六甲、全山縦走トライアルーその3、東六甲縦走(市ケ原から宝塚)

2006年12月23日()     Bergen単独

7:55阪急春日野道駅…900市ヶ原…10:10摩耶山10:20…11:20丁字辻…11:40記念碑台…12:50最高峰13:00…石宝殿…13:25縦走路分岐…14:30盤滝道路交差…15:10塩尾寺…宝塚南口…16:00宝塚ー帰宅

前回11月の初トライアルで、降雨のため市ヶ原で無念のリタイア。
今度は単独行で、後半に挑戦しました。

思っていたより変化があって楽しい(?!)縦走でした。
今回のトライアルで、(分割払いで)漸く全山縦走完走!?
次回は、(1回払いの)全山縦走に再チャレンジを誓うBergenです。



 6:30時に自宅を出発予定でしたが、
起きるのがついつい億劫で、なんと1時間の遅れ!
「何ぼなんでも、これはいかん!」

御影駅から乗車し、春日野道駅には7時55分に到着しました。
「この駅で降りるのは、生まれて初めてです!」
地図で調べた結果では、(三宮より此方の方が)布引に近いのです。
「今日は雨の心配は無いようで、安心です」
駅前のコンビニで、お握りとサンドイッチとチョコレートを買いました。
「水も1350mlだけです。途中で買い足せばいいや!」
気楽に先を進みます。

出発した阪急電車、春日野道駅
新神戸駅の脇で少し迷います。
此処は1階から布引に向かうのです。
駅の下のトンネルを抜け、急な石段を登ります。
今日は雄滝、雌滝は割愛して、脇の道を取ります。
行きかう人もぱらぱらです。
早朝登山の人たちも、結構多いのですね」

樹林帯を少し進みますと、「布引貯水池のゲート」に到着です。
見覚えのある、古の建物がお迎えです。
此処からの登山道は眼下に深い渓谷を見下ろしながら進んでゆきます。
「もう直ぐ布引堰堤ですね!」
布引貯水池の入り口の建物
                          
地図1 (稲妻坂〜天狗道〜摩耶山) 分水堰堤、分水堰堤付属橋の解説書
  堰堤とその上のダム湖は何時もと変わりなく、分水堰や分水隧道トが目新しい。前回はその上の道を歩いたので、これらの施設は見ずであったのだ。

やがて前方に市ヶ原の建物群が見える。
流石にまだ時間が早いのか、訪れる人は殆どいない。
新布引堰堤を左岸から登りきると、其処からが摩耶山の登りである。

「此処からがあの有名な稲妻坂、天狗尾根ですね!」
「此処を登らないと、全山縦走と名乗るべからず、とですか?」


確かになかなかの坂ですが、距離もあるため途中の小ピークからは、緩やかな傾斜でした。
しかも所々に下りもあって十分な休息も取れます。
「もっと酷いのかと思っていました?!」
@市ヶ原から摩耶山に向かう
稲妻坂を過ぎて、本番の天狗道を眺めると、工事用のロープウエイの赤い鉄塔が見えます。
地図を確認すると、尾根はあれからまだ奥に何段ものピークが続いているようです。

あまり疲れも感じないので、摩耶山で休憩するべく、ゆっくりと登る。
「10:30までには摩耶山に着くでしょう」
まだ出発から1時間半も経っていないのである。

そのうち縦走路は急な岩稜状の尾根道になり、ちょっとロックガーデンを髣髴させるが、直ぐに傾斜が緩くなる。
登るに連れて、西神方面の視界が良くなってきます。
「沢山、住宅地がありますね!」
A天狗尾根の急登を見上げる
摩耶山までは意外と遠く、NHKの電波塔に到着したら10:00になっていた。

山頂である掬星台(きくせいだい)で初めて、暫し休憩します。

星が掬えるほどの高さに見えたことから、「掬星台」の名前が付いたという。此処からは、神戸の港や市街地が眺められる。

神戸市の観光課?の調査員がアンケートを取りにこられました。
お答えしたら、絵はがきをプレゼントされました。
摩耶山のロープウエイも運行再開しているが、乗降客は居るのだろうか?
「人事ながら、些か心配ですね!」
B摩耶山ロープウエイ
地図2 (摩耶山〜サウスロード〜丁字辻)
チョコレートと水を補給し、そそくさと出発。
「車道を行かずに済むので、快適!」

