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ナン%勇気


 『死者の館』…満月の夜だけ門が開き、中では生ける死者のうごめく謎の館。
 そこでの探索行を、無事に成功させ、僕らが館から出たときには、 空は夜藍色から深い青に変わり、東の端はすでにしののめの紫色に染まっていた。
 意気揚々と先頭を切って、館の門を出るアルターの手の中には、 『死者の館』の最深部に眠っていた伝説の石、『月のしずく』が暖かい橙色に輝いていた。

「この石を、見せたい奴がいるんだよ」
『月のしずく』を手のひらで大事そうに転がしながら、アルターは言った。
なんだか、少し硬い声だった。
「アレックスだろ? 君に剣を習ってる、そばかすのあるやんちゃな子。
今、足を怪我して診療所に入院してる…」
 僕が何気ない風に聞くと、アルターの足が、一瞬止まった。

「…知ってたのか?」
「ん。君と一緒に剣を教えに行ったとき、会ってたからね。顔は知ってる。
それに、…実は、アエリア先生から、いきさつも聞いてるんだ。
なんでも、剣の練習中に事故ったんだって?」
「そうだ。俺が剣を教えてたときに、自分の剣が刺さっちまったんだ」
 答えるアルターの声が、さらに硬くなった。
「そういえば、あの子、僕が行ったときも、しきりとホンモノを使いたがってたな」
「ああ」

 剣を持つものなら誰でも、真剣の恐ろしさを、よく知っていなければならない。
僕だって、それを知らないような奴には、隣で武器を振り回して欲しくはない。
 だからこそアルターは、あえてアレックスに実戦の可能な真剣を持たせたのに違いない。
 …だけど、今回の経験の代償は、高くつきすぎた。

「…よっぽどショックだったらしくてな。怪我は直ってるんだが、立つ訓練をしようとしねぇんだ」
「それで、この『月のしずく』を…」
「ああ。この石が見えるのは、勇気がある奴だけだって言うからな。
これを見せれば、あいつも絶対、元気出してがんばってくれる」
「うん、違いない。あの子なら、きっと…」
 僕は、始めてあったときのアレックスの表情を思い出しながら、相槌を打った。

 そして、その通りになった。
 『月のしずく』を目にしたアレックスの、かたくなな表情は、みるみる解けて明るくなっていった。
 同時に、アルターの表情もまた、柔らかくなっていった。

 僕らが診療所を出たときには、太陽はもう、高く上がっていた。

「ほんとに良かったね、アルター」
 僕は心から言った。アルターは、晴れ晴れと、
「ああ。お前が助けてくれたおかげだ」
「いやいや…僕は、君についてっただけさ。
 アルター、君は、本当に勇気があるよ」

僕が言うのは、大それた、向こう見ずな勇気のことじゃない。
誰もが持っているはずの、ほんの小さな勇気のこと。
ほんの小さな…でも、出せさえすれば、その人の世界を変えることも出来る程の力を秘めた、勇気のことだ。
アルターには、それが出せる。
教え子に、あえて危険を経験させる、勇気…今回は、裏目に出たけど…。
心を閉ざしたアレックスの元に、何度でも通いつづけ、励ましつづける、勇気。
そして、誰もが持っているはずの、『小さな勇気』の力と可能性を信じ、すべてを『月のしずく』にかける勇気を。

「君だから、取れたのさ、『月のしずく』は」
 僕が言うと、アルターは頭を掻いて、
「よせよ。俺はただ、アレックスが…その…ええと…
とにかく、そんな小難しいこと考えて冒険したんじゃねえよ」
 と、空を見上げ、それから不意に思い出したように
「それより、腹減ったな。飯食いに行かねえか?」
「行こう行こう、正直、はらぺこでぶっ倒れそうだ」
 僕は、両手を挙げて賛成した。

 アルターが、子供たちに剣を教えつづけるためには、これからも沢山の小さな勇気が必要になるだろう。
けれど、アルターなら大丈夫だろうな。きっと。
「…んでも、今回みたいに手助けがいるときがあったらさ、今度は報酬抜きで付き合ってもいいよ、勇者殿」
「ん? なんか言ったか? コリューン」
「何も…さあ、早く店に行こうや!」



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