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図書室の出会い


「竜の本」と呼ばれる、無地の革表紙の書物…つまり、このわしが、 ここ、つまりコロナという大きな街の図書館に入って、2ヶ月ばかりになる。
 ここの書架は、書物であるわしにとって、実に居心地がよい。 最初のうちは、毎日大勢の人間が行き来するにぎやかさに、目が回ったものだが、 今ではすっかり慣れた。

 わしを廃屋から持ち出してくれた、リューナという名の娘は、たまにこの図書館に来て、 わしを開く。
 ぱらぱらとめくるだけのときもあれば、熱心に読んでいくときもあった。 …そんなときでも、1ページかそこらで挫折してしまうのが常だったが。

 今日も、また桃色の髪の娘が、図書館に入ってきた。 いつものように、館内を一回りして、司書のシャルルに挨拶してから、 まっすぐわしのいる書架にやってくると、わしを手にとった。

「ふむ。今日も、『赤い竜』の項かね」
 わしは、ひとり言を言った。
 人間には、わしの声は聞こえない。わしの作り手…わしを書いた主人ですら、 わしの声を聞くことは出来なかったのだ。
 だから、わしがわしの読者に向かって語りかけるのは、わしの癖のようなもの… ひとり言だった。

「ふむ。大陸のこの地域に出没する赤い竜、『フレイス』の名が、 記録に現れるのは150年程前じゃな。
 それ以前からの、鋭い爪や炎の息を持つ竜の記録や伝承も散見されておるが、 それがあのフレイスのことであるかどうかは、はっきりしないものが多いのじゃ。 信憑製の高い最古の記録は…

…おっと、とばしおったな…

…ほお、『赤い竜の生態』の章か。うむ。
 ここ一世紀ほどの記録や、目撃者の証言から推測する限りでは、 高い知能と強力な魔力を持ちながら、 あやつの行動は、むしろ巨大な野生の爬虫類に近いと思われるのじゃ」

 この娘が、のろのろながら、ここまでじっくりわしを読みつづけるのは 初めてのことであった。わしは、ちょっといい気持ちになってしゃべりつづけた。

「フレイスは三、四十年毎に、人間の前に姿を現しておる。
 その度に、数年にわたって半径三〜五十キロに及ぶ地域を暴れまわり、 人間の集落を壊滅させ、森を焼き払っては、また姿を消すということを繰り返すのじゃ…」

 ふいに、娘がびくりと顔を上げた。 きょろきょろと辺りを見回し、しきりに耳をそばだてている。
 気持ちよく話している途中で急によそに注意をそらされて、わしはいささかむっとした。

「…なんじゃ? ここには今、おぬしの他、だれもおらんぞ」

 ところが、わしがそう文句を言ったとたん、娘はまたびくりとした。
「…え? 今の声、誰なの? どこにいるの?」
 ぐるぐると辺りを見回し、しまいには天井や床まで捜し始めた。

「まさか…おぬし、わしの声が、聞こえるのか?」
 その声と同時に、娘がぱっと首を回した。わしはすっかり驚いてしまった。

「聞こえておるんじゃな!」

「え…? もしかして、この声…ま、まさか!」
 娘の驚きようは、わし以上であった。瞬きすら忘れて、 まじまじとわしを見つめたまま、石のように固まってしまった。
 …ややあって、わしがゆっくりと手からずり落ちそうになったとき、 はっと持ち直してくれたものの、目は大きく見開かれたままであった。

「竜の本…あなた…生きて、いるの?」
「難しいことを聞くのぉ」
 わしは苦笑した。
「たしかに、わしはしゃべれるし、見ることも、聞くことも出来る。 …そういう意味では、まあ、生きているといってもよかろうな。
 じゃが、わしの声を聞いた人間は、おぬしが初めてじゃよ。 …それも、今日が初めて、じゃな」
 わしの笑い声は、ページをぺらぺらとめくる音に良く似ている。 娘は、その音をなんと思ったであろうか。

「おぬしには、本当に感謝しておるよ。わしをあの埃だらけの部屋から出してくれて、 こんな良いところに持ってきてくれて。
ありがとうよ」

「いえ、そんな…わたしはただ、竜のことが知りたかっただけです」
娘は、戸惑いながらも、はにかんだようにわしを見つめて言った。

「そうか。竜について語るのは、わしの務め、わしの喜びじゃ。
 こうして語り合えるのも何かの縁…おぬしへの礼と言っては何じゃが、 良かったら、わしが直接、おぬしの知りたいことを話してやろうかの。
 わしは自分に書いてある以上のことも知っておるし…失礼ながら、 おぬしはわしのような専門書を読むのには、全く慣れておらぬのではないかな?
 どうじゃ、この老いぼれの講義、聴いてはくれぬかの?」

 わしが、ちょっともったいぶってそう申し出ると、娘の顔が、ぱっと輝いた。
「は、はい…そうしてもらえると、とっても助かります」

「そうか、よしよし…では、と…フレイスの生態について、じゃったかな?」

「はい」

「よし。
…おそらく、姿を消している間がフレイスの休眠期であり、 活動期に入ると姿を現して獲物をむさぼるのじゃろう。
 人間の住居を好んで襲うのは、破壊衝動をより深く満足させ、 おのれの強さをひけらかす事が出来るからでもあろうが、 むしろ効率よく得物を手に入れるため、という事の方が大きな理由じゃと思われる…」

「…そして、この前姿を現したのが10年前…今は、フレイスは休眠期なんですか?」

「いやいや。フレイスが、バレンシアの2人の勇者に撃退されたとき、 あやつの被害は、まだいつもの半分にも及んでいなかった。
…と、いうことは、獲物もそれだけしか得ておらん、ということじゃ。
 もし奴が生きていたとしたら、今ごろ空腹でたまらぬに違いない …傷が癒え次第、姿を現すじゃろうて。
 あるいは、傷が深くて、いつもより長い休眠が必要になるか …あるいは、もう二度と姿を現すことが出来なくなっておるかも知れぬがな。
…本当のところは、誰にも分からぬよ」

「そう…ですか」
 娘の声が沈んだ。娘はそのまま、わしに丁寧に礼を述べ、 書架に戻すと、そっと図書館を出て行った。
 わしは1人、書架で考えに沈んだ。
…いったいあの子は、どんな理由があってあんなに赤い竜に興味を示すのであろう、と。


この話で、このシリーズでまず書きたかったことを書いてます。
私の設定では、フレイスは、数十年の休眠期の後脱皮をして、数年の活動期に入ります。
脱皮前には動きが鈍く、食欲も無くなり、脱皮の後活動が盛んになるというヘビの生態を 極端にしたものを想像しました。
冬眠はしません…火竜が、寒くて冬眠するというのも、なんとなく情けないですし。



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