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清明の決心


 春の夜は、うっすらと明けはじめていたケロ。
 ぼくは一匹、窓枠に座って静かに光を消していく星を眺めたケロ。
 ぼくに最期の冒険の話をしてくれた後、すとんと眠ってしまったティシアの、 深い寝息が、静まり返った部屋の中に、やけに大きく聞こえたケロ。

 ぼくは、眠れなかったケロ。

 ティシアは、眠りに落ちる直前、ぼくに言ったんだケロ。
 …もし良かったら、一緒にアトランティーナに来て欲しい…と。
 一緒に来て、荒れ果てて砂漠のようになった湖の中の復興を助けて欲しい、と、ケロ…。

 もうしばらくはコロナにいるから、返事はゆっくりでいい…そう言われたケロも、 ぼくの心はもう決まっていたケロ。
 でも、心が決まるのと、気持ちが落ち着くのとは、また別の話だケロ。

 ぼくは窓から、見慣れたコロナの大通りが、夜明け前の薄明かりに浮かんでくるのを眺めたケロ。
 胸の中では、心臓がどこどこと動いていたケロ。
 そして、頭の中では、振り回されたビンの中に半分はいっている水みたいに、 いろんな気持ちがグルグル暴れまわっていたケロ。

 ぼくは、生まれ育ったこのコロナの街が大好きだケロ。
 隅から隅まで、塔のてっぺんから地下の細い抜け穴まで、ぼく自身の水かきよりもよく知ってる、 コロナの街が…
 水路にも、近くの森や川にも、昔からの友達が沢山いる、このコロナの街が、大好きなんだけロ。

 だけど、それでも…この大好きなコロナを離れることになっても、 ティシアとは離れたくないってことに、ぼくは、今になって気がついたんだケロ。

 ぼくは部屋を振り返って、暗がりの中、やっと見わけがつくティシアの寝顔を見つめたケロ。

 …ぼく、どうしちゃったんだケロ?
 なんだケロ? この気持ち…この子の顔を見るだけで、思い出すだけで、 どうしようもなく嬉しくなってしまうこの気持ち…それでいてヘンに悲しいような、 辛いような、どうしようもない気持ちは…?
 そりゃ、この気持ちをなんと呼ぶか、ぼくだって分かっているケロ。 こんな気持ちは、初めてじゃないケロ。

 でも…変だケロ、おかしいケロ…。
 かえるが人間を本気で好きになるなんて、ありえないケロ…。

 人間だって、かえるに恋はしないケロ? (かえるのおとぎ話には、きれいなかえるのお姫様に横恋慕する意地悪な人間の魔法使いが 出てくるケロも…)

 それは、今までだって、ぼくティシアのことは大好きだったケロよ。 …でも、その気持ちは、こんなのじゃなかったはずだケロ。

 なんでまた、突然人間の女の子なんかに…ぼく、どうしちゃったんだケロ?

 ぼくはまた、ティシアの寝顔を振り返ったケロ。
 そのとき突然、一つの考えが、急降下する鳥のようにぼくの頭の中に飛び込んできたケロ。

 ティシアは人間じゃないケロ。竜…水竜だケロ!

 オタマジャクシの頃、年取ったかえるが話してくれたおとぎ話の一節が、 鮮やかに浮かんできたケロ。

「青い竜の王子は、かえる姫のことが、心から好きになりましたケロ。 かえるでも、鯉でも、人間でも、水の回りと中に暮らす、あらゆる生き物を本当の愛で つつむ青い竜は、どんな生き物とも結ばれるし、子をなすことも出来るのです。
のろいが解けたかえる姫は、竜の王子と結ばれて、いつまでもいつまでも、 幸せに暮らしましたケロ…」


 竜がかえるを好きになるんなら、その逆だってありうるはずだケロね。
 たとえ、相手が人間の姿でも。たとえ、相手が無邪気すぎ、屈託がなさ過ぎても…ケロ。

 …仕方ないケロ。
 ぼくは腹をくくったケロ。じたばたしないで、自分の想いを素直に受け入れることにしたケロ。
 どっちみち、他にどうしようもないケロ。

 前途多難なのは、分かり切っているケロ。
 …ともかく今は、一緒にいられれば、それでいいケロ。

 朝の最初の光が、大通りに射してきたケロ。
 ぼくは、ベッドの足に跳び移って、ティシアの寝顔をそっと見守ったケロ。
 心臓の音で、ティシアが目を覚ましてしまいそうな気がして、少しでも静めようと 深呼吸を繰り返しながら…。


 ぼくはふと、ティシアがまだ「全ての竜」について図書館で調べ回っていた頃、 借りてきていた本の一節を思い出したケロ。
 「竜の目を覗き込むと、魂を奪われる」…どことも知れぬ遠い国の古い伝説だそうだケロ。
 ホントか嘘か、分からない話だケロも…ぼくにとってはホントだったみたいだケロ。


 じつはこれ、ティシア編を始める前から温めていたネタだったりします…竜に恋するかえる君。
 コリューン編に引き続き、とことん人間同士の恋愛をさけて通っているように見えますが…実は、 全くそのとおりです(笑)。かえる好きで竜好き、そして甘いネタが苦手の私には、 妄想がこんな方向に走り出すと、もう止めようがありませんでした…。

ちなみに、覗き込むと魂を奪う目をした竜たちは、「ゲド戦記」の舞台、 アースシーに住んでいます。


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