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卯月の帰還


 ティシアの呪いが解けたという知らせを受けて、酒場が沸き返った夜が明けたあくる日…。
 夕べの夜更かしがたたって、ぼくは昼過ぎまでうとうとしていたケロ。

 何だか下の酒場が騒がしくなったような気がしていたけど、夢うつつに、またアルターが騒いでるな… としか思ってなかったケロ。
 そのうち、ドアが開いたような気がして、ふっと気が付くと…すぐ後ろに、人間が立っていたケロ!
「わー! いつの間にケロ!!」
 驚いて跳ね上がった次の瞬間、もっともっと驚くことが起きて、ぼくはその場に凍り付いたケロ。

「……クン、あたしよ!」
 聞き慣れた人間の女の子の声…ティシアの声が、完璧な発音で、ぼくのかえる語の名前を呼んだんだケロ!

「ティシア!!」
「ただいま」

 ぱっと振り返ったぼくの前に、ティシアが出かけたときと全く同じ姿で、立っていたケロ。
「おかえりケロ。ティシア、呪いが解けたんだケロね! おめでとうケロ!」
 お祝いの言葉は、心のそこからわいてきたケロ。ティシアはくすぐったそうに笑ったケロ。
「ありがとう!」
 それから、またふふっと笑って、ぼくの方にかがみこんだケロ。
 そして、内緒話のように声をひそめて…
「あのね、呪いが解けたら…あたし、かえる語が話せるようになったの。 あなたの名前、ちゃんと呼べるようになったのよ!」
 そう言って、楽しそうに、もう一度ぼくの名前を呼んだケロ。
「ね!」
「ケロ!」
 ぼくは、不思議にも思ったけれど、それよりもなんだかとっても嬉しくて、喉を鳴らしてうなずいたケロ。
 ティシアは、また内緒声になって、
「それに…かえるとだけじゃなくてね。魚とだって、鳥とだって自由に話せるの!」
 と、言ったケロ。それから、ずっと顔を寄せてきて…
「それだけじゃないわよ。人間には出せない、いろんな声が出せるの。こんな声だって…」
 いたずらっぽく、ささやいたかと思うと…いきなり、ぼくの耳元で咆哮したケロ。
 ぼくは「わっ」と跳び上がったケロ。でも、声の大きさに驚いたんじゃなくて…声そのものに驚いたんだケロ 人間の声じゃなかったケロ。角笛の音みたいな、とっても不思議な声だったケロ。

「驚いた?」
 ぼくの目の前で、ティシアの顔が、いたずらっぽく笑ったケロ。

 その瞬間、突然気が付いたケロ。
 …ティシアは、出かけたときと「全く同じ」じゃ、無かったケロ。

 その目が、すっかり変ってしまっていたケロ。一見、色も形も、何一つ変わってないように見えたティシアの 瞳が、実は全然違う輝き方をするようになっていたんだケロ。
 鏡のようにぼくを映したかと思うと、次の瞬間には底知れない深さをたたえるんだケロ。
 ぞっとするほど鋭く光るクセに、ほっとするような穏やかな光も持っているんだケロ。
 とても、人間の目とは…いや、普通の生き物の目とは思えなかったケロ。

 まともに覗き込んでしまったぼくは、その瞳に吸いつけられて、動くことが出来なくなったケロ。

「ね、すごいでしょ! …ね、ねえってば、かえるクン!」

ティシアの声も、聞こえていなかったケロ。

「…驚かせすぎちゃった?! おーい!」
 ティシアがぼくの目の前でひらひらと手を振って、ようやくぼくはハッと我に返ったケロ。
「ティ、ティシア…」
「大丈夫?」
 心配そうなティシアの声。ぼくは、なんでもないって言おうとしたケロ。 ところが、ぼくの口から飛び出してきた言葉は…

