朝から、晩春のひどい嵐が酒場の扉や窓を激しく打ち続けている。 突然ぶり返した寒さに、マスターは慌てて、暖炉の薪を追加したが、少々の悪天候など気にもしない常連達も、 さすがに今日は来る様子がない。 がらんとした酒場にいるのは4人だけ。 マスターと僕・コリューン、それにアルターとミーユと言う顔ぶれだ。 アルターとミーユは、それぞれにぼとぼとに濡れた雨具を広げ、防水布をしみ通った雨でじっとりした服や髪を、 暖炉の前で乾かしていた。 その一時僕らは、それぞれに湯気の立つ飲み物をすすりながら、黙って嵐の音を聞いていたが、 ふと、マスターが声を上げた。 「ミーユ、こんなひどい天気の日に、よく来てくれたな。だが、今日ウチに来ても商売にはならんだろうに?」 「いえ、今日は仕事で来たのではありません」 と、ミーユはいつもの微笑を含んだもの柔らかな声で、 「コリューンさんに、あの戦いの話を聞かせてもらおうと思って参上したのです」 マスターは、大きくうなずいて、 「ああ、今日みたいな日は、じっくり話を聞くにはもってこいだな」 「野次馬もいないしな」 と、アルターも言う。(マスターの目が「お前以外はな」と言っていたが…) 突然3人に注目されて、僕は目をぱちくりさせた。 「『あの』戦いって…? ああ、あの…。あれは、ホントに大変だったよ…」 「…焦ったよ。何しろ、なんの準備もしてないところに出会ってしまったんだから…。 こっちは、武器を構えるのがやっとさ。 奴は、そのまま真っ直ぐ襲いかかってきてね、「速い!」と思った時には、二の腕がざっくり裂けていたよ。 受けるどころか、急所を庇うので精一杯だった。 僕も死に物狂いで必死に反撃して…振るった斧が何とか当たったと思ったら、これが「カチン」て手応えで、 ろくに傷も付きやしない。 向こうはひゅんひゅん飛び回って、どんどん攻めてきて…みるみるあちこち切り裂かれて、血がどんどん出て。 痛いと思ってる暇はなかったけど、斧の柄が血でぬるぬるになって…」 「ちょっと待った! それ、いつの戦いの話だよ?」 アルターが、出し抜けに大声をあげた。僕はまた、目をぱちくりさせた。 「いつって…僕がコロナに来たばっかりの時に、レーシィ山で魔物と戦った時の話だよ」 僕はあの時に、冒険者仲間がいかに大切であるかを思い知った。 あの時、もし僕1人きりではなく、誰か1人でも仲間がいたら…あんなに無惨なことにはならなかったろう。 相手をひるませるなり、逃げる隙を見つけるなり出来たはずだ。 だけど、僕がふつうにそう答えると、アルターはずっこけた。 マスターはあきれたように首を振り、ミーユは苦笑した。 「お前なぁ…。『あの』戦いったら、『あの』赤いドラゴンとの戦いだと思わねえか、フツー?」 ああ、ああ…僕は思わず、大きく目を開いて何度も頷いた。 「そーいや、そうだ…こりゃ、とんだ失礼を…」 頭をかくと、ミーユはクスリと笑って、 「いえ。その話も面白いですよ。こういう知られていない話は、貴重ですし」 「じゃあ、これで気を取り直して…始めてくれ」 マスターが、僕のカップに熱いお代わりを注いでくれた。僕は一口すすり、改めて言葉を探した。 「あれは…。あの戦いは… ………………………………きつかった」 「おい! それだけかよ?」 黙ってしまった僕に、たまりかねたようにアルターが声を上げた。 「うーん。…いや、本当は色々あって…長い長い戦いだったけどね…。 なんて言うか、その…ちゃんと話出来るような記憶じゃないんだ…とにかく、きつかった、としか…」 「だが、凱旋直後の宴会の時には、色々しゃべっていたじゃないか」 と、マスター。 「いや、あの時は…レティルとルーが話してくれてたから。僕は2人の言う事に頷いてただけだよ」 「そうか…? いや、おれの記憶じゃ、そうでもなかったぞ」 「そうだっけ…?」 僕は考え込んだ。すると、 「そうそう、あの時はリュッタがいて、根掘り葉掘り聞いていましたね。 あなたはそれに、いちいち丁寧に答えてらした」 ミーユが言った。 そう言えば…そうだった。 『ドラゴンって、うんと大きかった? 怖い顔だった?』から始まって、矢継ぎ早に、 100個は超える質問責めにあったんだ。 「あなたにインタビューするコツは、リュッタが一番よく知っているようですね。 では、私もそれに倣う事にしましょうか」 その方がこっちも楽だな…僕がうなずいて賛成すると、ミーユはゆったりと足を組み直して、 「それでは、思いつくままに質問しますから、気楽に答えて下さいね」 と、あの特有の音楽的な声と話し方で質問を始めた。 「最初にドラゴンが見えた時の事から聞きましょうか。…ドラゴンは、何か言いましたか?」 「うーん。…どうだったかな? そう言えば、何か偉そうにしゃべってたみたいな記憶が…」 「で、何と?」 「それは…僕は聞いてなかったな。最初の一撃に集中していたし。よく聞こえてなかった」 「聞き取りづらかったんですね?」 「そうだね、声は大きかったけど…そう言えば、追い風もきつかったし… 耳の中で風がヒュルヒュルいってた音は、今でも憶えてるよ…」 僕たちはいつしか、外で荒れ狂う嵐の事もすっかり忘れ、話し続けていた。 本編ではあえてすっ飛ばした、レーシィ山のきのことりのエピソード。 人様のお話を読むうちに、自分も何だか書きたくなってきて…こういう形で書いてみました。 |