ネパール、メラピークの旅-その7
2003年10月5〜26日      同行者:TH,NM
記録

前回で、メラピーク山頂に漸く辿り着きました。ホッとしたと言うのが本当のところです。最終目標を達したからには、精神的にも肉体的にも帰路は楽です。余裕を持って物事が眺められます。マオイストにも遭わずでしたが、その他にはトラブルは無かったのでしょうか?それでは検証してみましょう。

山頂にて、Mさんと、バックはエベレスト
2003/10/21(火) DAY 17
6:30起床7:00朝食8:00出発9:30チェトラ(2)10:20チェトラ峠(1)-11:15バッティ(昼食)13:00チュタンガ15:20LUK〜17:00仮眠18:30夕食20:20就寝

BC撤収の朝
H隊長

チャトラ峠

アメリカのNPO、3人娘

昨夜は頭痛も無く快適に眠れたが、如何せん、鼻の調子が今一ツだ。それでもBCからは、怪傑ゾロまがいのバンダナの覆面で鼻と口を覆ったので、バンダナの湿気が適当な湿度の吸気を提供してくれた。このためかなり楽にはなっていたのだった。寛解状態も間近だろうと自分を慰めるのでした。(実際は帰国してからも暫くは悩まされました)

チェトラ峠では天候に恵まれ、9月に隊長が登ってきたチョ・オユー(8201m)が真近に眺められます。峠に張り巡らされたタルチョも心なしか嬉しそうです。心が軽やかですと、どうも色んな物が輝いて見えるようです。テーブルボーイもおどけています。彼は読売巨人軍の清原によく似ていましたが、ひょうきんでよく働くポータでした。もっともペースが遅いのか(あの重たいテーブルやダッフルバッグを担ぐので仕方ないのかもしれませんが)、いつも泊地に遅れて到着する常習犯でした。

それでも性格的に明るいので、皆の人気者でした。
峠からは急な下りですが、各自思い思いに下ります。はるか下にバッティが見えます。登りのパーティーも多く見えています。「行けたか(メラピークに登頂出来たか)?」と聞いてきます。思わず笑顔が出て、「Oh!yes!」と答えます。

途中のバッティでも多くの登山者が休憩しています。それにしても気分は最高です。下りだからと安心せずにしっかりと水分補給を行ないます。これは高所の原則です。今まではミルクティーを主に飲んでいましたが、下りには少し酸味のあるホットレモンがふさわしいようです。
皆さんこれのファンになりました。チュタンガではゾッキョが水を飲んでいました。近くの牧場のものらしいですが、近くによるとその目玉は大きく突出しており、流石「牛眼!」と、妙に感心しました。

チュタンガからは幾度か川を横切り、送電線が見えると、いよいよルクラに入ります。ロッジの鮮やかな色が眼に鮮やかです。あの軍隊の警戒陣地すらも懐かしく思えます。もうこれからは空気の薄さに煩わされる心配はなくなりました。今夜は登頂祝いの宴会です。バースデーケーキも出てきて、私の1日早い誕生祝もして頂きました。

その際偶然に、隣のテーブルで飲んでいた3人の若いアメリカ人女性も交えての対話になりました。カラ・パタール(エベレストが眼前に眺められる標高5500mの丘)やゴーキョ・ピーク(5483m)などに行った由。我々と同様の登山者と思っていたら、環境問題のNPOでネパールに長期滞在中でした。
その期間も1年間で、今回のトレッキングは休暇だったと言います。


「君たちがカンパニー(CIAのこと)の者でなかったら、写真を撮ってもいいかい?」と笑わせて撮った写真です。それにしても30歳前後の若い女性達が、NPOでの研究の為に国を離れて海外で活躍する現実。ここでもアメリカという国の底力を再認識させられました。

2003/10/22(水) DAY 18
6:00起床7:00朝食16:30 LUK出発17:20 KTM着-sunset view hotel 18:30夕食20:20就寝

今日は朝一番の飛行機でカトマンズ(KTM)に戻り、そのままKTM空港で飛行機を乗り継ぎポカラまで移動する予定(!)となりました。飛行機、乗り継ぎ便の変更、それにポカラのホテルの予約も万全の筈でした。

