赤竜編・目次にもどる


冒険すんで日が暮れて


 夏もようやく盛りを過ぎた、八月末の夜。
 僕らは、谷間に野営していた。
 この昼過ぎまで、この谷間には、一体の怪物が闊歩していた。
 今、怪物は、僕らの手で退治され、谷は夜闇の底に沈んでしんとしている。
 空は暗く、小さな焚き火の、揺れる橙色の炎で、眠っている仲間達の顔を見分けることがやっとだった。
 最初の当直に当たった僕は、乾し肉のかけらをしがみながら、今回の冒険の依頼主でもある冒険仲間、女剣士レティルの語った過去を思い返していた。

 バレンシアという街の、貴族の令嬢だったこと。
 泣き虫だった幼い日、いつも励ましてくれた、レオンという名の、黒髪の剣士のこと。
 レオンが、すばらしい勇者であり、弱いものには限りなくやさしかったこと。
 ある日、赤いドラゴンとの戦いに赴き、街を救ったこと。
 …そして、それきり帰ってこなかったこと。
 だが、彼女だけは、勇者の生存を信じ続け、もう一度会うために旅を続けていること。
そして、彼女は、その勇者レオンの生きている証を今日見つけたと言った。
 今日退治した怪物の背に刺さっていた剣こそ、その勇者レオンの剣だというのだ。
なぜ、そんなに会いたいのかと聞くと、レティルはこう答えた。
「私に勇気をくれた人だから…」

「“私に勇気をくれた人”…か」

 でも、レティルの勇気はきっと、元々彼女自身が持っていたものだ。
 レオンなる人もきっと、レティルが自分の勇気を呼び起こす、その助けになれたことを知ったら、喜ぶことだろう。
 彼女の強い信念をたたえた静かな声と、明るい言葉使いは、聞いているだけで頼もしい気持ちになってくる。

「…だけど、恩人扱いされるのは、嫌がるんじゃないかな…?」

 大きすぎる賞賛は、困惑の…そして、誤解されているという不快感の元になりはしないか。
 故郷にも戻らず、たった一人で冒険を続ける、孤高の剣士の胸のうちは、どんなだろう。

 ぼんやりそんなことを考えている間に、だいぶ細くなった月が昇ってきた。
それを眺めているうち、不意に寂しさがこみ上げてきた。
 なぜなのか、僕自身にも、全く訳がわからなかった。
 理由も無い、突然の心の大揺れに、僕自身がうろたえた。
 そんな僕にお構いなしに、寂しさは胸の奥から痛いほどにぐいぐいこみ上げてくる。
 僕は慌てて頭を振った。
「いかん、眠りかけているらしい。夢を見ているんだ」
 気持ちを現実に引っ張り戻そうと、何度もぶんぶんと首を振り、立ち上がって大きく伸びをした。
 けれど、奇妙な寂しさは、見張りを交代するまで去ろうとはしなかった。



赤竜編・目次にもどる
ページトップにもどる