追手を気にしてさらに入った奥が「かくし平」です。かくし平「廟所(ぴょうしょ)」は尊義王の墓所、かくし平のもう一つの遺跡は、尊義王が奥へ逃げて朝廷を立てた「行宮跡」と言い伝えられ、明治の頃に稗が建てられました。
「尊義王・自天王・忠義王の3人の公家が住まいした地という意味で三之公と呼ぶ。」との伝承があり、こんなところにも後南朝のいぶきが感じられる川上奥の歴史ロマンです。
」とある。
 
 歴史的にも謂れがあったが、山自体も予想した通り、自然林の森の魅力に富んだ玄人好みの秀峰であった。

4月24日():林道終点東屋

14:00O君宅-16:30三ノ公川林道終点(一応、幕営、但し東屋の中で宴会

林道終点対岸の立派な東屋
 以前に山仲間が行ったので馬ノ鞍峰の名は知ってはいたが、実際のところ積極的に行きたい山のリストには入ってなかった。O君も先週に偵察釣りに近くの谷に入ったそうで、その際この山の情報を手に入れたらしい。

例によって終業後O君宅に移動。大淀町のオークワで買い物を済ませ、大迫ダムから入ノ波温泉を経て、三ノ公川の終点駐車場の対岸にある立派な東屋の中に地で幕営する。
手前にはこれまた立派なバイオトイレがあった。

N君は同窓会奈良支部の用事で遅れるというので、二人で宴会だ。
夕食は「ちゃんこ鍋」だ。本物といささか違う雰囲気であるが、まあいいか?細かい話をしても仕方がない。
O君との山行は昨年末の大普賢岳以来なので今夜は大いに楽しい話をして過ごすのだ。

蛇足ながら夕食前に竿を出したが、釣れたのはアブラハヤのみだった。
4月25日( 明神谷釣行ー馬ノ鞍峰登頂

5:00起床、朝食6:00出発7:00明神滝上、釣り開始9:00納竿11:25馬ノ鞍峰山頂(昼食)11:45下山開始-14:30登山口ー入ノ波温泉「五色湯で入浴後、帰路につく
三ノ公行宮址

稜線上の巨木る
 昨夜はN君が来たのも上の空で寝入ってしまった。
前夜が仕事だったので、かなり疲れていたのだろう。
勿論毎週末の山行も大いに影響があるだろうが、週末は気分転換して遊ばないと仕事が出来ない?!

 朝食はカップ麺で効率的に済ませる。
駐車場の車も5台に増えている。
釣りらしいグループが到着したので、先を急ぐ。
 
 立派な道に沿って川を遡るが、渓相は中々良さそうだ。
川上村が整備したと案内板に記されていた通りだ。
所々にヒノキの橋が掛かっている。
明神滝への分かれ道を過ぎ、大きなヒノキの木の所から川面に降りる。

此処から各々釣り出すが、最終的に釣果は私の20cmとA君の小さなもののみ。
余りの貧果に他の谷への転進も考慮したが、やはり「此処まで来て馬ノ鞍に登らない理は無いだろう」との筋論が大勢を占めた。

「よし!馬ノ鞍まで行くべし!」
と決定。
直ちに渓流釣りスタイルから登山装備に変更したのであった。(と言っても単に靴を履き替えたに過ぎない!)

かなり急な斜面に付けられた道をぐんぐんと遡ると、沢の合流点の比較的平らな地点に辿り着いた。
ここが行宮址や墓所であり、歴史に感慨を抱きながら見て歩く。
それにしても本人の意思で隠れた訳でないので、「かくし平」とはうまく名づけたものだ。
 宮址から稜線までは広い谷を登る。
木々も疎林となっており、開放的な雰囲気は最高だ。
直ぐ上に稜線が見え、滑りやすい急な坂でも頑張れる.。
稜線上は萱、ぶな、ひめしゃら、もみなどの巨木が茂っている。真にたおやかな自然林の姿であった。
今日は冬型の気候なので、稜線に出ると風が強い。しかし天気は良く、眺望も素晴らしい。
木々の間から大峰、大台、白髭、薊などの山が同定できる。

 稜線上は自然林に囲まれた楽しい登山路となる。テープは着いているが踏み跡程度であり、それなりのルートファインディングを必要とする。

 木々の新緑は萌生し、途中に咲くあかやしおの花の姿も大いに眼を楽しませてくれた。

例によって山頂で乾杯。本当に来て良かった山頂であった。何事も縁であると感じた次第であった。
 

あかやしお

頂上にて、O(左)、N(中)およびBergen(右)

尊義王の墓所
 北には白髪岳、薊岳、東北には池木屋山から迷岳の稜線、西には大峰、南には大台の屏風のような山並みが広がる。何故か今日も頑張った 山行でした。

 帰りはこれほど来たのかと思うほど長かった急な尾根道を慎重に降り、コルから宮行址の尾根に取り付いた。

かくし平、尊義王の墓所を見て回り、その昔の人の運命に思いをはせたのであった。
 今回も山中では2組3名(犬1匹は数に入れず)の人と出会っただけで、本当に静寂の山でした。しかし整備してある登山道で、しかも台高野ど真ん中に3時間ほどで入れる好条件の登山路です。人が行かないはずがありません。
我々は幸運な時期に行ったのでしょう。
 最後に天神滝を見に行きました。
40mほどの落差で、非常に綺麗な滝でした。

 天候も晴れ渡り、なんとも楽しい台高の山行きでした。


天神滝
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