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初夏の森の幼子達


「これはまた、ひどくやられたものだ」

 つやのある葉をつけた、丈2メートルばかりの木を前に、ドーソン・トードは声をあげました。
 そして、離れたところからこわごわと見ている若いエルフ、ユーンをちらりと振り返ります。
「ここまで大量にこの大きさまで育つとは…それも、街中ならともかく、こんな森の中で」

 その木には、灰色の長い毛がまばらに生えた大きな毛虫が、びっしりと取り付いていたのです。 葉はもう、8割方丸坊主でした。
 ドーソンは、右手に持った小さな火バサミを持ち上げると、それを木に取り付いた毛虫の 群れの中に無造作に突っ込んで、枝をぐいとしごきました。

「もうそろそろ、こいつらの天敵の小鳥やハチ達が子育てで忙しくなる頃だろうに… この辺にはいないのか?」
そう、ドーソン特有のよく響く野太い声をはりあげて言いながら、 枝から糸を引いて落ちてきた毛虫たちをバケツに受け止め、火バサミを横に払って、 その糸を切りました。

「たくさんいるわよ、もちろん」
 ユーンの声は、心なしかかすかに震えて聞こえました。

 この朝早く、たまたま森に散歩にきたドーソンは、ユーンから大発生した毛虫をどうにかしてくれ、 と泣きつかれたのです。
 自分でどうにかしたくても、毛虫が何よりも苦手なユーンには、木に近づくことも 出来なかったのでした。

「…天敵がいて、これか。つまり、この木が大分弱っておるのだな」
「ええ、この春の大風で、芽を出したばかりの梢が折れてしまったのよ」
「なるほど…だが、に、しても…」

 ドーソンはユーンを振り返って、
「森を愛するエルフの貴方が、ここまで毛虫が苦手とはな。
毛虫ってのは、蛾や蝶の幼虫達ではないか。こいつらも、森を構成する大事なメンバーであろうに」
 と、にやりと笑って、バケツをユーンに向けて、軽く振ってみせました。 ユーンは思わず後ずさりしました。
「意地悪いわないでよ。分かっていても、どうしても嫌なんだから」
 どことなく、後ろめたそうな声です。

 ドーソンは、再び木に向かって、毛虫取りの作業を続けながら、
「まあな。気持ちはわかる」
 と、うじゃうじゃ入っているバケツを覗き込んで軽く眉をしかめました。
「俺も、この手の毛のまばらな連中はどうも好きになれん。
もっと毛深い、ムクムクの茶色の奴ならまだいいのだが。 でなきゃ、黒くて長い毛がみっちり生えた…」
 ユーンがたまらず、悲鳴のような声をあげました。
「やめてよ、そんな話」
「おっと、すまん」

 それからしばらく、人声は途絶えました。
 時折、火バサミがバケツにあたるガランという音が森に響きます。
 すぐにバケツは、毛虫で一杯になってきました。

「おや、まずいな、これは…」
「どうしたの?」
「こいつら、バケツの壁をのぼって来る」
 ドーソンは、その返事に表情がこわばったユーンを尻目に、
「ひとまず、捨ててくる」
 と、木々の向こうに姿を消しました。
 そして程なく、空っぽのバケツを揺らしながら帰ってくると、黙って再び木に取り付きました。

「…どこに、やったの?」
 おそるおそる尋ねるユーンに、ドーソンは、毛虫が2匹ばかりついたままの火バサミを上げて (ユーンがギョッと腰を引きました)、森の向こうを指しました。
「向こうの方に、これと同じ木が3,4本並んでるだろ? あそこに放してきた」
「そう。…ドーソンは、やさしいのね」
 ユーンが、なんとなし、ほっとした声でそう言うと、
「…それはどうかな?」
 と、ドーソンはわざとらしく、低い悪人声を出しました。
「あの木には、小鳥の巣が2つほどかかっているし、すぐ近くに小さなスズメ蜂の巣もある。
あいつらが生き残れるかどうかは…あいつらの才覚と運次第だな。だが、大変だろうぜ」
 と、にやりと笑って、
「俺はイジワルなのだ。…見かけによらず」
「まあ」
「やさしいのは貴方だ、ユーン。こいつらも、このままほっといたら、葉を食い尽くして飢え死に するだけだからな。
 無事に羽化できたら、助けてくれたユーンに感謝して、この木に卵を産みに戻ってくるかもし れんぞ」
「あら、大変だわ」
 と、ユーンは笑って、
「そうしたら、本当の恩人はこっちよって、あなたの住所を教えてあげなきゃ」

 ドーソンも笑いました。
 それからまた、木に向き直りました。急に、その深い茶色の目から笑いが消えました。
 …そして、わけも無く…やけにそわそわした様子で、毛虫のバケツをのぞきながら、 …独り言のようにつぶやきました。

「だが、こいつらのおかげで、俺ももっとエルフの事を知りたいと思うようになった」
 ユーンはもの問いたげな視線を、ドーソンの背中に送りました。
 ドーソンはバケツの底をにらんだまま、
「俺は今まで、エルフのことを、自然の森を死守して人の手が入るのを絶対に許さない… やたら厳しくて融通のきかない、狭量な種族だと思っていたんだ」
 そっとそう告白して、再びユーンを振り返りました。
「だが、エルフだって…ユーンのように…毛虫が怖かったり、こんな冗談で笑ったりするんだって 分かったから…。俺もエルフと、上手く付き合っていけるような気がする」

 そう言ってちょっと恥ずかしげに笑うドーソンに、ユーンは、静かに微笑んで、 うなずいたのでした。



「森の中で毛虫が大量発生(大発生は、天敵の少ない人間の町の方でよくおこる)」と、 「自然と共に生きる種族が(森の食物連鎖の大事な構成員である)毛虫を嫌う」ことへの、 べに龍のプレイ中の内心のツッコミから生まれたお話です。
「森の幼子」とは、もちろん、毛虫たちのこと。


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