ポカラはアンナプルナやダウラギリそしてマナスルなどの高峰が一望の元に見渡せる、ネパール第2の都市で、標高も低く温暖で、観光地としても有名な町です。その予定を聞いて胸がわくわくしましたが、その思いはルクラ空港に着いて(と言ってもホテルから100mほど歩いて下るだけで空港ビル?!に簡単に入ってしまうのです)、無残にも打ち砕かれました。

「何故?」ですって?日本では当初、23日の帰りのカトマンズ便を予約していました。ルクラで便の変更が出来たと思っていたところ、現実には今日の予約客がはけた後にしか搭乗出来ないとのことでした。

空港で朝早くから列に並び、今か今かと待っていました。しかし後からきた旅行者(登山客)に横から次々と追い抜かれ、気が付くと残されたのは我々のみ!という悲しさ。悲しさを通り越して、笑えて来ました。

空港ビルとは名ばかり。あるのはトイレのみ。売店も食堂も何も無しです。仕方ないので空港ビルの前のロッジでビールを飲み、昼食を食べます。時間つぶしにいいかげん飽きた頃、漸く機上の人になれました。当然ながらポカラ移動はキャンセル。今夜は懐かしいサンセット・ビューホテルでの泊まりです。

夕食を町に出て摂ろうと思ったら、行きつけの店は満員!今日は一日中ついていない日だったようです。


空港にて

日本人グループがチャーターしたヘリ
2003/10/23(木) DAY 19 誕生日
5:00起床6:00朝食7:00出発7:20KTM空港8:30空港バス、搭乗9:30ポカラ(POK)着-モナリザホテル-昼食(Fewa Park restrant)〜船で帰る-18:30夕食20:00就寝

ポカラの町

レストランの庭

老人と舟

今日は漸くポカラ(POK)に飛べました。飛行機で1時間ほどの行程ですが、ここでも隊長の指示が出ます。「右(北)側に座席を取るように」です。なるほど、飛行途中は次々とヒマール(雪を頂いた高峰)が見えます。ランタンリルン、マナスル、アンナプルナそしてダウラギリなどです。飛行高度が低いので、畑や家々も眼下にしっかり見えます。

 POKはカトマンズ(KTM)程大きく無くこじんまりとまとまった町です。国王の冬の離宮があるのですが、この町を有名にしているのは何と言ってもこの町の象徴であるマチャプチャレ(6993m)です。そしてその奥に聳えている、アンナプルナの峰々の眺望です。

残念ながらダウラギリ(「白い山」の意味、標高8167m)は遠いので、オムスビ形の白い山にしか見えません。
 隊長はこの山のサミッター(登頂者)なので、比較される山容の貧弱さに慨嘆しておりました。

此処での宿は、隊長の定宿のモナリザホテルです。
KTMの定宿の主の、お姉さんの経営している宿です。

今日こそゆっくりと時間を過ごせます。
こんな雰囲気の中でせかせかしても始りません。

ホテルの屋上でゆっくりとスケッチし、飽きるまで山を見つめます。
「ああ快適じゃ!」と思わず声に出そうでした。

昼食には少し足を伸ばし、湖(人工湖)の脇のレストランで食べます。例によってビールで乾杯です。

一旦落ちた体重も次第に戻りつつあります。
些か頬もこけていたのでもりもり食べます。
高度による影響は、回復するのも時間が掛かります。ほろ酔い加減の我々が帰路の手段に取ったのは、ご老人の手漕ぎ舟でした。
しなやかに湖面を滑ります。白い山々が水面に写り、まことに浮世離れした体験でした

