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もっと遠くへ


侍従長のシウジンは、小さなランプを手に提げて、歩きなれたトードフラックス城の 暗い廊下をヒタヒタと歩いていました。
夜明け前のこととて、城の中はがらんとして、人気もほとんどありません。
通用口に立っていた当直の兵が、急ぎ足で通り過ぎるシウジンの半白の頭に向かって、 軽く挨拶の言葉を投げただけでした。

城の外に出たシウジンは、ほのかに明るくなり始めた空をちらりと見あげると、 さらに足を速めました。
シウジンが小走りに向かう先は、昼でもあまり人の近寄らない、庭の荒れた一隅。
そこには、小さな塔が夜目にも黒々と、地面に突き立っているのが見えました。
「反逆者の塔」と呼ばれるこの塔は、王族をはじめとする位の高いものが、 重大な罪…主に、謀反の罪…を起こしたときに使われていました。

王への謀反は、誰が起こそうが即死罪にあたる大罪ですが、 位の特に高いものは、公開で処刑されることはありません。
高位の罪人はまず、この「反逆者の塔」の上にある部屋に幽閉され、 24時間以上経った後で…と、いうのは、この国には、いかなる罪人であれ、 投獄の後丸一日が経つまでは、処刑してはならぬという決まりがあるからです …塔の地階で、ひっそりと斬首されることになっていました。

いま、塔の入り口には、ちらちらと灯が揺れていました。「使用中」なのです。
シウジンは、気遣わしげに、塔のてっぺんにちらりと目をやりました。

この国では、宮廷内の陰惨な権力争いは昔からの…いわば伝統でした。
ときには、それが、内乱にまで発展することもありました。
ここしばらくも、宮廷内では王弟派と王の外戚派との闘争が、激しく続いていました。
その争いは、とりあえずのところ、平和裏に収まろうとしていましたが…
しかし、そのためには、犠牲となる生贄が、必要だったのです。

そして、今回生贄に選ばれたのは、罪のない少年…第3王子、 ドーソン渓谷のヒューレックでした。

「ガエト王弟殿下が、わざわざ甥のヒューレック王子殿下に 『近々、王家礼拝堂の東庭にてお会いしましょう』と声をかけたらしい」
そんな噂が、使用人たちの間に流れたのは、一昨日の夜のことでした。
礼拝堂の東庭は、処刑された王族の墓所なのです。
「王弟殿下も、残酷な方だ…王子も、お気の毒に」

そのれから正式に逮捕されるまでの短い間に、わが身を守ろうと、 幼い知恵を絞って、城中を駆け回る王子の必死な姿を、シウジンだけでなく、 城の使用人の多くは、同情と哀れみを含んだ目で見ていました。

「しかし…この城ではときに、肉親の情は水よりも薄いからな…」
特に、その肉親が、得体の知れぬ能力を持っているとなれば。
ヒューレック王子には、生まれつき目に見えぬ精霊を感じ取る能力を持っていたのです。
それゆえに、呪詛をかけて王室の混乱を引き起こした張本人という汚名を着せられた…
そんな彼に、自分の立場を…あるいは、国の安定を…危うくしてまで、 表立って味方してくれるような者は誰一人いませんでした。

侍従長が塔に入ってきたのを見て、塔の下で当直をしていた兵は目を丸くしました。
が、シウジンが手短に事情を説明すると、シウジンとあまり年の変わらぬこの兵は、 ほっとしたような笑みをもらしてうなずき、大きな錆びた鍵をシウジンに手渡しました。

シウジンは鍵と灯りを提げて、塔の階段を登りました。
突き当たりの扉は、小さいものでしたが、大きな鋲が打たれ、 むやみに分厚く頑丈に出来ていました。
シウジンのしわのある手が鍵を差し込んで回すと、錠は大きな音を立てて外れました。
重い扉を、力をこめて押し開けたとき、突然、彼の足元に何かが激しくぶつかってきました。
シウジンはたたらを踏んで、扉にしがみつきました。
しかし、ぶつかってきた少年は、あまりに焦りすぎて、 開きかけの扉に体のどこかをぶち当てたようでした。
大きな鈍い音と共にはね返され、もといた部屋の床に這いつくばってしまいました。

体勢を立て直したシウジンが、灯りを掲げて扉の向こうに踏み込むと、 ぼんやりした灯りに石造りの狭い部屋が照らし出されました。
這いつくばっていた少年は、驚くほどの素早さで跳ね上がり、床の上をすっとびました。
そして、光から逃げるように、壁から突き出た石の寝台の下にもぐりこんでしまいました。

「イヤダ! 来るな! イヤダ!!」
上ずった甲高い声が、塔の中に反響しました。

暗がりにいても、少年の顔や体にあざや引っかき傷があるのが見て取れました。
青い髪は乱れてほこりまみれ、手には乾いた血がこびりついていました。
無駄とは分かっていても、逃げ道を探してあがかずにはいられなかったのでしょう。
今も、一晩でげっそりとやつれた青い顔に絶望の色を浮かべながら、 それでも少年の目は必死に逃げ場を探して動いていました。

