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石の鼻


当たると痛い、かみそりのような真冬の風が、コロナの大通りを吹き抜けてゆく。
どんより垂れ下がった空からこぼれてきた雪の華が、風の中を舞い狂い、僕の顔を叩く。
僕がふと、ドワーフの鍛冶屋・ロッドに修理を頼んだ神具・ロンダキオンの様子を 見にいきたくなったのは、もしかすると鍛冶場のごうごうと燃える炉が 恋しくなったからかもしれない。

「おはよう。ロッド、邪魔するよ」
僕が鍛冶屋に入っていくと、ロッドは仏頂面で仕事場から出てきた。
が、僕の顔を見ると額のしわが消え、目に笑いが浮かんだ。
「なんだ、お前さんか、コリューン。まぁ、こっちに入れ」

ロッドの仕事場は、いつもきちんと整頓されている…ロッドの私室とは正反対だ。
作業台の上には、壊れた石をはずされたロンダキオンと、加工しかけの長月石。 その周りを囲んで、様々な奇妙な道具が、整然と並んでいた。
ロッドは、そっちに向って手を振りながら、
「ロンダキオンを見に来たんだろ? 見てのとおり、順調だぜ」
「触ってみてもいいかい?」
作業台を覗き込んでそっと尋ねると、ロッドは言った。
「いいとも。お前さんなら大丈夫だ。なんたってこの娘(こ)は、 お前さんに首ったけだからな」

僕は石をそっと摘み上げて、手のひらにのせた。宝石はひんやりとして、 奥のほうから静かな光を放っている。
「…首ったけって…石が人を好いたり嫌ったりするのかい?」
尋ねたら、ロッドは、白い歯を見せてにかりと笑った。
「もちろんだとも。特に長月石は人見知りが激しいんだ。 お前さんのような石自身に気に入られた者か、俺のような超一流の宝石職人でなきゃ、 近づくだけでへそを曲げちまう」
ロッドはまた、ひげの中から白い歯を見せた。
「中でもこの娘は、とりわけ気難しくて気が荒いようだ」

「気が荒い?」
僕は首をかしげてみせた。
「そうとも。まあ、お前さんにはわからんだろうがな」
ロッドは目を細めて僕の手のひらの宝石を見やりながらうなずいた。
「扱いは難しいが、このぐらいの娘でなければ、赤い竜の毒気には太刀打ちできないだろうぜ」
「毒気って…?」
「ああ。お前は知らないだろうが、火竜には石たちが嫌う、独特の気(け)があってな。
俺たちドワーフは、そいつを「火竜の毒気」と呼んでいるんだ。
たいがいの石は、その毒気に耐えられない。長くそばに置けば、壊れちまうんだ。 よほど性根の座った石でないとな。
…火竜の牙は、並みの砥石じゃ削れねえし、火竜の寝床が鋼より堅いロキの岩と決まっているのも、 そのためなんだぜ」
そう教えてくれて、ロッドはまた長月石に優しい目を注いだ。
「こいつはまれに見るべっぴんさんだ。それに、こんなじゃじゃ馬ははじめてだ。 きっと竜を相手にしても、素晴らしい力を見せてくれるだろうよ」

そういった後、ロッドはふと顔を曇らせた。
「…なあ、コリューン。お前さん、この辺りで身なりのいい、 長い黒髪の剣士を見かけなかったか?」
「いや…」
僕はどきりとした。
「けど、心当たりはあるよ。レオンって名前で、赤い竜を追っている人だ…」
「そうか。もしそいつに会ったらな、むやみに俺の鍛冶場に入るなと言っておいてくれんか」
「え? なんで」
「実はな、そいつがこの前、ここへ来たんだ。 どこで聞いたのか知らないが、ロンダキオンを見せてくれと言ってな」
ロッドは顔をしかめた。
「だが、この娘は、お前や俺以外のものがこの仕事場に入るだけで ご機嫌を損ねちまうくらい気難しいからな」
「ご機嫌を損ねるって…。それで困るわけじゃないだろ? 見せるくらい…」
僕が言うと、ロッドは首を横に振った。
「加工中の長月石は、デリケートでな。仕上げてしまうまでは、壊れ物みたいなもんで…
ちょっとでも機嫌を損ねると、とたんに扱えなくなっちまう」
「…………」