此処から東六甲方面もよく見えますが、それにしても、なかなか遠い!
「あれは六甲山ホテルですか?」
遠くから見ると、見慣れていない風景でもあり、建物の同定が難しい。

道標に導かれて道路脇の歩道を階段を交え下ってゆくと、
「オテル・ド・マヤ」である。
「此処は以前に来ましたね」
C摩耶山から東六甲の山並み
此処は以前、摩耶山の国民宿舎だったように記憶している。
全面改装を受け、なかなか小粋な建物に変身した!

売り物は露天のジャグジーバスで、其処からの眺めもそれはそれは素晴らしい(らしい)。
「一度(貴女と)行きたいものですね」
(このぐらいは言っても許されるのだろう。誰と?)

おりしも若いカップルが駐車中の車に荷物を積み込んでいる。
昨夜はお泊りだったのだろう。
「これからも、お幸せにね」  
(心ひそかに)エールを送る。
Dオテル・ド・マヤ
此処から丁字辻までが、この六甲山頂部縦走路の一番ややこしいところである。

先ずは「アゴニー坂」である。
これは本当かどうかは知らぬが、東から西に向かうと急な登りであり、アゴと膝(ニー)が付くからその名がある?
「ほんまか?」
今回は逆コースなので急な下りだ。

穂高湖の脇の徳川道を歩き、杣谷峠に到着。
「次はサウスロードの入り口を確認せねばなりませんね」
幸いにも、程なく、神戸市の「市立自然の家」の先に入り口が見つかりました。
Eサウスロード入り口の標識
縦走路より西六甲のドライブウエイが、左手下に見え隠れします。
快適な山道が続きます。六甲の山道で道路に近い割には自然感が味わえます。

「あっ、六甲山牧場が見えますね」
左手奥の、白鳥城のような建物です。

道路を渡ると、三国池近くまで来ています。
標識はありますが、地図を確認して進むに越したことはありません。
六甲山牧場(地図2のAより見る)
まもなくノースロードの入り口に到着しました。
「ご苦労様。別荘、保養所内の道路です」
流石に昔の賑わいはありません。半分ほどが休業の由。
「昔ほど六甲には行きませんからね!」

気がつくと、丁字辻です。
何時もは車ですから、此処からの景色は新鮮です。
「これで(今日の行程の)半分ですか?」
F丁字辻
地図3(記念碑台〜ゴルフ場道〜六甲ガーデンテラス)(○が「みよし観音」)
道路脇を進みますと、六甲山ホテルの手前の脇道の奥に変わった鳥居がありました。「六甲阪神稲荷神社」と、記されています。

「これは、阪神電車が六甲山の開発を記念した神社のようですね」
奥まで参道を辿って行きますと、阪神の六甲開発碑と小さな稲荷神社の祠があります。

「これは言われないと気がつきませんね。
もっと宣伝すればよいのに」

生まれて初めて見ました。
「君子危うきに近づかずも大事ですが、物見高くないと、何事にも巡り会えないようですね!」
G六甲阪神稲荷神社の赤鳥居
六甲山ホテルの前を過ぎ、記念碑台にやって来ました。
此処から少し東に進み、ゴルフ場道を行きます。
緩い上り坂をのんびりと登ります。

「あッ、これがかの有名な六甲山小学校ですね!」
右手に小さな鉄筋の建物がありますが、小学校を確認したのは初めてです。
「もうストーブは入ったのでしょうね
何時も報道される年中行事でした。
H六甲山小学校
この道は行きかう人が結構多い。
(車も比較的多い)
「この辺りをよく通ったのは中学生の頃でしたが、やはり此処はなかなか良い道ですね」

