山スキーツアー | |
2004年5月14〜5月16日 | 同行者:MO,TS |
ツアーコース 立山周辺、御山谷上部&浄土山 | |
立山駅出発の朝 |
北アルプス、殊に立山周辺でのスキーツアールートの経験を目指していた山スキー同好会であったが、先週の山崎カール&雷鳥沢滑降に引き続いて、念願の御山谷滑降に出かけてみた。 一ノ越小屋での情報では、下部は雪渓が崩壊して徒渉不可能の由。途中までであったが、快適な滑降が楽しめた。16日は生憎の天候で帰路を楽しむだけになった。 この時期、黒部湖までの滑降の成功は、降雨による雪渓のクレバスとスノーブリッジの崩壊如何によるのだろうが、本年は残雪が少ないので、出来ればもう少し早い時期がよいのだろう。 |
5月14日(金曜):出発 21:00TS宅ー-吹田IC- 名神北陸道- |
北陸道は空いている。 休憩時間を最小にして、立山駅の駐車場で泊まる。 例によって小宴会だが、ビール以外に清酒も1本(500ml)空いてしまった。 |
5月15日(土曜) 6:40立山駅-8:40室堂9:00−10:00一ノ越10:15-(御山谷滑降:700m)ー11:00上り返し13:00一ノ越13:20-14:00浄土山頂-15:00室堂ー下山 |
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室堂の朝,、Oさん(左)、筆者(右) 一ノ越に向かうSさん 一ノ越から室堂、背景は大日岳 |
朝早くから出発準備だ。幸いにも早い時間にケーブルに乗れた。美女平でバスに乗り換えたが、室堂着は予想以外の早い時間になった。 まずは装備を整えて、一ノ越までシールで進む。 小一時間の登りだ。ここからの眺めは素晴らしいの一言に尽きる。 Sさんが小屋の管理人に聞くと、御山谷は末端で雪渓が崩れていると言う。黒部湖までの快適な滑降は望むべくもないようだ。 一瞬迷ったが、5月の連休で薬師沢右、左又合流部以下はスノーブリッジが無かった。 標高からすれば、御山谷出合はもっと下流である。黒部湖まで渡渉なしでは済まされないだろうし、この頃の雨による増水も考えないといけない。 これでは黒部湖まで滑降出来ないだろう。 東一ノ越の夏道も露出しており、タンボ平への滑走も困難なようだ。 やむなし! 今日は途中まで下って、後は登り返しだ。それにしても風が強い。 一ノ越から槍ヶ岳、東沢の奥の山々 |
最初は快適な斜面を豪快に滑り降りる。 正面に黒部川の支流の東沢源頭の山々が見える。例年に比べて雪が少ないのは明らかだ。 少し下ると無風状態だ。登り返す人もぱらぱら見える。 右から龍王、鬼、獅子ケ岳間のコルよりの雪渓が急角度で合流する。 谷は広く、空も大きく広がり快適だ。 天候のよいのも救われる。 もう少し、もう少しと言いながら、とうとう2000m地点まで滑り降りてしまった。 右から小谷が合流するが、雪解け水が滝になっている。 ここまで滑ると、雪渓上には縦に皺状の溝が入り滑りにくい。 あと100mほど降りると、谷が大きく左に曲がる地点になる。そこからが谷が狭くなり、核心部のようだ。 冒険したい気も有るが、ここは最初の冷静な判断に従うべきであろう。 一ノ越山荘に登り返す シールを着けて登り返す。 見上げると、東一ノ越に向かうパーティーが見える。急傾斜の雪渓のトラバースに苦労しているようだ。 予定より早く一ノ越に到着。 休憩の後、龍王岳までスキーを担いで登り、浄土山のコルより滑走。室堂まで長いトラバースだ。 浄土山より雄山 室堂にて熟考するが、明日は雨必至なので、今日中に下山と決定。 |
稜先に雪は少ない、龍王岳に向かう登山者 一ノ越山荘より鬼岳 御山谷より後立の山々 浄土山の東斜面を滑る |
混雑する室堂平 |
今日は室堂ターミナル周囲の広場もターミナルも異様に混雑している。場所を見つけてパッキングし直す。ついでにビールを頂く。 今夜の宿は常願寺川沿いの公園の東屋だ。雨をしのぐには 好都合だ。 |
5月16日(日曜) 5:00起床、朝食-6:00発ー金沢経由帰阪23:30 |
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龍王岳より浄土山への下り、風が激しく吹く 一ノ越で(筆者) |
朝起きると常願寺川は濁流。 今日の行動は終わりです。帰路に着きますが、昼食場所で 異論あり。 定番の氷見でなく新規開拓を図りましたが、金沢は近江町市場は休み。仕方なく松任まで移動。 ここの北陸道ハイウエイオアシスがお勧めです。 赤イカ、ノドグロ、はまぐり、えびなど海の幸を買い込んで、 ビールで乾杯してご苦労をねぎらいます。短かったが充実したスキーツアーでした。 |
富山の路面電車 |
(あとがき) 立山の山スキーは、最大の目的の御山谷の滑降は1/3しか出来ずじまいでした。でも今シーズン最後のツアーだと思うと、大変満足しました 富山の路面電車も高岡に勝るとも劣らず、新型車両にも会えて嬉しかったですね.。 6月初めの富士山も良いようですが? えっ、最終のツアーと言ったのは誰だったでしょうか? |
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