ネパール登山&トレッキングの心得
-殊に自己の体験による、医療面から-
10月の初めから3週間、ネパールで高所登山医学の実践をしてきました。山行期間中、体調が必ずしも良くなかったので、色々と貴重な体験をしました。 今後この国に行かれる際の注意点を主に医療面-携行すべき薬剤-の面から、少しばかり解説してみます。何分にも個人の体験に基づく報告なので独断偏見も多いと思います。詳しくは旅行記、観光案内などの成書を参考になさって下さい。
10月にネパールヒマラヤのメラピーク(6461m)で高所登山の実践をして来ました。当初、今年の海外登山の対象として年明け早々にチョー・オユー(8201m)遠征のお話がありました。昨年、片山右京や三浦雄一郎の登頂で沸いた、比較的登り易い8000m峰の話でした。
チャトラール峠よりのチョーオユ
しかし、2ヶ月の遠征期間と中途半端でない費用の問題が決断を鈍らせました。しかも私自身、何分にも5000や6000m峰にも登っていない高所登山初心者の身でした(なんせ最高高度はモンブランの4807m!しかもその高度での宿泊経験はなし。)。やはり、いきなりの8000mは些か荷が重く感じられました。登頂迄行き着かず、恐らく前進キャンプの途中で敗退するに違いない、との思いがありました。結局はその遠征はお断りし、今回は6000m峰への挑戦で次回の運勢を占ったのでした。近年の海外登山では、一昨年のパキスタン、中国新疆ウイグル地区のトレッキング、昨年のモンブラン登山に引き続く第3弾です。(ああ〜本当に癖になりました!!次は何処にしましょうか?)
今回の 山行では私自身の体調不全の中、種々のトラブルに見舞われました。詳しい登頂記はまた次の機会にご報告することにして、今回は主に医療、保健面からの注意も書いてみます。今後の皆さんの参考になれば幸いです。

サンセットビューホテルの中エントランス
誤解を恐れずに言えば、ネパールは世界の最貧国のナンバーワン(?)[1]です。
自国が誇るべき産業は全く有りません。
国民の9割が農業に従事する、分類上はいわゆる農業国です。元々が5つの主要民族の群雄割拠を平定して1つの国として成立した経緯から、今でも国家としての基盤は強くありません。

でも人々は皆、友好的で人なっつこく、その雄大な自然とも相まって、癖になりそうな、なかなかの要注意国(!?)です。観光が主な産業といっても、それで受益する国民は限られています。また観光による外貨収入もイタリヤやフランスなどの観光立国に比べると極めて低率です。ですから観光収入が国家財政を、個人収入を潤す状態ではないのです。町を歩けば物乞いの子供達が手を差し出し、土産物店(ことに露店)では強かな青年達が吹っかけた値段で交渉に応じます。[2]

カトマンズでは「サンセットビューホテル」に泊まりました。奥さんは日本人で、20年以上もネパールに御住まいとのことでした。ホテルでは日本語が通じ、レストランでは日本料理もあり、手打ちソバが有名でした。此処から土産物屋など外国人ツーリスト向けの店やゲストハウスが並ぶ中心部の「タメル地区」までは、タクシーで15分位の距離でした。ネパールのタクシーは値段さえ折り合えば、強盗や暴力的なことは心配ありません。メーターの無い車では乗車前の料金交渉が必要で、「How much?」と聞くと金額を言ってきます。[3]普通のタクシーの他、オートリキシャ(三輪のバタバタ)もありますが、スピードは遅く、急な坂道では立ち往生し、乗客が降りて後ろから押すなど、のどかな(?)風景も見られました。

オートリキシャ

乗合バスは満員の人を乗せて走っていますが、行き先も不明など現実問題として使えないものです。何れの車も、日本で綺麗な車を見慣れていると、ポンコツ  どころか、廃車寸前のものが大手を振って走り回っています。このため車の排気ガスは首都の大気汚染の大きな原因になっています。殆ど生ガスに近い状態の車もあり、街中では布切れで鼻、口を覆っている人も多く見かけられました。実際に、私など酷い咳発作に見舞われました。これが後々まで尾を引くことになりました。
ネパールは多民族国家で大部分がヒンズー教で、国教にもなっていますが、山に入るとほとんどがラマ教(チベット仏教)です。今回行ったクンブ地方(エベレスト街道などの地域)にはシェルパ族が多いそうでした。今回の登山のスタッフにも、シェルパ族のサーダーとしてラクパ.シェルパ氏が、チョーオユー登山に引き続き参加してくれました。[4] この国はこれまで比較的治安の良い国とされていましたが、2001年6月に王宮内での国王・王妃ら王族の死亡事件を受け治安状態が悪化し、これを機にネパール最大の反政府組織である「マオイスト」[5]が一部地域において政府機関への襲撃及び活動資金調達のための現金強奪事件を多発させています。我々も宿泊地で朝方に献金(?!)を強要されました。「日本人は犯罪者から絶えず狙われている」のを忘れないのが必要ですが、こういった一見紳士的な寄付強要に対処しようが無いのが現実です。他の外国隊も軒並み1人当り1000ルピー(約1600円)ほど巻き上げられていました。(後日、紀行記で詳述します。)
ネパールの気候は、一日の寒暖の差が大きいのが特徴です。トレッキング中も、日中は太陽が出ていると暑いくらいですが、陽が暮れると急激に寒くなりフリース、セーターが必要でした。基本着の半袖Tシャツ、スラックスに、寒さに応じて長袖ウールシャツ、フリース、雨具、ヤッケ、羽毛服を重ね着してこまめに調整しました。トレッキング、登山中のほぼ2週間の着たきりの生活は、慣れない人には苦痛そのものでしょう。私は、乾燥した気候なので風呂やシャワーは無くても気になりませんでしたが、持病のアレルギー性鼻炎の増悪で苦労をしました。プリビナ点鼻薬®を使用しましたが、とうとう最後まで悩まされ続けました。鼻閉に伴い呼吸器症状(咳、痰)も付き纏いますが、高度の影響もあってなかなか治りませんでした。主にPL顆粒®で対処しましたが、持参する量も少なかったので、数回しか服用しませんでした。それでも次第に体はネパールライフに慣れて行きました。咳と痰にはメプチン®やノレプタン®を内服しましたが、帰国まですっきりしませんでした。無論シェルパや隊長も咳をしていましたが、これは喫煙の副作用そのものでした。彼らにはまず禁煙する必要があります。
アニー(右)とメリッサ(左)