途中に神戸ゴルフクラブのクラブハウスを右に見て、やがて金網の中の道になります。
「まるで鳥になった雰囲気ですね。鳥かごの中(の鳥)はしんどいのですね。よく我慢していますね」

冬場のゴルフ場のグリーンは、黒いシートで覆われています。
プレーヤーも見かけません。
「さては(冬場は)クローズかな?」
Iゴルフ場道の金網
やがて道路を渡り、「みよし観音」前に出ます。
此処は、飛行機事故で死亡したスチュワーデス(既述)を慰霊する、観音さんです。
「こんな事故があったんだ!」
これも初めて知りました。

中学生の頃は歩くのみで周囲の記念碑など
気にも留めませんでしたが、
これが出来たのは昭和45年(1970年)8月1日でした。
Bergenが大学生の頃でした。懐かしい、大阪万博の年でした。
石碑を見ますと、涙なしには語れない、彼女の「凄まじきプロ意識」が感じられました。

私も1970年には21歳でした。
殉職した彼女と同年齢でしたが、そんな気高い職業意識とは無縁でした。
「貴女のベクトルを、少しでも引き継いで行きます」
ひそかに誓う、Bergenでした。
みよし観音(地図3 の○)
みよし観音の由来 (石碑より引用)

昭和39年2月18日雪の朝、
スチュワーデス麻畠美代子(京都府出身)の搭乗機が徳島に向かって大阪空港を飛び立ってまもなく遭難した。
 美代子は沈着冷静よく七人の乗客を救出し、最後の一人を助けようとして爆発にあい、猛炎の中に「お母さん!」の一語を残して殉職した。
21歳であった。
 美代子は生前ミス京都、準・ミスワールドに選ばれた。
また宝田寮(徳島県)の孤児たちから「ホタルの天使」と慕われていた。
姿美しく、心やさしく、しかもその悲壮な捨身行を観音さまの化身、とうけとめた純情少年、交通遺児の坂井誠、進兄弟(三重県)は美代子観音像を建立して交通安全、大空の守りをお祈りしようと発願し、これに共鳴した五千余人の善意と台湾、中国、朝鮮、印度、フランスなど
外国出身留日者の合力がここに結集し、六甲山上聖浄の地に、みよし(美代子)観音の建立が成った。
 善男善女諸子、仰いで共に交通安全の祈りを込められんことを         1970年8月1日   みよし観音奉賛会

凌雲荘は今は無く、六甲ガーデンテラスに代わっています。
「やむを得ませんね。時代の流れです」
回る十国展望台も撤去されています。

この辺りは流石に大勢の人が見えています。
六甲山展望パレスを過ぎると、人影も激減します。
「漸く、ゆっくりと歩けます」
J六甲ガーデンテラス
地図4 (極楽茶屋〜六甲最高峰〜東六甲縦走路分岐点)
道路を何回も横断して、最高峰に向かうピークを越えてゆきます。
「この距離がなかなか遠いのですね。」

昔、芦屋から家族連れで最高峰に登りました。
その際、凌雲台まで歩くのに、数限りない不平不満を浴びたBergenでした。子供たちが言いました。
「お父さんのもう直ぐは、30分や!」
安堵感(登りきればバス停まで近いと思っていた)が絶たれた落胆が、言わせたのでしょう?

「やはり最高峰は大勢の人がお出でですね」
流石に最高峰です。
芝生の上に寝転がっている中学生も居ます。
自転車の2人連れも居たり、まさにごった返しています。
K最高峰で集う人たち
最高峰でサンドイッチとウーロン茶を頂き、10分ほどの休憩で先を急ぎます。今度のチェックポイントは、縦走路分岐点です。
地図を見ると、鳥居茶屋の先の道路の屈曲点から左に入るようです。(道を間違えかけて、後から分かった!)