シウジンは、少年を安心させようと笑顔を作り、うやうやしく静かに頭を下げました。
「それがしは執事長のシウジンでござります。執行人ではござりませぬ。
ヒューレック殿下、お助け申し上げます」
「…何?」
少年は一瞬まごついて、侍従長の顔を見上げました。 真っ暗に沈んでいた瞳が、ランプの灯にきらりと光りました。
「それがしを遣わされた方より伝言です。
この国より、お逃げ下さりますようにと」
「でも、叔父上は…?」
今度は、射してきた光にすがるように、身を乗り出した少年は、 それでもまだ疑いを含んだ目で、いぶかしげに尋ねました。
「ガエト殿下は、急な病を召されまして。
…貴方様が国を出るのであれば、生きていようと死んでいようとかまわぬ、と仰せです」
それを聞いた少年の顔に、大人びた苦い笑みが浮かびました。
「叔父上は、迷信など信じる人ではないと、思っていたんだけどな…」

たとえ呪詛の心得がなくとも、その素質をもつ者の強い恨みは災いをもたらす。
ことに死に際の呪いは恐ろしく、たやすく国をも滅ぼしうる。
…この国では、昔からそう言い伝えられていました。

自分を滅ぼしかけたモノが、偶然の助けで、土壇場になって自分の命を 救ったことになります。
「皮肉な運命…って、こんなことを言うんだろうね」
王子は立ち上がり、早足で執事長に歩み寄りました。
「…で、僕はどうすればいい?」
「ご一緒においでください。お召し替えと馬をご用意しております」

…半時後。いくらかこざっぱりとした様子で、小姓の外套に身を包んだ王子は、 シウジンと共に城の裏口に向かっていました。
「くれぐれもご注意を。公には、殿下は亡くなったことになりますゆえ。
近隣の国々ではなく、遠国へ…フロスティにでも行かれますように
…と、それがしを遣わした方はそう仰せです」
そう言いながら先導していくシウジンに、ヒューレック王子は、 皮肉に笑ってうなずきました。

「神竜の国フロスティ」は、この国では、奇妙な国として知られていました。
神龍を奉る、と自称している国。
戦嫌いで軍隊は弱いのに、なぜか他の国の軍隊を寄せ付けません。
噂では、王族が奇妙な鏡の魔法を使うとか。
…おそらく、その魔法の威力は、今ある国土の中にしか届かないのだろう… そう、思われていたのです。

「なるほど…僕を厄介払いするには、たぶん、最適の国だね」
王子は、すこしずつ明るさを増していく曇り空を見上げました。
「でも…きっと、ここよりはマシな場所に違いない。
向こうに着いたら、またもっと『マシな場所』を探しに行くさ… 僕は、いつもいつも、『ここよりマシな場所』を探しているんだから」

通用門には、鞍を置いた小柄な葦毛の馬が待っていました。
それに、王家の女性に仕える、直属の兵士の1人も。
「シウジン…妹のリーアに、ウサギを勝手に放してごめんって、伝えてくれないか。 僕はあれを、『ここよりマシな場所』に行かせたかったんだ。
それから…君達を遣わして下すったお方に……その…いや、なんでもない。
その方に、心から感謝していると、お伝えしてくれ。
それから…それから…」
しばし言葉を捜したあと、王子は、光るものが浮かんだ瞳を伏せて、
「ありがとう…さよなら」
それだけ言うと、小さな荷物と共に小馬にまたがりました。
「さあ、行こう。もっと遠くへ…」

「お気をつけて…」
王子が無事に駆け去るのを見届けて、シウジンは、兵士とほっとした顔を見合わせ、 そそくさと城の中へと戻っていきました。

その直後、フロスティの国が丸ごと、霧の中に消えた…そんな噂が流れてきました。
トードフラックスの事情通は、「ヒューレック王子の呪いがフロスティを消した」 と、囁きあいました。
しかし、シウジンは信じていました。
王子は、『もっとマシな場所』を探してフロスティの国と共に旅立ったのに違いない、と。


ドーソンの過去…フロスティに来る前のお話です。
「王子と精霊使い」で、書き足らなかった分を補足しました。
ドーソンの本名もどうやら決定することが出来ました(笑)
この後、国を出てフロスティの城に入り込むまでも、いくつも冒険があったこと でしょうが…そのあたりは、ご想像にお任せします。

これを書いている間、 王子がシウジンに「自分は丁度良いときに殺されるために飼われているスケープゴート なのか、自分の命はペットのウサギより軽いのか」と食ってかかるシーンとか…
彼の精霊についての師であった魔道師のグロウが、この事件の時、遠く離れた森の中で 遠距離からの呪詛による極度の疲労でぶっ倒れてたとか…
リーア姫は王直系の唯一の姫君であったため、そこそこ気を付けていれば 命は保証されていた(政略上のコマとして)とか、 妹は彼の異能の理解者で仲が良かったが…とか
…色々いらんことばかり 浮かんできてしまって困りました。



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