僕は、部屋の窓を細めに開けて、そこに顔を引っ付けた。弱い月の光の中で、吐く息が白く光った。
夢の中で、人間としての昔の記憶を思い出すと、かえるとしての、一番古い記憶もよみがえってきた。
…かえるになった僕は、目を回してへたりこんでいた。
あたりを振るわせて、あざけりのこもった大音声が響いていた。
だが、その声が何を言っているのかは、さっぱり分からなかった。
混乱して訳も分からないまま、ただおびえてそばの岩かげにもぐりこんだ。
やがて、あたりが静かになった。
だいぶ経って、何もいないことを確かめてから、僕はおどおどと這い出してきて、
水辺を求めて岩だらけの斜面を延々と跳ね降りていった…。
それからずっと、僕はのんきに、十年一日のかえるの暮らしを続けていたのだ。
単調ではあったが、それなりに楽しかった。
夏至の頃、水底にさしこむ朝の日光や、秋の日、枯れた睡蓮の間から見上げる澄んだ空は、それはきれいだった。
思い出せば、なんだか懐かしい気持ちにさえなる。
…今は、それが、妙に心苦しい。
あの、バレンシアの剣士レオンの、何が何でも自分一人で赤いドラゴンを倒す、という、かたくなな態度の訳も、分かってしまったから。
「…あの、カチコチのクソマジメ」
僕は、思わず声に出してつぶやいた。
「勇者」という名声と共に、バレンシアの街の運命を背負ったレオンは、十年前、ドラゴンとの戦いに当たって、
僕には想像もつかないほどの、悲壮な決意を固めていたのだろう。
「生憎、お前のご立派なご親友は、お前ほどマジメでも、高潔でもないんだよ」
僕だって、ドラゴンを甘く見ていたつもりはない。
だけど、本物のドラゴンを間近に見ることが出来る、という子供っぽいドキドキや、
強大で絶対的な敵を相手に思うさま戦える、自分の力を試せるという、不謹慎なわくわくが無かったといえばうそになる。
ロンダキオンを過信していたことも、間違いない。
…それに、他にも、僕にはドラゴンと戦う個人的な理由があった…はずだ。今はまだ、思い出せないけど…。
そうとも知らず、そんな僕に庇われた、というだけで…
レオンは、自分で自分を呪縛してしまった。
全てを自分自身とドラゴンのせいにして、自分自身でドラゴンを倒さなければならないと、骨のずいから思い込んで…
ほかに何も見えなくなっている。
「畜生、勝手に借りを作ってんじゃない。僕はそんな貸しが出来る男じゃないんだぞ。知らなかったのか?!」
だいたい僕は、あんな風に仲間の身代わりになることが、そんな立派なことだとは少しも思わない。
自己犠牲なんて、本当に最後の最後の、最後の禁じ手だ。
生き残る者達や、残された問題をほったらかして、一人で行ってしまうのだから。
そんなことで、過大評価されるなんて、まっぴらだ。
「…ようやく、分かったよ。お前の態度を見るたびに、何でこうも腹が立って、悲しくなるのか」
親友と言いながら、あいつも僕も、互いの本当の思いが、理解できていなかったのだ。
僕はそんなに「高潔」でも、「立派」でもない。
あいつを助けたとき、代わりに僕がやられてしまったのは、僕が、あの瞬間、単に間抜けな判断ミスをしたからにすぎない。
何より…僕はただ、あの時、あいつに生きてて欲しかった。だからこそ、助けたのに…。
なのに、今のあいつは……亡者だ。妄念に突き動かされた、亡者も同然じゃないか!
「あの時の戦いが、お前を十年もの間縛り付けてしまっていたなんて…
バレンシアに帰って、皆に話すことすら出来なかったのか?!
今度会ったら、お前のそのクソマジメな思い込みを、ご親友がどれほど手酷く裏切っていたか教えてやるよ。
…だから、少し楽になれよ!」
僕の声は、白い息と共に、表通りの夜闇に溶けていった。
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