隣の怨念
(君の隣にも(タバコを吸わない人が)おんねん
あんたのけむりを勝手に吸わさんといて!)

母校の同窓会誌に、「大学病院館内の全面禁煙、喫煙コーナー廃止」の方針が出たと記されていた。
これは画期的なことだと思う。

病院は喫煙の害と患者のアメニティ重視という相反する問題の妥協点を、分煙という姑息な手段で先送りしてきた。
すなわち喫煙コーナーの設置である。
しかしこのコーナーといっても万全ではなく、敏感な人には漏れ出てくる不快な臭いが看過出来ないレベルに達することもある。

このことが私に、昔書きながら何処へも投稿していなかった原稿の存在を思い出させた。
その原稿とは、新聞のコラムに載ったある記事が、私が常々思っていたことを良くぞ言ってくれたと賞賛するために、
過去の経験と照らし合わせて書いたものだ。
いささか長いがここに引用してみる。

新聞の記事の日付は9月3日であるが、何年かは不明である。

(神戸市立中央市民病院が全面禁煙になったのはおそらくここ4年くらいのものだから、
橋本竜太郎首相と言うことからも5年以上は前のものだと思う)


隣のけむり

神戸市立中央市民病院の医者 薗 潤さんは、たばこの気配を感じただけでも、ぜんそくの発作が起こりやすいニコチン過敏症である。
このため、分煙だけではなく、病院の全面禁煙を訴えている。

その薗さんがこう言う。

「橋本(竜太郎)首相はずるいよね。自分はフィルターをつけてニコチンを減らしておきながら、まわりにはスパスパと煙を流しているんだから」

 WHO(世界保健機関)が定めた世界禁煙デー(5月31日)前の閣議ではこんな事があった。

厚相と官房長官が「禁煙週間中の閣議では灰皿は無し。
禁煙に協力を」と訴えたところ、1日30本は吸う国土庁長官が反発、農相も逆に火をつけ姶め、首相もたばこをくゆらして、どこ吹く風だったという。 
ところが、米国では大統領が、たばこを「中毒性のある薬物」に指定して、未成年者への販売・広告規制策を発表。トップのセンスの差を見せつけた。
 非喫煙者が喫煙者のたばこの煙(副流煙)を吸い込まされる受動喫煙による健康被害は、肺がんによる死亡率のアップなど喫燻者の健康障害以上に深刻と見る人もいる。
セクハラならぬ「モクハラ」。

そこのあなた、わかってますか、けむりの行方?

[森山三雄](毎日新聞 「憂楽帳」より)

これに対して私の書いた原稿は、(今回冗長、重複部分を省き舌足らずの部分に加筆するなどなど、一部改変した)

「9月3日の毎日新聞夕刊の「隣のけむり」とのコラムを読んだ。
いみじくもこの記事が、昔京都にいた頃、ある病院医局での論争を思い出させた。

その頃私は地域医療で有名なある病院の外科に勤務していた。
そこの内科は創立初期の上層部を始めとして、地域医療に熱意を燃やして参加した医師達の集まりであった。 

病院での診療のみならず往診にも積極的に出かけ、予防医学の面でも啓蒙的な運動をしていた。
食事療法の指導、検診業務を行い、健康増進の面から「喫煙の害」を説いていた。
すなわち「全人的」な地域医療を考えていた。

 しかし職業的な立場と私生活の乖離はままあり得ることで、実際に彼らの喫煙率は驚くほど高かった。
狭い医局はいつも耐え難いタバコの悪臭と煙の跳梁する場となっていた。 
勿論我々外科の仲間にも重症のニコチン中毒者が1人いた。

私自身は妻の妊娠を期にして喫煙を止めてほぼ10年に達していた。
喫煙の欲求は全く無く、喫煙を止めたものが常々経験するといわれるように、むしろ「煙に嫌悪感」を感じていた。
喫煙マナーを守る人もいるが、殆どは無神経な喫煙者の行動、心理を極めて客観的に観察していた。
 

喫煙は、所詮「習慣性の薬物中毒」との認識が十分なされていないのが日本の現状であるが、あまりの煙害にこらえきれず、
ある日の医局会で医局内の禁煙を提案した時の過剰とも思える反応は、いまだに忘れられない。

内科のへビ−スモーカー達は予想外に余り反対しなかったが、(私が古株であったので、表向き激しい反対が出来なかったのかも知れないが)
なんと外科の同僚が驚くほどの拒否反応を示した。


彼はその様な「−方的な」提案がなされたことに感情的に反発し、医局内で自由に喫煙することの権利(人に自分の副流煙を吸わせても構わない)を
声高々に主張したのであった。
結局は外科部長のいわゆる「日本的な妥協案」で解決が図られた。

かくして喘息の持病を持つ医師もいるというのに、医局内の紫煙はいまも濃くたなびいている模様である。
普段は紳士的に対応する「地域医療の担い手」や「外科チームの仲間」でも、禁煙地域を提案されれば激しい反発を来す魔力がタバコにはあるのだろうか?
まさしく毎日新聞夕刊に記されていた内閣閣議の模様そのものである。


医師と国会議員では、その仕事も責任の範囲も勿論全く異なり、一概に同列に論じるのが適当で無いのは当然である。
しかしながら社会的には選良、エリートと位置づけられている人々が同様な反応をするということは非帯に興味あることだ。

彼らはまきしく、人から強制(矯正!!!−こちらの方が適切な表現であろうが)されることのない人種であるから、という気がしてならない。



皮肉にも、法人の前任の吹田の病院でも同様な経験をしました。
以前の経験から懲りて、ひたすら正面衝突は回避して、窓開け、換気、排煙に徹しました。

それでも病棟ロビーの喫煙に伴う廊下の煙だけは我慢が出来ず、理事長の素晴らしい判断の賜物で,
完全分離の喫煙コーナーを設置して頂き、煙たなびく廊下という悪環境は駆逐し得ました。

これに懲りたので現在の勤務先では、医局内は勿論のこと施設内も全て禁煙にして頂いて3年が経過しています。
喫煙場所は玄関の外です。寒風吹きすさぶ屋外でもそれなりの覚悟で喫煙して頂きたい!
(勿論、個室を利用してのートイレは問題外ですが-隠れスモーカーもいるらしいですが、生憎と私は目撃していません。

この状態が常勤の喫煙者の人権侵害であるとは、決して考えないで欲しいのです。
いくら喫煙が個人の趣味であると言っても、医療従事者が健康管理、疾病予防の面から
喫煙を容認するものであってはならないと思うのです。
厚生労働省が国民の健康維持、増進の観点から医療保険行政を行なっていないのと同じ観点では駄目でしょう.

高速道路のサービスエリアも近年は分煙が進んでいますが、掟破りは何処にでも居るものです。
トイレの、タバコの煙と排泄物の混ざった、えもいわれぬ悪臭は健在である。
自分さえ良ければ後はどうでもいいというイマジネーションの無さは見直して欲しいものです。
喫煙者は自分の排泄物(煙)にもっと自覚を持つべきではないでしょうか?
つい最近も毎日新聞の記者が通勤途中で前を歩く人の煙で朝一番に不快な思いをした,と書いていましたが、極めて同感です。

皆さんも喫煙と言う悪しき習慣について、社会的に考え直してみませんか?
(おおきなお世話だ!と言う声が聞こえてきそうですが)           

 (おわり)