2003/10/24(金) DAY 20
4:00起床5:00サランコットへ(タクシー)アンナプルナの朝日を見に行く8:00朝食9:00出発11:00ゴルカ航空(到着遅れ)搭乗11:40KTM(H,I氏到着)昼食〜18:30夕食(ケーキで誕生日を祝う)20:20就寝
今朝は早起きです♪「何をウキウキしてるのですか?」って?そうです!そうなんです。朝早起きしたのは、あの雄大なアンナプルナ、マナスル、ダウラギリ山群の朝焼けをサランコットの丘から見る為なんです。暗いうちから朝食摂らずにタクシーに飛び乗ります。運転手は暗い夜道を(街灯は殆どないが、勝手知ったる道なのでしょう)猛スピードで駆け抜けます。町は深い眠りに就いています。所々ネオンや窓の明かりがありますが、何処を走っているのか?全く不明です。 やがて山道にさしかかり、車はスピードもダウンします。何せボロ車に5人も乗っていますから、仕方がありません。程なく車道が終了し、大勢のタクシーやバスが停車しています。此処からは歩きです。遥か山の上に明かりが燈っています。沿道には家や露店が並んでいます。小一時間程で山頂に達しました。小さな展望台があります。空は次第に明るくなり、山々も見えてきました。とてもじゃないがモルゲンロート(山々の朝焼け)の雰囲気ではないと思っていましたら、それが見えてくるんですね!最初はマナスル、次第にマチャプチャレからアンナプルナ、最後にダウラギリと、朝焼けの神々しいばかりのパノラマが広がりました!まことに神々の座に相応しい光景で、大いに感激したのでした。
夜明け

アンナプルナの夜明け

アンナプルナ

サランコット
2003/10/25(土) DAY 21 
7:30起床8:00朝食9:00出発-パタン観光24:00カトマンズ発(RA-411)

パンクしたタクシー

パタンの人波
昨日はPOKからKTMに戻り、昼過ぎに到着したIさんと隊長の奥さんと久方ぶりにお会いしました。夜にはお二人も交え、再度お誕生会をして頂きました。段々と帰りの日が迫ってきます。今日は全員でKTM盆地の南にある古都、パタン地区を訪ねます。パタンについてはその@でもお話しましたが、旧王宮と同様の古い建築物が沢山あります。当日はお祭りの日だったので、道路には花びらが撒かれたり、ペイントなどが施されていました。また寺院の仏像などにも色素がぶち撒かれたりしており、お国柄かと妙に感心しました。道路は以前にも述べましたようにゴミだらけで、穴ぼこもあり注意して歩かないといけません。軒を並べる店先には怪しげな(?)客引きが立ち、又物乞いも多いので無視して歩かないといけません。妙に同情心で施しすると、大勢に囲まれてしまいます。露店の品物は偽物も多く、値段の安さに惹かれて衝動買いしてはイケマセン。

何れにせよ、なかなか興味のある町並みです。
木造建築、ことにその彫刻は繊細で、まことにも見事です。ターメル地区同様に、猥雑な雰囲気が溢れ返っているのも、ネパールならではのようです。
パタン
2003/10/26(日) DAY 22 
11:20関空到着
昨日はパタンの町を巡り、その後にターメルに引き返してみやげ物を買いました。最後のネパールの夕食を済ませ、いよいよ出発の時間が来ました。出発時間が24:00ですので深夜に空港までタクシーで送って頂きますが、出発ロビーからはMさんと2人きりです。出国手続きで大概待たされ、いい加減うんざりした頃に機上の人となりました。いろいろな思い出を抱えて、初めてのネパールの旅が終りました。 ターメルの町角で
あとがき
長らくお読み頂き、どうも有難う御座いました。

当初収容不能と判断されたSさんの遺体はその後他の登山隊の協力で収容され、現地で荼毘に付されました。そして昨年11月末に「偲ぶ会」が日本で開かれ、偉大なクライマーの死を悼みました。

一歩まかり間違えば死と隣り合わせのスポーツであると認識させられた事故でしたが、登山は我々に大いなる喜びも与えてくれています。彼のベクトルを多少なりとも引き続いて継承していくのが我々の努めだと思っています。

 以前にも引用しましたが、スイスの著名な登山家ジャン・トロワイエ氏の名言です。
「ヒマラヤは日常とかけ離れることで、日常生活の幸せについて再発見させてくれる所であり、生きていくことの価値を確認させてくれる場である。そして何よりも自分の喜びや幸せの為に登るのだから。」

ヒマラヤも日本の山も同じです。今後も心して登り続けたいと思います。
(おわり
)


ホテル玄関の照明

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