生水は決して飲まないように言われていました。(信じられない上流に人家があったり、家畜を放牧したりして汚染されており、感染の危険があるそうで、実際に目のあたりにしました!)
トレッキングの途中で知り合った2人組の米国娘は、何度もネパールに来ている由で旅慣れた様子でした。3本のボトル(各1L?)をザックに付け、頻繁に水分補給をしていました。
 
BCのカーレで
私が峠越えで少し頭が痛いと申しましたら、高山病の予防は「drink water! drink water!」と忠告くれましたが、後で確認するとミネラルウオーターではなくその辺の水を入れていた由。それでも体調を崩さぬ由。日本人が真似すると酷い目に遭いそうです。水分補給には要所要所に「バッティ」と呼ばれる茶店があって、「チャイ」(茶)が飲めます。また、夜のうちにコックにお湯を水筒にもらっておくこともできます。水分を多量に採ることは、高度順応にも有効ですから、熱いチャイなどの飲用が有効です。
トレッキング中の食事では、緩い便になり何度もトイレまで足を運ばないといけないことが普通です。この対策には整腸剤や、胃酸更には(我々は使用しませんでしたが)止痢剤も必要でしょう。私はグロリアミン®とユニセラーゼ®そしてH2ブロッカーとしてザンタック®を持って行きましたが、幸いにも必要なのは殆ど最初だけで、5日もするとネパールのトレッキング生活に体が慣れて来ました。人によっては経験する酷い下痢も無く、ロペラニール®やホスミシン®のお世話にはならずに済みました。

一番問題になったのが高度障害でした。

以前に述べましたように、体が高度に十分に順応して行けるよう「ビスターリ(ゆっくり歩くこと)」が一番です。

しかし最初のザトワール峠越え(4600m)は日本で見慣れた穂高岳と紛うほどの風景で、つい高度を忘れて(少なくとも1500mは標高が高い) かなりペースを上げて登ってしまったようでした。峠ではなんともなかったところが、15:00のティータイム頃より(峠から下った)泊地のトリカルカ(4100m)で強い頭痛に見回れました。まるで(孫悟空のように)鉄の輪が側頭部を締め付けるかのような、きつい頭痛でした。しかし食欲はなんとか維持出来ていました。高地ゆえ乾燥していて呼気から大量の水分が放出されるので、脱水も絡んでるのに違いありません。水分を十分採り、初めてダイアモックス®を内服しました。これが効いたのか?翌朝はすっきりとした目覚めで、頭痛は消失しました。しかし不安が、今後も内服を維持するように言います。結局登頂まで1日2〜3錠の内服を続けました。

最後のハイキャンプ(5800m)でも最初、同様の頭痛に見回れましたが、翌朝のアタック時には消失し何とか登頂できました。それにしても4000m,5000mを越す高度(酸素が1/2の世界)では、少し急いで行動すると忽ち酷い呼吸速迫に見舞われます。丁度息詰めして潜水して、水面に浮かび上がった際に経験する呼吸「ぱく、ぱく」そのものです。シュラフ(寝袋)に入る為に、体をくねりますと、暫くは「ぱく、ぱく」です。


その他紫外線がきついので、日焼け止めやサングラスは必携です。しかし日焼け止めやバンダナのマスクなどで、酷い日焼けも経験せずに済みました。念のためステロイド軟膏を持参しましたが、使わず仕舞でした。

 ポカラ市街よりマチャプチャレ、アンナプルナ
謝辞:この文を書くに当り今回の遠征隊長であった林 孝治氏の「ネパールアドバイス」を参考にさせて頂きました。(おわり)

脚注

[1]1人当たりGDP240ドル(200102年、政府経済調査)は日本の約1/200である。国連開発計画(UNDP)の「人間開発指数」HDIでみてもネパールは0.378で世界第152位の低位にある。

[2]日本円に換算して「安い!」と安易に買わないで下さい。日本の基準は参考になりません。無闇に物価を吊り上げると、後の遠征隊や住民に悪影響を与えます。結果的に彼らの生活水準を吊り上げていることになります。

[3] カトマンズ市内では端から端まで200〜300ルピー(300〜600円位)出せば行けます。吹っかけてくる車は無視しても、すぐに横からディスカウントする車が出てきます。あくまでも買い手市場のタクシー事情です。

[4] 今回の遠征のスタッフは、3人の隊員に対してサーダー(シェルパの筆頭で、隊のスタッフを統括する)1、コック 1、キッチンボーイ 2、ポーター 1014人であった。

[5] 毛沢東主義を標榜する反政府組織。実質は日本の広域暴力団や米国のマフィヤに近いものといわれている?

戻る