道路脇の熊笹の道を辿ると、正面に見覚えのある鳥居がある。。
「石宝殿だ!」

懐かしい地名です。
東お多福山から土樋割、北蛇谷山を経由してくると、此処に出てくるのです。折角ですから、祠を覘いて行きます。
「思いの外、小さい祠ですね」

右下に向かう怪しげな登山道が近道かと思って降りかけましたが、
南に向かいます。
「これは違うで!」
L石宝殿のお社
急な階段を喘ぎ喘ぎ戻ります。
鳥居まで戻り、道路に沿って5分ほど下りますと、左手に標識が!
「うん、あれだな」

先行者も2パーティーほど居られるようです。
最初はやや急な下りですが、幅広く快適な登山道です。
「此処までくれば、(宝塚は)射程圏内です!」
といっても、あくまで油断は禁物です。

それにしても行きかう人は結構多いのです。
「かなりの人が宝塚から登って来るのですね。
こんなに人気のあるコースとは、知りませんでした」
M東六甲自動車道路よりの縦走路分岐点の標識
途中の植生は様々です。
概ね広葉樹の林ですが、所々植林帯があります。
概ね、細い杉、檜が密生しており、暗いことこの上ない。
しかし、登山道は良く開かれており、段差も少ないので、夜間の下降も安心できるようです。

「前回も(雨にもめげず)、頑張ればよかったかな?」
ちょっぴり考えるBergenでしたが、直ぐに思い直します。
何でも(済んだことは)今だから言える、話なのです。

「その際に、誤った判断をしない!これが大事です。
また、反省を活かすこと。2度と同じ過ちをしないこと」
分かっていても、人間は同じ過ちをするものです。
N途中の杉林、珍しく伐採している。
地図5 (船坂峠〜大平山〜大谷乗越
何処が大平山か?明瞭なピークに登頂せぬまま、下りに掛かります。
やがて、舗装道路が出てきました。暫くこれに沿って下るようです。

地図で確認しますと、やはり大平山に向かう林道です。
稜線を越えて、北の船坂方面に下るようです。
そしてやがて、棚越新道に合流するようです。

「これを真っ直ぐ下ると、問題だな」
やがて電波塔に出合いますと、その右手に縦走路標識がありました。
O大平山よりの、下りの車道
大勢のグループが先行していましたが、快く道を譲って頂けました。
概ね緩い傾斜を下りますと、大谷乗越でした。
現在は西宮北有料道路のトンネルが出来ていますが、結構通る車は多いようです。
「いよいよだな」

些か疲れた趣のグループが休んでおられます。
此処からは最後ののぼりです。
「よし、頑張ろう!」

緩やかに山腹をトラバースする登山道で、極めて快適です。
最後のお握りは、歩きながら食べました。
大谷乗越(地図5のB)
地図6 (譲葉山〜り塩尾寺〜宝塚
やがて前方のピークが見えなくなると、花崗岩の砂粒が埋まった急傾斜の溝状の下りだ。所々にお助けロープがある。
下りきると、ヒョコッとお寺の屋根が視野の隅に入った。
やがて山門の前に出た。小さなお寺である。

終着点の「塩尾寺(えんぺいじ)」(地図上のである。
「何はともあれ、感激ですね」
此処へ来たのは、中学生以来である。
数名の人が休んでいる。

此処から宝塚駅まで、30分は掛かるという。
水分だけ摂って、早々に出発する。
P塩尾寺
途中、分岐を間違えて、武庫山から宝塚南口に出てしまった。
宝塚まで戻り、宝塚歌劇団の花の道を歩く。
タカラジェンヌを待つ乙女たち(おばさんも居るが)が列を成して待って居る。中にはスターと話している、幸運な(?)人たちも居る。
流石に華やいだ雰囲気である。

それにつけても、ファミリーランドがなくなったのは残念だ。
子供の頃よく行ったものだ。
それもこれも、遠い昔である。

駅ビルの中華料理店に入る。
ビールと餃子で、一人、祝杯を挙げた。
「乾杯ー!

心地よい、酔い(宵?)である。
本当に、満足な、一日でした。
Qスターが出てくるのを列を成して待つ乙女たち

「次回は(現金1回払いの全山縦走)完遂です!」
「期待が高まりますね!何時にしましょうか?」

次回の完全全山縦走を期す、Bergenでした。