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幻獣の秋


 しばらく続いた雨が、からりと上がったある秋の日の夕暮れ。
 アルターと、僕、コリューンは、一杯やろうと、スラムの酒場の扉をくぐった。
 長雨に街外れの道が崩れたと聞いて、補修の手伝いに行った帰りだった。 道を塞ぐ岩だの丸木だのをとりのける作業を一日続けた後で、2人ともさすがにくたびれて泥だらけだった。

「ほい、らっしゃい。ご苦労さん」
 マスターのマノンが出してくれたのは、半発酵した今年のブドウ汁(酒)。 それに沢山のキノコ…はつたけ、くりたけ、ひらたけ、なめたけ… それを、バターでいためたり、さっとゆでて刻んだピクルスと和えたり…じわりと、つばが沸いてきた。
「お、いいね。秋の味覚だね」
「ウチの常連が、ツケの代わりにって森で採ってきたのさ。お代わり自由だ、好きなだけ食ってくれ」
「おう、すまねえな、マノン」
 と、アルター。
 すでにパクパク始めていた僕は、返答が少し遅くなった。
「…へえ、どこにでも同じような事をする奴はいるもんだな…僕も昔はよくやった」
 アルターが、意外そうにこっちを見た。
「へえ、コリューン、おまえが?」
「ああ、よく飲み代を『物納』したものさ。ずっと昔、旅に出る前のことだけど」
 マノンは笑って、
「ま、誰でも若い頃はそういうことをするもんだ。よく、踏み倒さなかったな」
「踏み倒した事もあったよ…夏に魚が釣れなくてね。その秋に、山が豊作だったんで、そっちで返したけど」
「なんだ、そのときオレがいたらな。いくらでもおごってやったのに」
 と、アルターが笑った。
「つくづく君は気前がいいな…いくらオカネモチでも、気前よすぎるって。君は、あの頃の僕を知らないから、そんな事言えるんだ」
 僕は、そういいながら、アルターのコップにもう一杯注いでやった。
 それきり、話は別な方へと流れていってしまったが…。
 僕は心の片隅で、昔を…二十年近い昔の事を思い出していた。 遠い故郷の、冒険者の仕事などまずないような小さな町で、ふらふらしていた頃のことを…。
 そして、そんな生活をきっぱりと止めてしまう事件が起きた、ある秋の日のことも。


 スラムの酒場で、アルターと賑やかに飲んでいるうちに、すっかり夜も更けてきた。
 僕らの話題はあっちこっち飛び移った挙句、恋愛談義に移っていた。
「コリューン、おまえ、かえるになる前に、好きなコがいたんだろ?」
 アルターが、陽気に聞きながら、僕のコップにブドウ酒を注いだ。
「絶対いたはずだぜ。な、どんなコだった?」
 なぜ、そう確信持って言えるんだろ?
「うん…好きになった相手は…いたと言えば、いたよ。でも…」

「ねえ、その話、おいらにも聞かせてよ!」  突如、カウンターの下から、小さなピンク色の頭がにょきっと生えた。思わずのけぞって、酒をぶちまけそうになる。
「リ、リュッタ…いつの間に」
「あたしも聞きたいな。ねえ、いいでしょ」
 ルーまで、こっちに来て言った。手に空のジョッキが乗った盆を持ったままだ。
「かまわないけどさ…でも、つまんない話だよ。聞いたらがっかりするよ」
「かまわねぇよ。いいから、話してみなよ」
 と、アルター。ルーは、
「じゃ、あたし、これ置いてくるから、ちょっと待っててね」
 そしてリュッタは、黙ってカウンターによじ登り、コップの隣に座り込んだ。

「…じゃ、話そうか。いつかは話さなきゃと思ってたことだし」
 僕は、静かにコップを干すと、唇をなめて、最初の言葉を探した。


「僕が好きになったのは…ヒトじゃないんだ。
人間でも、エルフでもドワーフでもホビットでもない」

「じゃ、誰なの?」

「四本足の幻獣…ユニコーンさ」

「おい、それって…」

「変だと思うかい?
 だけど、昔話や伝説では、美しい人間の娘を好きになる動物や魔物が、あんなにいっぱい出てくるじゃないか。
 一人くらい、幻獣を好きになってしまう人間がいたって、そんなにおかしなことじゃないだろう?」

