打越山(スケッチハイキング)
2008年4月27日     同行者:次女
訪問先  打越山
27日の日曜日、ぐうたらしていてはいけないので、久しぶりに裏山に登ってみることにした。
裏のマンション建設現場の状況と、花の咲き具合や山菜の有無も知りたかったのだ。
もう一つは、最近また集中しようと思った「スケッチ」がある。

 気ままにスケッチブックを抱えて出発しようとしたら、娘が一緒に来てくれるという。何と言うことだ!
この子と野山に出かけるのは、何時から途絶えていたのだろうか?

日ごろは生意気な娘も、本質的にはアウトドアー好きで、しかもマイペースだ。こちらもそれなりに合わせて、楽しい時間が過ごせた。
頂上で一枚描いてみた。この間、彼女はベンチで寝ていた。
打越山山頂
「出来たよ!」と言うと、
「えーっ、そんなに早く!」と言う。
気の短い親父は、早描きが得意なのだ(それしか出来ない?)

家に帰ってみて昔の画像ファイルを見てみると、98年11月のものが出てきた。左の絵である。この時は単独行であった。
昔はベンチが無かった!影も長かった。描き方も変わった?

この間、10年で自分はどう変わったのか?
絵で振り返る自分暦でした。
98年11月の打越山山頂でのスケッチ
この時に、打越峠の風景も描いた記憶が蘇った。
低木の潅木帯に射す木洩れ陽に、いたく感動したのだった。
その感動は到底絵に表せず、駄作のみ残っている。

言うまでも無く、絵と同様に写真や書も人の大事な人生の記録であり、下のYungの言葉を実感する年齢になったのだろうか?

それにしても、実感しました。
「人は貶さずに、褒めれば成長する」
含蓄のある言葉です。
同時の打越峠
蛇足ですが、この打越山には再三再四、出かけました。
家の裏から直ぐ出かけられるのと、簡単に登れる割には景色、雰囲気に恵まれているからでした。

98年6月に行った記録がありました。
左の画像です。赤松林が印象的で、思わず描いてしまいました。

「この時の、松茸の収穫は如何だったのでしょうか?」

(残念ながら、六甲では出ない?)
”Errinerung ist das Brot das Wir essen,
Wir leben da von" (Yung)

「追憶は我らの食するパンであり、我らはそれに生きる」
(Bergen訳)
(大学の、ドイツ語の講義で見た記憶があります)