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洗う門には服来たる


 その日は、朝からおそろしくいい天気だった。
怖いほど深くきれいな空の色と、まぶしく輝く木々を見ていると、屋根の下にいることさえ苦痛になってくる。
 酒場の、小さな窓枠で切り取られた小さな空の色に、目が吸い付いてはなれない。
僕は、もう、朝ごはんを食べる間さえ惜しくなってきた。
 どうにも我慢できなくて、昨日立てた今日の予定…薄暗い建物の中で、一日中鍛錬…は、あっさり捨ててしまった。

 …さて、それじゃ、屋外の仕事を探そうか、それとも息抜きに、森へでも出かけてしまおうか。

 マスターご自慢のまかない飯・豆と残り物のごった煮スープ(コショウ風味)に 塩味の効いた堅パンを浸したまま、そんなことを考えていると…
「よう、コリューン。今日、暇か?」
 アルターが声をかけてきた。渡りに船と、僕は勢い込んで答えた。
「暇、暇!」
 聞いてアルターは、にかりと笑った。
「よかった。洗濯物がたまってんだ。手伝ってくれねえか」
 僕は思わず、口に押し込んだばかりの堅パンを、そっくり飲み込んで息を詰まらせた。

 …ま、いいか。少なくとも、青空の下で仕事が出来る。洗濯日和なのも確かだしね。

 と、気を取り直して出かけたが…
狭いとはいえ、一部屋の床が八割方、汚れ物の山で埋まっているのを見たときには、気が遠くなった。
「いやー、なんせ俺、きれい好きだから。同じシャツをずっと着ているのが嫌で、つい次々新しいのを買っちまうんだ」
「そういうの、ズボラっていうんじゃないか? 普通は」
 運ぶだけでも一苦労…アルターの部屋から、最寄の共同の洗い場まで、戦士二人が抱えきれるだけ抱えても、二往復かかった。

 街の共同の水場は、大きな石造りの水槽をいくつも、段差をつけて並べたような形をしている。
一番上の水槽に、泉から引いてきたきれいな水が流れ込み、それが順番に低い水槽に流れていく。
一番上は飲み水専用。以下、食材洗い用、食器用…と続いていく。

 僕らが仕事を始めたのは、朝ごはんの片づけが終わった頃。
洗い場も人気無く、静かだった。
「さあ、今の内に片付けようぜ!」
 威勢良く言って仕事に取り掛かったアルターだが…
「アルター、君、いくらなんでも荒っぽすぎるぞ。そうむやみにガシガシやっちゃ、穴があいちゃうだろ」
「そうか? けどよ、力入れて洗わねぇと暇がかかってしょうがないぜ」
 アルターはそう答えてガシガシ洗い続けた。よく見ると、そう古くもないのに、つぎの当たった服がかなりある。

 …しかし、アルターがやったにしちゃ、ずいぶんきれいな縫い目だな。

 そう思いながら洗っていると、頭の上からけたたましい声が降って来た。
「あーら、おはよう、アルターちゃん。いつもうちのチビ達がお世話になっちゃって」
 見上げると、恰幅のいい、いかにもおしゃべり好きの「街のおばちゃん」がいた。
自分の持ってきた洗濯物を洗いながら、陽気にしゃべり始める。
「あら、おはよう。あなたが、コリューンさんね。お噂はかねがね…」
 僕が挨拶を返した後も、アルター相手におばちゃんの口は止まることが無い。
「今日はお洗濯? あらあら、また、ずいぶんためちゃってるわねぇ。
アルターちゃん、あんた、いつまでもフリーの冒険者なんてやってないで、早く定職持って、お嫁さんもらいなさいよ。
あんたのお母さんも喜ぶわよ。なんならおばさんが…」
 アルターは、どこか引きつった笑顔で適当に相槌を打っている。

 …でも、ここであからさまに嫌な顔をしないところが、アルターのいいところではあるかな。

 などと思いつつ、他人事なのをイイことに、僕は黙って見ていた。

 …巻き込まれちゃ、かなわないしね。

やがて、ご近所の奥さん方が次々と集まって来た。
早速、おばちゃん同士で井戸端会議が始まり、 ようやくアルターは開放されて…
「あらぁ、アルターさん、今日はお洗濯? 雪が降らなきゃいいけどねぇ」
「もっとマメにならないと彼女できないわよ」
「そうよ、女の子はそういうのチェック厳しいんだから」
 いや、「いくらか」開放されて、「おおむね」洗濯に専念できるようになった。

 …おまけに、この手際の悪さじゃ、今日中には終わらないかもしれないな…

 僕は密かにため息をついた。が、
「もう、見てられないわね。貸してみなさい。いい、こういうシャツを洗うときはね…」
「その大きいの、あんたたちじゃ無理だわよ。こっちも終わったからね、一枚だけ手伝ったげるわ」
「あら、それ、大きな穴あいてるじゃないの。預かってっていい? おばちゃんが直してあげる」
 思いがけない形で、急激に仕事がはかどり始めた。
洗濯物の山はぐんぐん小さくなり、お昼すぎにはなくなっていた。
だけではなく…
「…ほら、そのマントも、ほつれてるじゃない。貸してご覧なさい。
こんなおばさんで悪いけどさ、いない彼女の代わりに繕っといてあげるわよ」
 アルターのマントまで引っぺがされていた。

 僕は、どうにも我慢できなくなって、こっそり冷やかした。
 「よっ、マダムキラー」
 「やめろよ」
 アルターは、怒ったふりで「すごい目つき」で睨んで見せた。
 が、その目にはどうにも情けない表情が張り付いていて…
ついつい、馬鹿笑いが止まらなくなった…ごめんよ、アルター。



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