「…で、断ったんだ。それでもしつこく頼んで来るんで、 しまいにゃ頭に来て追っ払ったんだが…
どうも、奴さん、俺の知らないうちにこっそり覗いて行ったらしくてな」
ロッドは、いっそう難しい顔をして、ため息をついた。
僕は、胸の奥の方がきゅっとせばまるような心地になった。
「俺が気が付いたときには、こいつ、どうしようもなくご機嫌を損ねていて、 手がつけられなくてな。
どうにかこうにか、少しずつなだめて、やっとまあまあ落ち着いてくれたんで、 こうして作業を再開したんだが…
お陰で何日か無駄になった」
ロッドは、厳しい眼つきで石を手にした僕を見据えた。
「こんなことが繰り返されたら、仕事が遅れてお前さんの呪いの期日に 間に合わなくなっちまう」

それから、ロッドは言いにくそうに、低い声になって、
「それに……この娘は、どうも、あいつが特に気にいらんらしい。
あいつがこの鍛冶屋に入っただけで、もう機嫌が悪くなる」

胸の奥が痛んだ。…赤い竜への執着で生きているようなレオンには、残酷な話だった。
「なんでこの宝石は、僕だけが気に入るんだろう? なんで、そんなにレオンが嫌いなんだろう?  いい人なのに…」
「さあな」
ロッドはそっけなく言ったが、すぐ考え込むような目つきになって、
「この娘の心はそんじょそこらの女心より難しいからな。
だがおおかた、あいつの匂いが気に入らないんだろうよ」

おかしくもない冗談に思えて、僕は苦笑いした。
「石に鼻なんかないだろう」
ところが、ロッドは大真面目だった。
「こいつらは、人の匂いにはうるさいんだぞ。長年付き合ってきたから、 俺にも少しは分かる。
お前さんは石に好かれそうな、独特のいい匂いをしているんだ」
「独特の匂いって…どんな匂いなんだい?」
ロッドは眉根を寄せて、考え込んだ。
「説明するのは難しいんだが…なんというか、お前さんからは…うーん、強いて言えば…
素直な玄武岩のような…いや、まあ、そんなふうな…いい匂いがするんだ」

僕は、改めて長月石を見つめた。石は、相変らず知らん顔で…と、僕には見える… 冷たく美しい光を放っている。
ロッドは、優しい目で、何も言えずに考え込んでいる僕を見て、
「…ま、そうは言っても、好き嫌いは人それぞれ、石それぞれだ。 誰にもどうにもなるもんじゃないからな。気に病むな」
そう言って、僕の背中をどやした。

「まあ、まだ日はかかるがな。ちゃーんと、期日には間に合う…ロンダキオンのことは、 安心して任せてくれ」
ロッドの声に送られて、僕は鍛冶屋を後にした。
鍛冶場の炉で体は温かくなったが…なんとなく、胸の中がすうすうしたまま…。
どんよりとした空が、僕の心を映しているかのように重く広がっていた。


おまけ
「コリューン、お前の斧、見せてくれんか」
「いいけど…どうして?」
「ああ、俺は武器職人としても一人前じゃあるが、本職は宝石の方でな。
ここだけの話だが、武器の方はドワーフの基準では超一流とはいえんのだ。
お前さんがドワーフ村からもらってきたそいつは、 歴史的な超一流の職人の手によるものだからな。参考にしたいんだ」


べに龍的ロンダキオンへの考察(その1)です。
前にも書きましたが、どうも、ロンダキオンは聖具と言うより マジックアイテムという気がします。
で、持ち主を選ぶ…といっても、主人公(コリューン)が特に選ばれし 存在だったと言うよりは、個人的な相性の問題に思えて。
強いて言えば、目的意識でがちがちに凝り固まった人間よりは、 素直にロンダキオンそのものを受け入れる人間の方が適性があるのかな …と、思うくらいです。
それで、こんな話を書いてみました。

この話にはもう一つ元ネタがあります。
かつてやったTRPGのキャンペーンです。
私はドワーフの鍛冶職人を演ったのですが、長い冒険の後で、 女の子の人格を持つ精霊が宿る魔法の剣を鍛え上げました。
なかなかお転婆な娘で、生みの親を質問攻めにしたり、あらゆることに首を突っ込んだり、 苦労させられました。
でも、好奇心旺盛なのも、あらゆることに積極的なのも、 自分の果たすべき役割を探し出すためで…最後には、邪龍に止めを刺して、逝きました。
なんだか、愛娘を見守る気持ちでその剣を見守っていたので、 別れは少々切なかったものです。

そのときの記憶が、ロンダキオンとロッドに少々反映されています。



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