熊野古道ハイキング | |
2005年2月5日 同行者:SY,NY,KH,FH | |
訪問先 滝尻〜高原熊野神社〜栗栖川 | |
![]() 熊野古道のHpから引用 |
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滝尻王子解説板 |
今日のハイキングは熊野古道の中辺路道の入門コースだ。 このコースは色々と見所が多いが、難所は最初の急坂のみであとは楽な山道と言う。 路線バスを利用すると出発点に戻りやすいので、車で来ても便利である。 翌日の口熊野マラソンの前哨戦と、熊野古道の入門編に好適な味わい深いコースでした。 |
2月5日: 7:30西宮集合-阪神高速湾岸線ー阪和道ー海南湯浅道-紀伊田辺-11:00滝尻出発(登山口)…13:00高原熊野神社…14:00栗栖川…15:00滝尻-15:30白浜駅(解散) |
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滝尻王子にて 山中で休憩、水分補給、Fさん(左)とNさん(右) |
西宮で定刻に集合。高速は空いており、S先生の飛ばしも効いて予定より早めに現着。 早速、熊野古道館に入って腹ごしらえをする。 ついでにいにしえの熊野詣の展示品などを見せて頂く。立派なパンフレットや小冊子も頂いた。 古道の最初は植林の中の急な登りだが、乳岩や胎内くぐりなどの謂れが興味深い。登るに連れて、木々の間から眼下にどんどんと眺望が拡がる。対岸の山肌には、多くの民家がへばりついている。途中不寝王子跡もあったが、何処からか移設してきた由。兎に角、見所には欠かない。 漸く傾斜が緩くなると、そこは剣ノ山経塚跡と記されている。此処で休憩を取り、行動食を頂く。 「今日は空いてるな。我々の他に誰も来ないのか?」 さらに歌声ポイントに出会う。此処は稜線上なのに、なぜか音が木霊し合うという不思議なポイントだ.。 此処からは緩やかな下りなので、皆さん気分的にも楽である。行く先を見ると幾つものピークが重なっており、高原の集落が遥か遠くに見渡せる.。行く先が見えるのは精神的にも楽である。 なんせ、 「山登りでは、晴れは最高の調味料である。」 所以である. |
暫く行くと展望台コースと、巻き道コースに分かれる。前者は尾根筋を忠実に辿るコースで、急傾斜には木の階段が作りつけられてある。流石、紀の国(木の国)和歌山である。 「当然、展望台ですね。煙と○○は高いところに登りたがる」 我々は勿論迷うことなく、展望台コースを取る。 北の山々の眺めが圧倒的に素晴らしかったからであった。 遠くに高野竜神スカイラインの紛う事なき山腹の破壊の跡を見つけたが、その他の山は私の同定眼から外れていた。有名な護摩ノ壇山や、伯母峰岳はその姿もわからない。ここはかなりの山奥なのだが、紀伊山地はそれ以上の広がりを持っているのだろう。つくづくそう感じた次第であった。 開花時期なら素晴らしいであろう、桜並木の切り開きを通る。ここは台風で樹木が崩壊した跡地らしい。 植樹の謂れが述べてある。大きく育てと祈る。 次に出たのが、JMRA(日本民家再生協会)なる団体の移設した住宅だ。此処は高原集落の西端になるのだろうが、採算を度外視して古い住居の移築を行っているグループにお出合いして、感激の一行でした。このとき偶然居合わした軽トラックのおじさんが居ました。 |
不寝王子跡の解説板 高原にあった再生、移転の民家 |
JMRA(日本民家再生協会)の碑 高原熊野神社で解説して頂いた方 |
移設された住居の木魚を叩かせて頂いたり、写真を取らせて頂いたり、気ままに過ごしました。後から考えると、ご主人にお気を煩わせて仕舞いました。 民家の軒先の蝋梅や沈丁花の花に見とれて高原熊野神社まで辿り着きますと、あの軽トラックのおじさんが解説してくれると言うではありませんか。. 彼が言うには、 「私は以前、県のボランティア-の案内人をしていた。しかし、今は引退している。今回、特別に貴方がたの案内を買って出たい」と。 勿論こちらに異論のあるはずもなく、素晴らしい話をお伺いしました。 食事と話し、ひとしきり満足した後は、慎重に高原からの急な九十九折の林道を降り、その後は快適な道をバス停まで向かった。 |
高原熊野神社の春日様式の屋根 |
蝋梅の花 |
滝尻の橋で、Kさん(右)と |
栗栖川に下降後、バスの出発時間まで間があったので、河原でS先生差し入れのワインを開けて乾杯した。今日の日程の終了祝いと、明日のマラソンの完走を祈ったのだ。 「乾杯!うん、でも、なんかえらく甘いな?」 それもその筈、これがなんと甘さの強いポートワインでした。(薄めて飲めばよいと、後で気づいた。) バスの出発時間まじかに停留所に戻ったが、滝尻まで所要時間6分なら歩いてもたいしたことないと見くびったが、現実には40分かかりました。しかし翌日のマラソンコースの下見が出来たので有意義でした。その後、滝尻で車に乗り込み、一路白浜に向かった。 JR駅で日帰りの3人の美女と別れ、中年男性2人は今夜の宿の臨海海岸に向かったのであった。 |