「なっとう(納豆)」言葉に思う |
年をとってくると些か気が短くなり、最近の日本語の乱れはどうなってるんだ!と思わざるを得ない。その典型として挙げられているのが、所謂「あいまい言葉」という。 |
あいまい言葉 |
若年層を中心に浸透している、言葉じりをはっきりさせない、あいまいな表現。 @「お荷物、お預りします」を「お荷物のほう・・・」 文化庁:平成11年度「国語に関する世論調査」より |
最近日本語を巡る書籍がブームであるという。 最近、この曖昧表現が目に付きだし、家庭でも職場でも口うるさくなってきている。 |
中では 「わたしの中では」あるいは「自分の中では」というのもあるそうだ。 「その風景は、わたしの中では、潜在的に原体験として残っているんです。」
本来なら「わたしにとっては」「自分にとって」と言うべきであろうが、 「〜中では」となると、当事者としての自分の気持をも客観視しているようだ。まるで「自分を冷静に客観的に見ることの出来る男」 ゴルゴ13(*1)のような話だが、これは暑い時に汗臭くなる生理現象やひたすら競り合って勝利を得ること、などを“ダサい”考える心理があるのでしょうか? 「 先生の中では、どの程度の比重を置かれているのですか?」 |
〜じゃないですか
むしろ私が一番気になるのは、 |
から スーパーやコンビニでの買い物の支払いで1万円を渡すと、「1万円からお預かりいたします」と言う。 「1万円お預かりいたします」でよいと思うが、癖なのであろう。そういえば、施設のカンファレンスや会議などでもこの言葉を多用する若い人がいる。 〜のほう これもカンファレンスでしばし多用される。 「それではリハビリのほうは如何ですか?」 「次は療養棟のほう、お願いします」 「Kさんのほうは、右片麻痺があり、上肢のほうは廃用手です」などなど、例に困りません。 ひどい場合にはケース(入所者)を解説する際に、20回ほども「のほう」を使っている 療法士もいるが、本人は全く気にしていない。 というより不自然さに気付いていないのだ。 自分の言葉を文章にしてみるとその冗長、重複に恥じ入るに違いない? 皆さんお気付きのように、文章上、「のほう」はなくとも意味は十分に通じ、 これを省略しても一向に構わないでしょう。 |
なっとぅ(納豆)語 これは私の造語である。看護婦(今では看護師であるが)が使うことが多い。 |
カナカナ語 上の納豆語と組み合わせて使われる場合が多い。 「○○○は○○○かな?と思います」とあいまいに言われると 「どうなの?」と思うのは私だけでしょうか? カナカナ蝉は夏だけにしたいものです。 |
医者のあいまい言葉 えてして医者もあいまい言葉を使う機会が良くあるものです。 その昔は「ガン告知」が一般的でなかったことから、明らかなうそをつく場合もあり、末期になったりするとどうしてもあいまいな表現が多用されることになりました。最近は告知が一般化したこともあり、ガンでの問題は少なくなってきています。これには医療側の自己保身の側面も否定出来ません。 しかし以下の記述はあるホームページから引用したものですが,患者さんの意識はどんどん変わってきています。曖昧な表現が許されなくなるのも時間の問題でしょう。このような指摘があることも十分に考えておかねばならないところです。 |
(前略)「少し様子を見ましょう」とか「とりあえず検査してみましょう」です。これらは、どんなことを意味するのか考えたことがありますか? 「少し」というのは、どのくらいの期間なのか、「とりあえず」とは、今すぐなのか、それとも一ヶ月以内でよいのか、非常にあいまいです。 (中略)医者への質問を具体的にすることです。答えが的確なものになるはずです。患者と医者の間に必要なことは、あいまいな会話ではなく、具体的な会話なのです。診察室で医者があいまいな言葉を使う原因は、患者が医者に症状を訴えるとき「最近、腰が痛い」とか「最近、胃が痛い」といった調子で、患者が医者にきちんと自分の症状を訴えていないからです。(中略) 医者と患者の間には「しばらく」とか「とりあえず」といったあいまいな言葉があってはいけないのです。日本の医療現場からいいかげんな、あいまい言葉を追放しなければいけません。そうすることによって、はじめて医者と上手なコミュニケーションがとれ、上手なインフォームド・コンセントにつながって行くのです。あるホームページのBBS(掲示板)より |
会話は人間関係の潤滑油と言いますし、これらの曖昧表現を全て否定するものではありませんが、 ものには全て節度が必要でしょう。 傷つくのを恐れる余り、自分の意志を明確に表現できない若い日本人が将来、 どうなってゆくかは他人事ではないからです。 しかし多数の意思ある若い人が世界を舞台に頑張っているのも確かです。 こういった方たちの意見ははっきりしていますし、表現する言葉もはっきりしています。 昔もあいまい表現はありましたが、意図は明らかであったと思います。 最近のあいまい言葉の氾濫は、つまるところコミュニケーションの貧困さの象徴と考えられます。 それを助長しているのが、携帯電話などのメールです。 便利な面もありますが、所詮は一方通行です。これでコミュニケーションしている 思い込みが危険でしょう。互いに目を見あい、表情を確認して話するのが本来の対話でしょう。 電話で感情面の行き違いが起こるのはよく経験するところです。 でも若い人たちは面と向かって言いにくいことでも電話なら喋れる、と言いますが これは本来本末転倒だと思われます。 便利な道具には落とし穴が有ります。その有用性を全く否定する物では有りません。 要は十分な判断力がない人(子供や...)には危険な(?!)道具になるとの認識が 必要だと思うのです。「息子の携帯電話代が月に3万円もなる」と平然と話している親は 正常なのでしょうか? |
最後にD.M.P. (Dynamic Management Program)の原理・原則集から、「頭を良くする言葉使い」を紹介して本稿を終わります。これを見ると話し言葉と書き言葉の差はあるでしょうが、今まで自分の書いたり話した文章を省みると、なかなか反省させられるところが多く恥じ入る次第です。 |
頭を良くする言葉使い 1.いらぬことは言うな、いることだけを言え。 |
p.s.小学校英語教育の功罪 しかし英語はただの意思疎通の道具の1つに過ぎず、しかも本質的に |