あとがき
いまから読み返すとなんとも恥ずかしい限りですが、感動したことが素直に綴られていると感じました。原文はより長文なので、当時はそんな冗長文とスケッチを書く気力があったのだ!と愕然としました。

飛行機は定刻に新千歳空港を出発した。同時に、長すぎるかなと思えた北海道の単独行は、いささかの心残りとなんとも云えない安堵の心を胸に抱かせ、その幕を下ろした。いろんな意味で「1人になる事は人間を強くする」と,遅ればせながら悟った次第である。それがこの旅の最大の収穫であった。

9月19日(日)
 ゆっくりと朝風呂など浸かり、8:00からのんびりした朝食を摂る。
ニセコを経由して見る羊蹄山の頂上は残念ながら雲の中だ。美笛より支笏湖の力ルデラ内に入り、その大きさを実感する。ぜひとも寄ろうと思っていた「苔の洞門」の駐車場に着いた頃には、もう10時近くになっていた。 この自然の造った芸術をゆっくりと観て歩き、その神秘的な成り立ちに感嘆する。湖峠のモーラップから対岸の恵庭岳と手前に讐える原生林の奥の風不死岳をスケッチする

今日の宿泊はニセコの温泉でも最古の湯と云われる薬師温泉に決めた。薬師温泉は、ニセコアンヌプリの麓にひっそりと営業して居る。100年以上前の浴槽は深〈、立ちながら湯に浸からねばならない。その足元より気泡が湧くという、極めて珍しい元祖「パイブラパス」であった。少しぬる目の湯が長時問の入浴を可能とし、体を芯から温め、しかも気泡の超音波が骨から温めるという。此処の山菜料理は驚くほど美昧であった

もう10分で引き返そうと思った時、ようやく広大な山頂に着いた。結局のところ、この山道で遭ったのは、一組のアベックと限りなく大勢の霧達そして自分の勇気であった。今にも泣き出しそうな天候の中、駆け降りるようにして下ると朝日温泉の母屋が見え、登頂の喜びが湧いてきた。こんな心細い天候の中ても、自分を信じて登り続ける事が出来たのに感謝した。

空模様も何とか持ちそうなので、「行ける所まで行こう」(と云いながらいつも完登を考えているーまあそうでなくては、山登りは出釆ない)と自分に言い聞かせて軽い気持ちで出発する。裏の露天風呂の横から、すぐに登山道が始まる。最初は稜線までの樹林帯の道である。くねくねと曲がりながら次第に高度を上げて行く。下生えの植生はチシマ笹で、その間に針葉樹の巨木が聳えている。急坂を登るにつれて日本海が見えてくる。海岸沿いの急な壁も、登ってきた林道も見える。視界は狭く、明るい霧に包まれている。行く先の稜線は一且広大なコルに続く急な登りなのが分かる。登山道は、激しい笹原と足元をうねる這い松の根に、著しく登行を妨げられる。進むにつれ、この山頂は考えている以上に距離があることに、迂闊にも気付いた。

9月13白(土)

 今日は雨と思い登山の予定は立てにいた。5:30に起きて温泉にゆっくりと浸かっていると、なんだか晴れそうな雲行きである。海側の上空は黒い雲に覆われているが、岩内スキー場のある山側は明るい雲が急速に移動し晴れ間も見えている。食事を終える頃には風は強いが、ますます晴れそうな雲行きとなってきた。
 まあとりあえず見物がてらに雷電海岸から朝日温泉まで覗いてみるか、とばかり軽い気持ちで出発する。雷電温泉旅館街の手前の朝日温泉への分岐点からの林道も、悪くない。
朝日温泉はこじんまりした山中の1軒家で、廃業していたのを再建したそうだ。ご主人に尋ねると、登山道は十分に整備されていないような事を云う。

今夜の宿は海の幸を期待して、日本海側まで足を延すことに決めた。
当初は翌日の雷電山登山基地として朝日温泉を考えたが、シーズンオフの金曜日なのに、あっさりと「満員」で断られてしまった。
 しかたなく訪れた岩内の国民年金宿泊所は、清潔で温泉も良く、快適このうえない宿であった。岩内湾が一望出来る浴室より見た漁り火は、幻想的ですらあった。

 9合目で避難小屋への道を分けた後、登山道は御釜周囲の稜線に沿う急な斜めトラパースで、更にどんどん高度を稼いで行く。

途中の紅葉はまったくこの世の物とも思えないほどの素晴らしさがある。ナナカマドの赤、ダケカンパの黄色、ハイマツの緑に山肌のベージュ色。
 あくまでも澄み切った北国ならではの蒼い空の色が、お互いに見事なハーモニーを作り出す。
山頂ではゆっくりとスケッチをしてサンドイツチの昼食を頬張る。遷か遠くに、咋日登った支笏湖畔の山々が見える。至福の時を過ごす贅沢を、しみじみと味わう一日であった。