「ティシアの目って、ほんとに美しいケロ…」

 あわわわわ…い、いきなり何を言い出すんだケロ、この口は!
 ぼくは、赤面してばたばたしたケロ。
 ティシアは、きょとんとして、
「…え? なーに? …かえるクン、ほんとに大丈夫?」
 ちょっと心配そうにぼくを覗き込んだケロ。
 …その、ティシアの目。やっぱり、不思議な光り方をしてるケロ。怖くて、まともにのぞき込めないケロ。

「あ、いや、ティシア、その、なんか…その…カンジも変わったケロね」
 ぼくがあたふたと言いなおすと、ティシアの笑みが大きくなったケロ。
「でしょ、でしょ。実はね…」
 と、とびっきりの秘密を話すときのように、声をひそめて…
「青い竜って…あたしの、父さんだったんだ。だから…あたしも竜なんだって!」
 と、ちょっぴり得意そうに言ったケロ。

 り、竜…? ティシアが? ぼくは、驚いて声も出せずに、じっとティシアを見上げたケロ。
 どう見ても…竜…には見えないケロ…。
 ……そのとき、ティシアと目が合いそうになって、ぼくはあわてて目を伏せてしまったケロ。
 なるほど、あの瞳は、竜の瞳なんだケロ…。

 するとティシアは、ぼくの鼻先をちょいと指で突っついたケロ。
「なんて顔してんのよ。心配しなくても、噛みつきゃしないわよ!」

 そのとき、ぼくははっとしたケロ。その声の中に、かすかに…ほんとにかすかにだケロも、 心配そうな響きが入っていることに、気がついたからだケロ。

 思わず目を上げると、ティシアはまだ笑っていたケロ。でも、なんとなく …その笑顔が、ちょっとだけ、ぎこちないような気がしたケロ。
 ぼくは、思い切って、ティシアの目をもう一度覗いてみたケロ。
 そして、またはっとしたケロ。ティシアの目は、笑っていたケロも、その中に、小さな不安の色があるのを 見つけたんだケロ。

 …あたしは、あたしよ。姿が竜でも、かえるでも、人間でも…。心は、このあたし、「ティシア」なのよ。
 ティシアの目は、そう言っているようだったケロ。

 ティシアの目は、竜のたぐいまれな輝きがあっても、やっぱり前と変わらない、ティシアの目だったケロ。 ぼくのよく知った、ティシアの気持ちを真っ直ぐ映す素直な瞳だったケロ。
 それに気が付いたとき…ぼくは急に、固くなった体の力が抜けていくのを感じたケロ。

 ぼくはほっと息をついたケロ。なんだかむしょうに嬉しくて、心の底から笑いがこみ上げてきたケロ。
 ぼくが声を出して笑ったら、ティシアも嬉しそうに笑ったケロ。

 その瞳があんまり深く澄んでいて、その声があんまり気持ちよくて…ぼくはなんだかぼうっとしてきたケロ。
 ワインを飲んだときみたいに、ぼうっと夢見ごこちで、心臓がドキドキしてきたケロ。


 どうしたんだケロ? 今度は、ぼくが変だケロ…。



今回の書き直しは難産でした。話の骨組み自体は、とっくに出来ているのに、書き進められなくて。
自分は甘い話が苦手だと、つくづく思い知った次第…。

私は竜好きなので、青竜編で金の絵本を作ると、主人公が人間の姿になってしまうのが少々不満でした。
せっかく、幻獣の中の幻獣、竜になれるというのに、もったいない…。 せめて、竜の瞳くらいは持ってて欲しいなぁ…と、思っていたので、こんなの書いてみました。
「竜の目はたぐいまれ」という話は何度かどこかで読んだことがあります。 …「千と千尋の神隠し」のハクも、印象的な目をしていましたし。
あと、「角笛のような声」は…、中国の伝説に「あの世では角笛を鳴らさない。 角笛は龍の声に似ているが、龍は陽の生き物で、あの世は陰の国だから」というのがあったので…。


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