「彼女に会ったのは、今日みたいな、よく晴れた秋の夕暮れのことだったよ。
 キノコ採りに行った帰り、牧草地の間を抜けていたときのことさ。
 もうすっかり暗くなっていてね。辺りは紫色に染まって、月が白っぽく光ってたっけ。
 最初は、馬だと思った。林の薄闇のなかを、ぼうっと白いものが動いているのが見えたんだ。
 けど、馬にしちゃ小さいし、第一そんな時間にそんなところに馬がいるわけはないしね。で、そっと近寄ってみた。そしたら…
 …そしたら…ユニコーンが、いた…」

 僕は言葉を失った。あの時見たものを、言葉にすることなんて、一生かかっても出来ないだろう。
 僕はただ目を閉じて、深いため息をついた。

「ユニコーンがいたんだ…きれいだったよ。それはそれは美しかった…今も、僕の心に焼き付いてるよ。
 大きさは赤鹿くらいかな。真珠色に輝いて、たてがみは銀の蜘蛛の糸を束ねたようで、角は嵐の前の夕焼け雲のような色をして。 目は…目は…この世のどんなものよりも…」

 話せば話すほど、言葉は本物から遠ざかっていく…僕は、黙り込んで、またため息をついた。

「…それで、コリューンはどうしたの?」

「ただ、黙って見つめただけさ。彼女も、黙って僕を見つめ返したよ…あの…あの、例えようのない黄昏色の瞳で…。
そうやって、どれくらい経ったのかな。突然彼女は視線を外して、真珠色の炎のように、まっすぐ西の方へ駆け去ってしまった…

…そのときから、僕にとって、世界はすっかり変わってしまったんだ。
何も目に入らない、何も耳に聞こえない。ただただ、彼女の姿を思い出すばかりで…。
もう一度、一目でいい、会いたくて会いたくて…どうにもたまらなくって。僕は、彼女を追って町を出た。
…そうするより、なかったんだ」

「だけど、捜すあてはなかったんだろ」

「なかったよ。ただ、西の方に向かって闇雲に探し回った。冒険者の真似事をしながらね。
 だけど、そうするうちにだんだん分かってきたんだ。
 捜すだけじゃ、駄目なんだって。もっと人として立派にならなければ…今の僕の前には、彼女は現れてはくれないだろうって。
 …最初に出会えたのは、一生に一度の、幸運な偶然だったんだな」

「そうかな? 今のコリューンを見ていたら、会うべくして会ったんだって気もするけどね」

「まさか…だとしても、やっぱりあの時のままじゃ、ダメだったよ。
 だから、少しづつがんばって、いろんな経験を積んで…
 
 でも、そうしているうちに、また新しく分かったことがあったんだよ。
 ユニコーンたちは、人間たちの心がすさんでいるときには、決して人間の世界にはやってこないってこと。
 彼女たちは…ユニコーンは、真に清らかな生き物なんだ。
人間の世界が穏やかで…多くの人々が思いやりや笑いを忘れずに生きていられるようなときだけ、僕らの世界にもやってくるのさ。
 
 こうなると、僕一人の手に負えることじゃないよね。けど、僕にだって何か出来るはずだろ。
 僕は、僕なりに…一人の冒険者なりに、出来ることを捜していった。
 その頃のことさ。レオンに出会ったのは。
 
…それからの事は、君たちも知ってるだろ?」


「…それで、コリューンは、今でも、まだそのユニコーンを捜してるの? 十年もかえるになった後で…」
 ルーが、低い声できいた。
「ああ。あの時を思い出してしまったら、もう戻れないよ。
 それに、彼女のためなら…そして、彼女にもう一度会うためだったら、僕はたいがいのことには平気さ」
「竜と戦ったり、かえるになるのがたいがいの事かなぁ…」
 と、リュッタが首をひねった。
「いや、コリューンの言う通りだ! 分かるぜ、その気持ち」
 横からアルターが相槌を打った。
「おまえは、朴念仁って訳でもないのによ、女の子の話になるとやけに反応薄かったもんな。 きっと誰か本気のコがいると思ってたぜ。…まさかこんな話だとは思わなかったけどよ」
「でも、それじゃ、コリューン、いつかは…コロナの街を出て行っちゃうの?」
 リュッタが泣きそうな声を出した。
「そうだね。コロナのババが言ってた。 『焦らずになすべきことをなせ…おまえにその用意が整ったとき、知らせは届くであろう』って。
 でも、そんな顔しないでくれよ。それがいつのことになるか…何年か、何十年後かも… それに、どんな知らせかも、分からないんだから」



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