9月17日(金)

 今朝は晴れると確信していた。しかし12時頃には頂上に霧がかかるだろうから、視野のハッキリしているうちに登頂してスケッチをしようと思ったのである。     
偵察の効果で、羊蹄山登山口をすぐに確認。もう既に数台の車が止まっている。登山者名簿には4パーティほどの記載がある。
 
 咋夜露天風呂で話した君は30分前に出発しておリ、赤いオフロードバイクが止まっている。せわしなく準備運動をして、8時に羊蹄山登山口より登り始める。工ゾマツ、トドマツの混成した北の森林の中の広い道は、単調な登り道であるが道はしっかりしており、各合目の標識も立派なものだ。さすがに火山だけあって水場はまったく無い。
登るにつれて眼下に倶知安の町や、対面のアンヌプリの眺望がどんどん広がってくる。
 
 6合目を越えると日本海や、岩内平野も見え出した。植生が矮小灌木になってきた頃、漸く8合目に着く。単独行で空身に近いので足どりもはかどるというものだ。このあたりになるとナナカマドの紅葉が見事である。アンヌプリは違か下である。

強風で三角波の立つ支笏湖。湖畔道路からは、咋日は頂上が見えなかった恵庭岳の全貌が明らかになっている。思わず車を止めてスケッチする。札幌オリンピツク滑降コースの原生林の伐採跡はハツキリしない。なんとむちゃくちゃな事が通ったのか、時代のなせる業と理解するしかない。そのために造られた国道(これは自衛隊の努力の賜物だというが)を快調に飛ばす。
 
 心の赴くままに行方定めぬ気ままな旅は、限りない開放感を与えてくれる。喜茂別で寄り道した五色町の噴き出し公園は、自然の驚異そのもので見応えがあった。羊蹄山が自然のフィルターであるとはうまく云ったものだ。これは明日の登山で思いきり実感する事になった。

 今日の宿舎は前から泊まりたいと思っていたニセコ五色温泉だ。羊蹄山登山口の偵察を済ませた後、既に初秋の雰囲気の現れた周囲の景色を心に留めつつ、倶知安の町から宿に向かった。宿は期待に違わぬ素朴さそのものであった。生きている喜びを実感するとは、まことこのことであった。

9月16日(木)
 夜中に雨が降ったのか、濡れた路面と草が鮮やかで少し雲があるが、明るい青空である。         

 朝食の後、休暇村周囲の森林と湖畔をゆっくりと散歩する。支笏湖畔より流れ出る千歳川の流れはあくまでも滔々と、そして澄み切っている。

9月15日(水)

 大阪空港11:40発の全日空775便にて秋晴れの新千歳空港に到着する。

 北国の原生林の中を真っ直ぐに付けられた、高速道路と紛うほどの道路なので、レンタ力一は瞬く間に支笏湖畔に着いてしまった。まず今夜の宿泊先である支笏湖国民休暇村の受付でチェツクインのみを済ませ、樽前山登山口に向かった。樽前山登山道路は未舗装ながら立派な林道で、原生林の間を縫って7合目駐車場まで続いている。

 今日は祝日で快晴でもあり終点の1kmほど前から路肩に沢山の車が止まっているが、時間が遅かったので終点駐車場に駐車出来た。

 登山道は両側に柵があり、火山灰と火山弾の道なので歩きにくい。樹林帯が切れると見渡す限り拡がる原生林の山裾に、苫小牧の町や太平洋が確認できる。北には支笏湖が、しかし恵庭岳は霞んでいて頂上は見えない。


 それにつけてもこのカルデラのでかい事。周囲は50キロはあるだろう。
外輪山の縁まで来ると、そこからは1等三角点迄、外輪山の稜線を辿って行く。強風の吹く頂上に立ったのは16:30になっていた。

はじめに

 北海道の山、それは近郊やアルプスなどに比べて、行き難い印象がある。
最近でこそ「山と渓谷」誌などでよく紹介されるようになったが、地理的に遠い、現地の情報が限られている、山小屋などが(本州に比べて)整備されていない、それにヒグマの恐怖、が大きいようだ。

 些か古いが、93年秋の樽前山、羊蹄山と雷電山の記録をご紹介し、その時に感じた新鮮な感動を再現したいと思う。

93年秋、思い出の北海道

―道南の壱等三角点登頂記―