海越ゆる歌舞〜雅楽海外公演回想録エッセー〜

中国の大地 1992秋

 中国2

↓〜9/8

コークスの夕暮れ

中国では、高い空にすべてのことが吹き飛ばされそうになる。

夕暮れ時、 自動車は相変わらずむやみにクラクションを鳴らし進んでいた。少し窓を開けると家を造るために使う煉瓦を焼くコークスの炎が夕闇の青黒い空にひときわ妖しい光を放っている。

 

蝙蝠の劇場

「蘭陵王入陣曲」として紹介される。墓前公演に続いて、夜は劇場での公演が行われた。舞台袖で控えていた京劇の演者の真剣なまなざしが特に印象に残った。 京劇の劇場で出演後、客席に案内される。前列に座って出し物をみた。人がいっぱいに入った大きな劇場は、熱気がたちこめ、スモークがたかれたように後ろのほうはかすんでいて見えない。先ほどから、客席の後ろから赤い緞帳の上のほうまで の天井を行きかう黒い影が見える。それは蝙蝠であった。蝙蝠であるとわかったとたん、何かしら妙な興奮につつまれた。舞台で繰り広げられる出し物についての反応が客席から容赦なく浴びせられている。おもしろいものには声援 を、すばらしいものには惜しまない拍手。映画ニューシネマパラダイスの中ででてくる客席のように、かつての観劇のスタイルは、こんなふうなものであったのではないかと思った。いくつか民謡のようなものがあった が、舞台袖には見たこともない大型の笙を単音で吹く伴奏者が見えた。
蝙蝠の劇場の幕間で、僕の隣に座っていた中国の方がにこやかに質問をしてこられた。その場は筆談となった。 その質問は日本の教育制度などについてだったと思う。翌日のレセプションでわかったことだが、となりの方は磁県の知事さんだったらしい。レセプションであいさつをされたとき、末席の私に目配せをして知らせてくださった。
その日の演目は南都楽所の舞楽「蘭陵王」、地方の演劇に続いて、中国の方々(河北梆子戲劇団)による新作の京劇「蘭陵王」であった。

 

京劇蘭陵王

京劇の裲襠(りょうとう)のような衣装をつけた大人数のアクロバット的な殺陣(たて)の途中、蘭陵王長恭と思わしき人物が華麗に登場した。京劇の蘭陵王は 、このたびつくられた新作だった。蘭陵王は、左方 の舞楽なので、赤系の装束だが、京劇では赤ではなく白を基調とした裲襠装束にしあがっていた。面は口の部分だけがみえるようなベネチアでみた仮面舞踏会に使うような仮面だった。パーツはずいぶん違うが、全体像を見ると確かに舞楽の蘭陵王の装束そのものである。京劇風の衣装として洗練された印象を受けた。正直に言うと舞楽の衣装よりも、むしろかっこいいとさえ思ってしまった。南都楽所から資料を送って作成したので当然であるが、とてもよくできていた。戦いの場面では舞の手らしい所作が含まれていて 、とても興味深い。歌舞伎でいうところの「みえをきる」ような京劇独特のきめのポーズがあったり、雉(きじ)の尾を頭 につけていて、それを片方だけ曲げたり、すっと伸ばしたりする場面があった。主人公の蘭陵王が各場面の終わりに「うひゃひゃひゃひゃひゃあ」と京劇独特の笑い声をあげるのが妙に頭に残った。

 

偉大なる漢方

天壇公園をみて、故宮を望む山に登ったときにはかなり熱っぽく、疲れていた。熱が高いのだろうか、故宮の宮殿がかすんでいた。帰りの飛行機は上海経由であったが、あまりにつらいので通訳の方にそのことを伝えた。上海空港のVIPルームのようなところへ連れて行かれて待っていると、白衣を着た若い女の人が二人やってきて、弾丸のように質問を僕に浴びせかけた。熱は40度近くあった。 オレンジ、白、水色の三種類のカラフルな錠剤を処方された。その後、弾丸のように二人でひとしきりしゃべった後、去っていった。このとき通訳の方は外で待っていたので、何を言っているのかぜんぜんわからなかった。そして、よけいぐったりして、部屋から出てくる僕に向かって、通訳の 方は「それは飲まないほうがいい。何が出ているのかわからない」と忠告された。しかし、その忠告を無視して、わらにもすがるような思いで、いちかばちか、その薬を飲んだ。上海から日本への飛行機の中で汗が出て、一気に熱が下がった。その後も何の異常もなかった。

 

中国の大地その後

この回想の初期草稿は公演から10年後の平成14年に書いた。あれから10年、日中国交正常化30年を迎えた。あれからずいぶんと時間がたった。一般の旅行者もいくことができる場所になったようだ。笠置侃一先生が馬中理先生から聞かれた話では当時の 金色の蘭陵王像が平成15年現在、白玉によってつくりかえられているという。

平成14年に簡単な学校演劇を演出することになった。『龍玉的朋友(りゅうぎょくてきぽんゆう)』というオリジナルの台本を書き下ろした。狂言と京劇を融合した喜劇にしようと思った。高校生がやるので簡単な内容、わかりやすい内容を心がけた。雅楽は 専門なので安易なアレンジと導入は避け、エッセンスだけにとどめた。衣装は大紋などを効果的に使ったがそのほかのものは、手作りである。 前半を狂言的な舞台とし、後半を京劇的な舞台とした。後半には全長14メートルの巨大な龍が登場する。最後は民俗芸能の継ぎ獅子のごとく1.5メートルの龍頭が持ち上がる。生徒にとって日本の古典も 、お隣の中国も縁遠い国に感じるようだ。それがかえって新鮮であったようだ。


*今回は公演の印象の回想録程度にとどめました。校正も十分ではありませんので、追加などは徐々に進めていきます。あしからず。