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百毒の長


コロナの街に夜が来て、しんしんと冷えた表通りでは、 冴え冴えとした月明かりに霜がきらきらと光っていました。
冒険者宿を兼ねた酒場の中では、暖炉の火が赤々と燃え、 話し声と食器の音が賑やかに響いていました。

酒場の片隅で、吟遊詩人のミーユが歌を止めて一息入れ、 お湯で割ったブドウ酒で喉を潤していました。
その隣のいつもの席に、ドーソン・トードも座っていました。 カウンターに俯いたまんま、大きなグラスでウィスキーをすすっています。

低い声で挨拶を交わした後、ミーユがひそひそと尋ねました。
「どうしたんですか、その顔は?」
「…やはり、目立つか?」
ドーソンはそうっと頭を持ち上げました。 右頬と右目の周りに、見事な青あざが出来ています。
「まあ、かなり」
ミーユが言うと、ドーソンはがっくりと肩を落とし、
「…水辺のトリのせいだ」
ぼそり、と言いました。
「…水辺のトリが、神の叡智の庭に舞い降りたとたん、 千里を行って帰る獣が飛び出してきおってな」
ミーユが一瞬考えた後、くすくすと笑いだしました。
「レラに飲ませたんですね」
ドーソンは憮然と
「…俺が飲ませたのではない。誘われて、付き合っただけだ」
「一緒に飲んだんですか?」
ミーユが驚いたように言うと、ドーソンは首を用心深くゆっくり横に振り …その瞬間、痛そうに顔をしかめ…ぼそぼそと
「…いいや。なんとなく虫が知らせてな。俺はオレンジジュースにしておいたのだ。
お陰で素早く対応が出来て、助かった…だがいっそ、 一緒に飲んでさっさとつぶれておった方が無事だったかも知れんな」
左手で額を押さえて嘆くドーソンに、ミーユは慰め顔で、
「いいえ、それでは、命がけになっていたことでしょう。 店の被害も甚大にならずにすんだんですし、まだ幸運でしたよ」
「たぶんな…イテテ」
とドーソンは、もう一口すすって、
「まあ、いい経験にはなった。水辺のトリの力を思い知ったからな。
…全く、恐ろしい代物だ。一瞬で、人間を魔獣に変えてしまった。
昔、最初の酒を造った賢者が、うかつにも猛獣の屍から生えた作物を材料に混ぜたと 聞くが…。全く、そのとおりだったに違いない。…百毒の長、キチガイ水とはよく言った。
当分、酒など見たくもないぞ、俺は」
恨めしそうにぼやくドーソンに、ミーユが指摘しました。
「そんな事をいいながら、今、飲んでいるじゃないですか」
するとドーソンは、口に持っていったグラスをおろしもせずに、
「これは、ただの酒ではないぞ。
この世の諸々の憂さを払うために飲む、命の水というやつだ。
まったく…これが飲まずにいられるものか」
そう平然と答えて、グラスを干しました。


レラのイベントには、ユーモアがあるのが多いですが、特にこのイベントは個人的に結構気に入っています。
ドタバタ喜劇風のイメージがわいて…
酒場のほうにも被害が行って、ドーソンが弁償しているのではないでしょうか。
ヨーロッパの中世では、ワインを割った水を普通に飲んでいたそうです。
…ミーユは結構強いお酒も飲めるほうに見えますが、 職業上、のどをいたわってあまり飲まないのではないかな…と想像しています。
蛇足ながら、「水辺のトリ」は、さんずいに酉、「千里を行って帰る獣」とは、 トラのことです。



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